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【第2章追加!】断罪令嬢の飯テロ食堂  作者: 九葉
第2章

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第12話

 王都の中央広場は、水を打ったような静寂に包まれていた。

 数千人の観衆が固唾を飲んで見守る中、審査員席には三皿の『至高のビーフカレー』が鎮座している。


 艶やかな褐色のソース。

 純白に輝く銀シャリ。

 そして、スプーンで触れるだけで崩れそうなほど煮込まれた、特大の霜降り肉。


 立ち上る香りは、先攻のヴァレリオ王子が出した『仔羊のロースト』のような華やかなハーブの香りとは違う。

 もっと根源的で、胃袋を鷲掴みにし、脳髄に「腹が減った」という信号を強制送信するような、魔性の香りだ。


「……では、実食」


 合図と共に、父・ガラルド公爵がスプーンを手に取った。

 その表情は硬い。

 彼は「肉至上主義者」であり、煮込み料理を「肉への冒涜」とみなしている。今回の最高級リブロースを提供したのも、「娘の無謀な挑戦を看取るため」という側面があったはずだ。


「……見た目は泥のようだが」


 父は独り言のように呟き、スプーンを皿に入れた。


 ――スッ。


 抵抗感ゼロ。

 スプーンの先が、巨大な肉の塊に触れた瞬間、肉は自らの重みでほろりと解けた。

 繊維の一本一本まで柔らかく煮込まれている証拠だ。


「む……?」


 父の眉がピクリと動く。

 そのまま、カレーソースとご飯を適量すくい上げ、口へと運んだ。


 ハムッ。


 広場中の視線が、父の咀嚼する口元に集中する。

 父はゆっくりと口を動かした。

 一度、二度。

 そして――。


 ガチャン。

 スプーンが皿の上に落ちた。

 「氷の閣下」と恐れられる父の瞳が、驚愕に見開かれ、小刻みに震え始めた。


「……なんだ、これは」


 絞り出すような声だった。


「口に入れた瞬間は……甘い? 果実のようなフルーティーな甘みと、炒めた玉ねぎの芳醇な香りが広がる。……だが、すぐに追いかけてくる! 数十種類のスパイスが複雑に絡み合った、鮮烈な辛味が!」


 父は額にうっすらと汗を浮かべた。


「辛い! だが、痛くない! この辛さが唾液を溢れさせ、次の一口を猛烈に誘引する! そして何より――肉だ!」


 父は再びスプーンを握りしめ、崩れた肉をすくい上げた。


「煮込んでいるのに、肉の味が抜けていない……いや、むしろ凝縮されている! 焼いて閉じ込めた旨味と、ソースに溶け出した脂の甘みが、口の中で爆発する! 噛む必要すらない、舌の上でバターのように溶けて消えていく……!」


 父の「煮込み料理嫌い」の理論が、音を立てて崩れ去った瞬間だった。

 パサつきなど微塵もない。これは「飲む肉」だ。


 隣では、フレデリック陛下がすでに我を忘れてスプーンを動かしていた。


「うまいッ! この『銀シャリ』との相性が異常だ!」


 陛下は米とルーを豪快に混ぜ合わせ、かきこんでいる。


「このとろみのあるソースが、一粒一粒の米に絡みつく! 米の淡白な甘みが、スパイスの刺激を受け止め、完璧な調和マリアージュを生み出しているぞ! パンではダメだ、ナンでもない! この料理には、このジャポニカ米でなければ完成しない!」


 陛下は皿の端に添えられた、真っ赤な『福神漬け』を口にした。


 ――ポリッ、カリッ。


「おおぉ……! この歯ごたえ! 濃厚になった口の中を、根菜の甘酸っぱさがリセットしてくれる! これがあることで、カレーの味が再び鮮明になる……無限機関だ! 誰か、おかわりを持ってまいれ!」


 王としての威厳などかなぐり捨て、陛下は皿を舐めんばかりの勢いだ。


 そして、最後の審査員。

 敵国ガレリアの大使。

 彼はスパイスの本場の人間として、厳しい目でカレーを見つめていた。

 しかし、一口食べた瞬間、彼は天を仰いだ。


「……信じられん」


 大使は震える声で呟いた。


「我が国の料理は、スパイスの『個』を際立たせるもの。……だが、この料理は違う。全てのスパイスが、油と小麦粉という触媒によって融合し、全く新しい『一つの味』になっている」


 彼はルーカス様(魔術師)のような分析を口にした。


「これは錬金術だ。混沌カオスの中に秩序コスモスがある。……悔しいが、我が国のローストよりも、味の深みが数段上だ」


 大使の完敗宣言。

 その言葉は、マイク(拡声の魔導具)を通して広場全体に響き渡った。


「うおおおおおっ!!」

「すげええええ! あのガレリアが認めたぞ!」

「匂いだけで美味いもんな! 俺たちにも食わせろー!」


 観客たちのボルテージが最高潮に達する。

 

 そんな中。

 呆然と立ち尽くす人物が一人。

 対戦相手である、ヴァレリオ王子だ。


「馬鹿な……。余の『30種のスパイスロースト』が、あんな泥のような煮込みに負けたというのか……?」


 彼はふらふらと審査員席に近づき、父・ガラルド公爵の皿に残っていた一口分を、横から指ですくい取って舐めた。


 ペロリ。


 瞬間。

 王子の全身に電流が走った。


「ッ……!?」


 カッ! と目が見開かれる。


「なんだこのコクは! ただのスパイスではない……この奥底にある、妖艶なまでの甘みと香りは!」


 彼は私の調理台の方を振り返った。

 そこには、空になった蜂蜜の瓶と、すりおろしたリンゴの残骸がある。


「……『魔蜂蜜ロイヤルハニー』に、『完熟魔林檎』か!? どちらもSランク指定の希少食材……! それを隠し味に使うなど、どれほどの贅沢だ!」


「素材だけではありません」


 私は静かに告げた。


「玉ねぎを三十分炒め続け、スパイスを油で爆ぜさせ、スープを一晩寝かせる。……貴方の料理が『足し算』なら、カレーは『時間と手間の掛け算』です」


「時間の……掛け算……」


 ヴァレリオ王子は膝から崩れ落ちた。

 美食を極めた彼だからこそ、理解してしまったのだ。

 その一口に込められた、途方もない手間と、計算され尽くした味の設計図を。


「……負けだ」


 王子はガックリと項垂れた。


「余の完敗だ。……約束通り、店には手出しせん。国へ帰ろう」


 彼が背を向けた、その時だった。


「お待ちなさい」


 私が呼び止めると、王子は力なく振り返った。


「……なんだ。勝者の説教か? それとも奴隷契約の破棄金でも請求するか」

「いいえ。……まだ鍋に余っていますけど、食べていきますか?」


 私は寸胴鍋をお玉でカチンと鳴らした。


「負けたまま帰ると、ご飯が美味しくないでしょう? お腹いっぱい食べて、『美味しかったな』と思って帰っていただくのが、当店の流儀ですので」


 王子は目を丸くした。

 そして、クンクンと鼻を動かし、鍋から漂う香りに引き寄せられるように、フラフラと戻ってきた。


「……金は、払うぞ。倍額だ」

「はい、毎度あり」


 私は大盛りのカレーライスを彼の前に置いた。

 王子はガツガツと、それこそ獣のようにカレーをかきこんだ。

 涙と鼻水を流しながら、一心不乱に。

 

 その姿は、もう『暴食の覇王』ではなく、ただの『カレーに魅了された少年』だった。


   ◇ ◇ ◇


 騒動が終わり、夕暮れ時。

 広場の片付けが終わった後、私は父・ガラルド公爵と向かい合っていた。


 父は満足げに、しかしどこか気まずそうに、ステッキを弄んでいる。


「……見事だった」


 父がぽつりと言った。


「煮込み料理への偏見、そして隣国の圧力。すべてを料理一つで跳ね返したな。……我が娘ながら、恐ろしい才能だ」

「お父様のお肉のおかげです。あのお肉がなければ、あのとろける食感は出せませんでした」


「ふん。まあ、素材を見る目だけは養ってやったつもりだ」


 父はそっぽを向きながらも、口元が緩んでいるのを隠せていない。


「……シェリル」


 父が私の名前を呼んだ。

 その声色は、いつもの威圧的なものではなく、不器用な父親のものだった。


「お前が選んだ道は、決して平坦ではないだろう。油にまみれ、客に頭を下げる日々だ。公爵令嬢としての幸せとは程遠い」

「ええ。でも、私は今が一番幸せです」

「……そうか」


 父は短く頷き、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。

 それは、私の『勘当証明書』だった。

 父はそれを両手で持ち、ビリビリと破り捨てた。


「えっ?」


「勘当は取り消す」


 父は破り捨てた紙吹雪の中で、ニヤリと笑った。


「ただし、家には戻らなくていい。ウォルター公爵家は、本日をもって『月待ち食堂』への出資者スポンサーとなる」

「スポンサー……?」

「ああ。店の権利の一部を私が持つ。そうすれば、他国が手を出そうとしても『公爵家の事業』として守ることができるからな」


 なるほど。

 家に戻れとは言わない。けれど、法的に私を守るための盾になるということか。

 なんて回りくどい、そして強力な愛情表現だろう。


「それに……出資者ならば、優先的に予約を入れる権利があるだろう?」


 父は咳払いを一つした。


「来週の休み、また来る。……次は、その、なんだ。『カツ丼』というのを食わせろ。ライオネルがうるさいのだ」

「ふふっ。はい、喜んで。最高の一杯をご用意しておきます」


 私が答えると、父は満足そうに頷き、セバスチャンを連れて馬車へと戻っていった。

 その背中は、来た時の凍りつくような冷たさは消え、夕陽を浴びて温かく見えた。


   ◇ ◇ ◇


 こうして、隣国の脅威は去り、実家との確執(?)も解消された。

 店に戻ると、ライオネル団長たちが「カレー鍋の底に残った焦げ」を巡って争奪戦を繰り広げていた。


「こら! 行儀が悪いですよ!」

「だって店主! ここが一番美味いんだ!」

「みゃう(我にもよこせ!)」


 騒がしくも愛おしい、いつもの日常。

 

 翌日。

 公爵家から、屈強な男たちが数名派遣されてきた。

 彼らは父子飼いの「公爵家専属料理人」たちだった。


「シェリルお嬢様! いや、師匠! 我々に『煮込み』の極意をご教授ください!」

「あの旦那様を唸らせた技術、学ばせていただきます!」


 どうやら父は、スポンサー契約だけでなく、人的支援(という名の弟子入り)まで送り込んできたらしい。

 これで厨房の人手不足も解消だ。


 さらに数日後。

 ガレリア王国から、定期便が届くようになった。

 送り主はヴァレリオ王子。

 中身は、最高級のスパイスセットと、『次は負けん! 新メニューができたら一番に連絡しろ!』という手紙。

 どうやら彼もまた、厄介な常連客の一人に加わってしまったようだ。


 私はエプロンを締め直し、厨房に立つ。

 

 店主は元悪役令嬢。

 用心棒は聖獣と騎士団長と筆頭魔術師。

 スポンサーは宰相。

 ライバルは隣国の王子。


 世界一豪華で、世界一騒がしい定食屋『月待ち食堂』。

 さて、今日のメニューは何にしようか。

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