第6話
魔術師ルーカス様による「いちご大福爆買い事件」から数日。
『月待ち食堂』には、新たな客層が増えつつあった。
「あら、ここが噂のお店?」
「ええ。宮廷魔術師様たちが『脳が回復する魔法の白い玉』を食べていると聞いて」
これまではガッツリ系の定食を求める男性客が中心だったが、最近は午後のお茶の時間になると、噂を聞きつけた女性客や、甘いもの好きの文官たちが訪れるようになったのだ。
私は厨房で、ひたすら餅を丸めていた。
「すごい人気ね、いちご大福。まさかここまでとは」
カウンターの端では、聖獣シロが座布団の上で丸くなりながら、呆れたようにあくびをしている。
「みゃう(人間とは現金なものだ。昨日は『餅なんて喉に詰まる』と言っていたくせに)」
「ふふ、美味しさに貴賤なしよ。……おっと、噂をすれば」
カランコロン、とドアベルが鳴った。
時刻は午後三時。おやつ時だ。
入ってきたのは、見慣れた銀の鎧……ではなく、ビシッと制服を着こなした、一人の騎士だった。
王宮騎士団副団長、ギデオン。
団長であるライオネル様の右腕であり、「歩く規律」「鋼鉄の副官」と呼ばれるほど厳格な男だ。
その眉間には、今日も深い皺が刻まれている。
「……失礼する」
低い声と共に店内に入ってきた彼は、鋭い視線で周囲を一別し、そしてカウンターの奥にいる人物を見つけてツカツカと歩み寄った。
「ここにいましたか、団長」
「ん? おお、ギデオンか! なんだ、お前も『お茶』しに来たのか?」
そこにいたのは、もちろんライオネル団長だ。
彼は大きな手で、ちんまりとした湯呑みを持ち、目の前の皿に乗った白い大福を愛おしそうに見つめていたところだった。
鎧姿の巨漢と、可愛らしい大福。
どう見てもミスマッチな光景に、ギデオン副団長のこめかみに青筋が浮かぶ。
「『お茶』ではありません! 午後の巡回報告の時間になっても戻られないので、もしやと思えば……!」
ギデオンは呆れたようにため息をついた。
「団長。貴方は騎士団の顔です。このような市井の店で、しかも勤務時間中に……そのような『子供の菓子』にうつつを抜かすなど、示しがつきませんぞ」
「む? 子供の菓子だと?」
ライオネル団長が、むっとした顔で大福を指差した。
「ギデオン、貴様、この『いちご大福』を侮辱するのか? これはただの菓子ではない。店主殿が丹精込めて練り上げた、至高の芸術品だぞ」
「大袈裟です。所詮は餅と豆のペーストでしょう。戦場に生きる我ら騎士には、必要のない軟弱な食べ物です」
ギデオンはバッサリと切り捨てた。
彼は「質実剛健」を絵に描いたような男だ。食事は栄養補給と割り切り、甘いものなど「女子供の楽しみ」だと公言して憚らない。
その様子を見ていた私は、そっとお茶の用意をした。
こういう堅物な人ほど、一度沼にハマると深いことを知っているからだ。
「まあまあ、ギデオン様。せっかくですから、お一ついかがですか? 団長さんのおごりということで」
「断る。私は甘いものは好ま――」
「食え」
ライオネル団長が、有無を言わさぬ圧力で皿を差し出した。
「部下の教育も上官の務めだ。食わず嫌いで判断するなど、騎士として恥ずべきことだぞ」
「……っ。団長命令ですか」
「そうだ。これは命令だ。この白き柔肌に触れ、その真価を見極めよ」
言い方がなんだかいやらしいが、要するに「美味しいから食べてみろ」ということだ。
ギデオンは渋い顔で席に座り、目の前に置かれた大福を睨みつけた。
「……ふん。見た目はただの白い粉をまぶした塊。触れば崩れそうなほど頼りない」
彼は無骨な手で、そっと大福をつまみ上げた。
――ムニッ。
その瞬間、ギデオンの眉がピクリと動いた。
「……なんだ、この感触は」
指先から伝わる、信じられないほどの柔らかさ。
赤ん坊の頬のような、あるいは高級な絹織物のような、吸い付くような手触り。
強く握れば潰れてしまいそうで、彼は無意識に力加減を調整していた。
「柔らかい……。これが食べ物なのか?」
彼は恐る恐る、その白い塊を口へと運んだ。
意を決して、一口かじる。
――ハムッ。
モチッ、とした歯ごたえ。
次の瞬間、彼の口の中で予期せぬ化学反応が起きた。
ねっとりとした餡子の甘さが舌に広がる。
甘い。確かに甘い。だが、彼が想像していたような、砂糖を煮詰めただけの暴力的な甘さではない。
小豆の風味が鼻を抜け、優しく心を解きほぐすような、深い甘みだ。
そして、その甘さに包まれた味覚を、鮮烈な酸味が切り裂く。
――ジュワッ!
中心のイチゴを噛み砕いたのだ。
溢れ出す果汁。
甘い餡子と、酸っぱいイチゴ。相反するはずの二つが、口の中で混ざり合い、完璧な調和を奏でる。
「…………ッ!?」
ギデオンの動きが止まった。
彼は咀嚼しながら、目を見開き、虚空を見つめて固まってしまった。
甘い。
酸っぱい。
柔らかい。
モチモチしている。
普段、訓練と規律でガチガチに固められた彼の思考回路に、幸福の爆弾が投下された瞬間だった。
「おい、どうだギデオン。……軟弱か?」
ライオネル団長がニヤニヤしながら尋ねる。
ギデオンはゆっくりと団長の方を向き、そして震える声で言った。
「……なんということだ」
彼は飲み込み、ほう、と熱い息を吐いた。
その表情は、いつもの険しい鉄仮面が嘘のように、とろりと蕩けていた。
「これは……罠です」
「罠?」
「ええ。外側の頼りないほどの柔らかさに油断させ、懐に入り込んだ瞬間に、濃厚な甘さと酸味で急所を突く……! なんという高度な戦術……!」
大福を戦術で語る人を初めて見た。
だが、彼の手は正直だ。
あっという間に残りの半分を口に放り込み、幸せそうに頬張っている。口の周りに白い粉がついているのも気にしていない。
「うまい……。疲れた体に、この甘さが染み渡る……。私は今まで、何を意固地になっていたんだ」
ギデオンは湯呑みを手に取り、お茶をすすった。
和菓子とお茶。この組み合わせが生む「ほっこり感」は、屈強な騎士をも骨抜きにする威力がある。
「店主殿」
彼は真剣な眼差しで私を見た。口元の粉を拭うのも忘れて。
「追加だ。あと三つ……いや、五つ頼む」
「えっ、そんなに?」
「部下への差し入れではない。……私が食べる分だ。今日の残業のお供にさせてもらう」
なんと。
「鋼鉄の副官」ギデオン様は、隠れ甘党(スイーツ男子)として覚醒してしまったようだ。
「ふはは! そうこなくてはな! 店主殿、俺にもおかわりだ!」
「はいはい、毎度あり」
二人の騎士が、並んで大福を頬張る姿は、なんとも平和で微笑ましかった。
◇ ◇ ◇
こうして、午後のお茶の時間も大盛況のうちに終わろうとしていた。
ギデオン様は「口の周りが白いですよ」と指摘されて赤面しながらも、お土産の大福を抱えて帰っていった。
夕方の仕込みを始めようとした時。
店に残っていた数名の客――身なりの良い、しかしどこか傲慢そうな貴族たちの会話が、ふと耳に入ってきた。
「……聞いたか? 最近、この店が評判らしいが」
「ふん。所詮は平民の餌屋だろう? 騎士団長や魔術師殿も、物好きが過ぎる」
「全くだ。なんでも、『揚げ物』なる油臭い料理を出しているとか。あんな下品なもの、高貴な我々の口には合わんよ」
彼らはヒソヒソと、しかしわざと聞こえるような声で嘲笑していた。
手には豪奢な扇子を持ち、こちらの様子を値踏みするように見ている。
この世界――特に王都の貴族社会において、食文化には奇妙な「階級意識」がある。
蒸し料理やボイル、そして見た目が美しいゼリー寄せなどが「高貴な料理」とされ、油で揚げる、炒めるといった調理法は「素材の質をごまかす平民の料理」として蔑まれているのだ。
特に、じゃがいもなどの根菜類は「地べたを這う野菜」として、貴族の食卓には上がらない。
(……やれやれ。どこにでもいるのよね、こういう人たち)
私は心の中でため息をついた。
彼らはきっと、まだ知らないだけだ。
揚げたてのコロッケの、あのサクサクとした音を。
ホクホクのじゃがいもの甘みを。
私は彼らの言葉を聞き流しながら、厨房の奥からある食材を取り出した。
泥付きの、丸々とした男爵芋。
そして、牛挽肉と玉ねぎ。
「下品、ねぇ……」
私はジャガイモを洗いながら、ニヤリと笑った。
明日からは、その「下品な料理」が、貴族たちの常識をサクサクに粉砕することになるのだから。
その時、店の入り口に、一人の男が現れた。
先ほどの貴族たちとは違う、本物の「威圧感」を纏った老紳士。
身につけているのは執事服だが、その背筋は剣のように鋭く伸びている。
彼はゆっくりと店内を見回し、そして私と目が合うと、恭しく、しかし氷のように冷たい声で言った。
「……お初にお目にかかります、シェリルお嬢様。……いえ、今は『勘当された恥晒し』とお呼びすべきでしょうか」
その紋章を見て、私は息を飲んだ。
獅子と薔薇の紋章。
それは、私の実家――ウォルター公爵家の紋章だった。




