第1話
第2章開幕です!
ぜひ楽しんでいってくださいー!
国王陛下による「断罪(という名の食い倒れ)」から一ヶ月。
『月待ち食堂』は、まさに嬉しい悲鳴を上げていた。
「いらっしゃいませ! 申し訳ありません、ただいま満席でして……!」
「構わん! この匂いを嗅ぎながらなら、三時間は待てる!」
「店主ー! こっちは食べ終わったぞ、次のお客さんを入れてくれ!」
ランチタイムのピーク。
路地裏の店には、今日も長蛇の列ができていた。
リナとジュリアン様の一件以来、この店は「王宮の最強戦力が通う店」として噂になり、貴族から平民までが押し寄せる一大スポットとなってしまったのだ。
私は厨房の中を、独楽のようにくるくると動き回っていた。
「はい、唐揚げ定食お待たせしました! ああっ、そっちの生姜焼きはまだタレをかけないで!」
猫の手も借りたい。
いや、あの聖獣様(猫)の手でもいいから借りたい。
食材の仕入れも、調理も、配膳も。全て一人でこなすには、私の体は一つしかなかった。
そして何より、最大の問題は――。
「……ううっ、お皿が……お皿が足りない……!」
私はシンクに積み上がった「汚れた皿の山」を見て、絶望的な声を上げた。
揚げ物の油、デミグラスソースのこびりつき、生姜焼きのタレの粘り気。
これらを洗い落とすには、時間と労力がかかりすぎる。
この世界には便利な自動食洗機なんてない。
魔法でなんとかならないかとも思ったが、私は生活魔法(洗浄)があまり得意ではない。一皿ずつならまだしも、この山を処理するには魔力が追いつかないのだ。
「ダメだわ……このままじゃ、夜の営業ができない」
私はエプロンで額の汗を拭い、一旦「準備中」の札を出そうと入り口に向かった。
その時だった。
バンッ!!
入り口の扉が、いつものように乱暴に開かれた。
現れたのは、非番の私服(といっても筋肉が隠しきれていない)を着た騎士たちの集団だった。
先頭に立つのは、もちろんこの男。
「店主! 腹が減った! 今日の訓練はハードだったんだ、今すぐ『ガツンとくるもの』を食わせてくれ!」
王宮騎士団長、ライオネル・バーンズ。
彼は私の顔を見るなり、満面の笑みで親指を立てた。
背後には副団長のギデオンをはじめ、腹をすかせた精鋭たちが十名ほど控えている。
「あ、あの、ライオネル様……」
「なんだ? まさか『売り切れ』などとは言わせんぞ。俺たちはこの昼飯のために、午前中の模擬戦を五分で終わらせてきたんだ」
「い、いえ、食材はあるんです。あるんですけど……」
私は申し訳なさそうに、シンクの惨状を指差した。
「見ての通り、洗い物が追いつかなくて。お皿がないので、お料理が出せないんです。今日はもう店じまいかと……」
その言葉を聞いた瞬間。
ライオネル団長の顔から血の気が引いた。
まるで「国が滅びる」という予言を聞いたかのような絶望的な表情だ。
「な、なんだと……? 飯が……食えない……?」
「嘘だろ!? 俺たちの口はもう『月待ち食堂』の味になってるんだぞ!」
「嫌だ! 俺はもう、兵舎のパサパサのパンには戻れない!」
騎士たちが大の男とは思えない悲鳴を上げる。
うるさい。非常にうるさい。
「ですから、今日は諦めて――」
「……待て」
ライオネル団長が、鋭い眼光を放ちながら一歩踏み出した。
彼はシンクの山を見据え、そして私を見た。
「要するに、この皿が綺麗になれば、飯が食えるんだな?」
「はあ、まあ。あと下ごしらえの時間も足りませんが」
「よし」
彼はくるりと振り返り、部下たちに号令をかけた。
「総員、傾注! これより『月待ち食堂』支援作戦を開始する! 目的は『昼飯の確保』! 第一班は上着を脱いで皿洗い! 第二班は店主の指示に従い、食材の下処理を行え!」
「「「イエッサー!!」」」
路地裏の食堂に、軍隊のような返事が響き渡った。
「えっ、ちょっ、皆さん!?」
止める間もなかった。
騎士たちは慣れた手つき(?)で腕まくりをすると、厨房になだれ込んできたのだ。
「おい、水魔法を使える奴はいるか!」
「自分がいけます! ぬるま湯程度の温度調整、完璧です!」
「よし、俺がスポンジで汚れを落とす! 貴様はすすぎを担当しろ! 油汚れは強敵だ、洗剤(石鹸水)を惜しむな!」
なんということでしょう。
国一番の剣豪たちが、その太い腕で優しく、かつ迅速にお皿を洗い始めたではないか。
しかも、魔術師崩れの騎士が魔法で給湯システムを構築している。
「店主! 俺たちは何をすればいい!?」
残りの騎士たちが、まな板の前で包丁を構えている。
その殺気がすごい。キャベツが怯えているように見える。
「あ、ええと……じゃあ、キャベツの千切りと、この豚肉の筋切りをお願いできますか?」
「心得た!」
ダダダダダダダダッ!!
凄まじい音が響いた。
達人級の剣技を持つ彼らにかかれば、千切りキャベツなど瞬きする間もなかった。
その細さたるや、髪の毛の如し。
「す、すごい……」
私は呆然と呟いた。
労働力不足と衛生問題が、物理(筋肉)と魔法によって一瞬で解決されていく。
彼らはただ、美味しいご飯を食べたい一心で、無償の労働を提供しているのだ。
「ふふっ、ありがとうございます。それじゃあ、働いた分だけ『最高のご褒美』を作らせていただきますね!」
私は気合を入れ直し、冷蔵庫から特大の豚ロース肉を取り出した。
今日のメニューは、疲れた男たちの胃袋を鷲掴みにする、ガッツリ飯の最高峰。
『カツ丼』だ。
まずは下処理だ。
騎士たちが完璧に筋切りをしてくれたおかげで、分厚い肉も縮むことなく柔らかく仕上がるだろう。
塩胡椒を振り、小麦粉を薄くまぶす。
溶き卵にくぐらせ、粗めのパン粉をたっぷりとつける。
鍋には、たっぷりの油。
温度は高すぎず、低すぎず。パン粉を落として、中ほどでシュワッと散るくらいがベストだ。
「いきますよ!」
私は分厚いカツを、油の中に静かに滑り込ませた。
――ジュワァァァ……ッ!
重低音と共に、細かな泡がカツを包み込む。
この音。この香り。
皿洗いをしていた騎士たちの手が、ピタリと止まった。
「……団長。この音は……」
「ああ。間違いない。『揚げ物』だ」
ライオネル団長が、泡まみれの手のままゴクリと喉を鳴らした。
「だが、ただのフライではない気がする。店主が用意している、あの鍋……そして大量の卵。……まさか!?」
そう、ただのカツでは終わらせない。
隣のコンロでは、カツ丼の命である「割り下」の準備が進んでいる。
出汁、醤油、みりん、そして砂糖。
少し濃いめの甘辛いタレ。
ここに、薄切りにした玉ねぎを投入し、くたっとなるまで煮込む。
この国の人々は、砂糖と醤油を合わせた「甘じょっぱい」味にまだ馴染みがない。
だが、一度知ってしまえば、それは逃れられない沼となる。
カツがキツネ色に揚がった。
ザクッ、ザクッ、と包丁を入れる。
断面からは肉汁が溢れ、ピンク色の肉が顔を覗かせる。これだけでも十分に御馳走だ。
だが、ここからが魔法の時間。
煮立った割り下の中に、揚げたてのカツを投入!
――ジュウウウッ!
出汁を吸った衣が、一瞬にしてふわりと柔らかくなる。
そこに、溶き卵を回し入れる。
外側は固まり、中心は半熟のトロトロ。
蓋をして、数秒蒸らす。
「……完成よ」
私が蓋を開けた瞬間。
立ち上る湯気と共に、出汁と醤油、そして油の甘い香りが、厨房全体を支配した。
「「「うおおおおおおっ!?」」」
騎士たちの雄叫びが上がった。
黄金色の卵の布団をかぶった、分厚いカツ。
それが、炊きたての白米の上に鎮座する姿は、まさに丼の中の小宇宙。
「さあ、働いた後のご飯は美味しいですよ! 特製『ロースカツ丼』です!」
私はドン、ドン、と丼をカウンターに並べた。
皿洗い部隊も、野菜切り部隊も、一斉に席につく。
その目は、戦場でのどの瞬間よりも真剣に輝いていた。




