最終話
その日、『月待ち食堂』の前には、王国の近衛兵がずらりと整列していた。
路地裏には似つかわしくない厳粛な空気。
店の入り口が開き、現れたのは――豪奢なマントを羽織った壮年の男性、国王フレデリック陛下その人だった。
その背後には、勝ち誇った顔の聖女リナと、どこか落ち着かない様子の王太子ジュリアン様が控えている。
「父上! この女です! 騎士団長と魔術師をたぶらかし、国の秩序を乱す魔女は!」
リナが私のことを指差して叫ぶ。
店内には、いつものように食事をしていたライオネル団長とルーカス様もいるが、さすがに国王陛下の前では直立不動の姿勢をとっていた。
私はカウンターの中で、静かにカーテシーをした。
「お初にお目にかかります、陛下。店主のシェリルです」
「うむ。……面を上げよ」
国王陛下は重々しく頷くと、鋭い眼光で私を見据え、そして――鼻をひくつかせた。
「……よい匂いだ」
「は?」
「この芳ばしい香り。焦げた醤油と、肉の脂が混じり合った……これは、余の食欲を著しく刺激する」
陛下はゴクリと喉を鳴らし、カウンター席の真ん中にドカリと座った。
「リナよ。申告通りならば、この店は『毒』を盛っているのだったな?」
「は、はい! 人間の味覚を狂わせる猛毒です!」
「ならば、余が自ら毒見をして判定を下す。店主、この店で一番人気のメニューを出せ」
その言葉に、リナとジュリアン様が「えっ?」と声を上げた。
私はニヤリと口角を上げる。やはり、この親にしてこの子(ジュリアン様)あり。王家の血筋は、美食への執着からは逃れられないようだ。
「承知いたしました。本日の日替わりは『和風おろしハンバーグ定食』です」
私は下ごしらえしていた挽肉のタネを取り出した。
豚と牛の合挽き肉に、炒めた玉ねぎ、パン粉、牛乳、卵、そしてナツメグを少々。
両手でペチペチと空気を抜き、小判型に整える。
熱した鉄板に、タネを乗せる。
――ジュワァァァァ……ッ!
店内に最高の音楽(調理音)が響き渡った。
肉の焼ける匂いが爆発的に広がる。
陛下の目が釘付けになる。
両面に焼き色をつけたら、酒を入れて蓋をして蒸し焼きに。
中までふっくらと火を通す。
この「待ち時間」こそが、最大のスパイスだ。
「まだか……まだなのか……」
陛下が小刻みに貧乏ゆすりをしている。リナが「父上、騙されてはいけません!」と喚いているが、完全に無視されている。
焼き上がったハンバーグを皿に移し、その上に山盛りの大根おろしを乗せる。
仕上げに、柑橘の酸味が効いた『ポン酢』をたっぷりと回しかけ、刻んだ大葉を散らす。
「お待たせいたしました」
湯気と共に運ばれたハンバーグ。
陛下は震える手でナイフを入れた。
――スッ。
ナイフを入れた断面から、透明な肉汁が泉のように湧き出した。
鉄板の余熱で、肉汁がポン酢と混ざり合い、ジュウジュウと音を立てる。
「……いざ」
陛下は一口大に切った肉を、大根おろしと共に口へ運んだ。
ハムッ……モグ、モグ。
一瞬、陛下の動きが止まった。
カッと目が見開かれ、次の瞬間、その目尻からツーッと涙が流れた。
「……美味いッ!!」
王の威厳もかなぐり捨てた絶叫だった。
「なんだこの肉の旨味は! 柔らかい! 歯がいらないほど柔らかいのに、肉を食っているという満足感がある! そこに、この大根おろしの清涼感と、酸味の効いた黒いタレ(ポン酢)が合わさり、脂の重さを完全に消し去っている!」
陛下は白米をかきこんだ。
「合う! この米という穀物に、肉が合いすぎる! 止まらん、誰か余を止めてくれ!」
「ち、父上!? 毒です! それは毒なんです!」
リナが悲鳴を上げるが、陛下は箸を止めることなく、一気に完食してしまった。
そして、満足げに息を吐き、スッと表情を引き締めてリナとジュリアン様を振り返った。
「……リナよ。余は決めたぞ」
「は、はい! ついに処刑命令ですね!?」
「うむ。……貴様の作る『健康食』とやらは、本日をもって王宮への持ち込みを禁止する」
「は……え?」
リナがポカンと口を開ける。
「余も我慢していたのだ! 『健康のため』と出される、味のしないスープ! パサパサのパン! あんなものを毎日食わされて、余の心は死にかけていた! このハンバーグ一口に込められた幸福量は、貴様の料理一年分にも勝るわ!」
「そ、そんな……私の愛が、脂身に負けたというのですか!?」
「愛など感じん! あるのは自己満足の押し付けだけだ!」
陛下はバッサリと切り捨て、次いでジュリアン様を睨みつけた。
「そしてジュリアン。貴様もだ」
「えっ、お、俺ですか!?」
「このような素晴らしい料理を作るシェリル嬢を追放し、あのような味覚音痴の女を選んだ貴様の目は節穴か! 王としての資質を疑う!」
陛下は宣言した。
「リナ・バーンズ。貴様は聖女の称号を剥奪し、北の農場へ送る。そこで土にまみれ、作物を育てる苦労を一から学ぶがよい! そしてジュリアン! 貴様は王位継承権を一時剥奪する! 一介の兵士として騎士団に入り、ライオネルの下で根性を叩き直してこい!」
「い、いやぁぁぁ! 農作業なんて嫌ですわぁぁ!」
「そ、そんな……父上、お待ちください!」
近衛兵に引きずられていくリナ。
ジュリアン様は慌てて私の方へ向き直り、カウンター越しに縋り付いてきた。
「し、シェリル! 頼む、助けてくれ! お前からも父上に言ってくれ!」
「私が? なぜです?」
「俺たちは愛し合っていたじゃないか! なぁ、俺はやっぱりお前がいい! 料理が上手くて、美人で、賢いお前が! やり直そう、今すぐに結婚しよう!」
見苦しい。あまりにも見苦しい。
私は冷めた目で見下ろし、最後通告を突きつけた。
「殿下。……いいえ、ジュリアン様」
私はフライパンを洗いながら、淡々と言った。
「料理は、冷めたら温め直せば美味しくなります。でも、人の心は一度冷めたら、二度と元には戻らないんですよ」
「ッ……」
「貴方がリナさんの薄っぺらな料理と甘い言葉を選んだ時点で、私という『メインディッシュ』は貴方のテーブルから下げられたんです。……おかわりは、ありません」
私の言葉に、ジュリアン様は絶望に顔を歪め、崩れ落ちた。
「連れて行け」
陛下の合図で、ジュリアン様もまた、ズルズルと引きずられて店を出て行った。
その情けない背中を見ても、私の心は痛みもしなかった。
あるのは、厄介払いができたという清々しさと――これからの商売への意欲だけ。
「さて」
店内に再び平和が戻る。
陛下が、空になった皿を愛おしそうに撫でながら言った。
「店主よ。……おかわりは、あるか?」
私はエプロンの紐を締め直し、満面の笑みで答えた。
「はい、喜んで! お客様へのおかわりは、いくらでもご用意いたします!」
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