第13話
『月待ち食堂』の店内に、ヒヤリとした沈黙が落ちた。
入り口を塞ぐように立つ二人の男。
王宮騎士団長ライオネルと、宮廷筆頭魔術師ルーカス。
彼らが放つ圧倒的なプレッシャーに、聖女リナの背後にいた取り巻きの貴族たちは、ガタガタと震え上がっていた。
「な、な……なぜ、お二人がここに……?」
リナの声が裏返る。
彼女にとって、この二人は王宮内でも別格の存在だ。
「聖女」の威光など通用しない、実力至上主義の頂点。
「なぜ、だと?」
ライオネル団長が一歩踏み出した。
床板がミシリと音を立てる。
「今は昼時だ。人間が飯を食いに来て何が悪い」
「そ、そうですけれど! ですが、この店は『悪』なのです! 国民の健康を害する、脂と糖質の温床なのです! 騎士団長たる貴方が、このような不潔な店に出入りするなど――」
「不潔、か」
ライオネル団長は、鼻を鳴らして店内を見回した。
磨き上げられた床、一点の曇りもない窓ガラス、整然と並べられたカトラリー。
「俺の目には、王宮の厨房よりも清潔に見えるがな。それに『健康を害する』だと?」
彼は自身の分厚い胸板をドンと叩いた。
「ここに通い始めて三日。俺の剣のキレは全盛期に戻り、部下たちのスタミナは倍増した。先日の演習では、隣国の騎士団を相手に圧勝したぞ。これのどこが不健康だと言うんだ」
「そ、それは……一時的な興奮状態にあるだけで……!」
「黙りたまえ、非科学的だ」
冷徹な声が割り込んだ。
ルーカス様が、床に転がっているリナ特製の『聖なるクッキー(という名の固形飼料)』を杖の先で拾い上げた。
「ふむ。炭化した小麦に、未処理の薬草繊維……これは『食品』というより『建築資材』に近いな。これを人間に摂取させることこそ、傷害罪に当たるのではないか?」
「なっ!? 失礼な! そこには私の『愛』と『祈り』が込められていますのよ!」
「愛や祈りで物質の化学組成は変わらんよ。……それに比べて、この店の料理は」
ルーカス様は、厨房の方へと視線を流した。
今日の『日替わり定食』の仕込み――鉄板の上で焼かれるハンバーグの音が、ジュウジュウと聞こえてくる。
「メイラード反応によって引き出された肉の旨味。火を通すことで甘みを増した玉ねぎ。それらを繋ぐパン粉と卵の黄金比……。全てが計算され尽くした『完全な栄養食』だ。君の感情論とは次元が違う」
「う、ううっ……!」
論理武装した魔術師と、物理攻撃力最強の騎士。
二人に詰め寄られ、リナは後ずさりした。
だが、彼女のプライドがそれを許さない。
「わ、わたくしは聖女ですのよ! 次期王妃になる女です! 私の決定は、この国の決定です! 皆さん、この無礼者たちを捕らえなさい!」
彼女は背後の親衛隊に命令した。
しかし。
「ヒッ……む、無理ですリナ様!」
「相手が悪すぎます! 国一番の英雄と賢者に剣を向けるなんて!」
「お、お母様ぁー!」
親衛隊の少年たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ出してしまった。
「ちょ、ちょっと! 待ちなさい! 薄情者!」
店内に残されたのは、リナ一人。
それでも彼女は震える手で、自身の胸元のペンダントを握りしめた。
「こ、こうなったら……実力行使ですわ! 聖女の『浄化の光』で、この店も、貴方たちもろとも吹き飛ばして――」
カッ!
彼女の体から、眩い光が溢れ出そうとした。
攻撃魔法だ。こんな狭い店内で放てば、店は全壊するだろう。
「させん!」
ライオネル団長が剣の柄に手をかけようとした瞬間、それより早くルーカス様が指をパチンと鳴らした。
「『術式解体』」
シュン……。
リナの放とうとした光は、風船が萎むように呆気なく消滅した。
「え……? あ、あれ? 魔法が……?」
「君の魔力制御はお粗末すぎる。感情に任せて放出するだけのエネルギーなど、私の前では児戯に等しい」
ルーカス様は冷ややかに言い放ち、カウンター席に座った。
「店主。騒音は消した。いつもの席で、今日の『ハンバーグ定食』を頼む。……ソースはデミグラスでな」
「俺もだ! ライスは大盛り、目玉焼きトッピングで!」
二人はリナのことなどもう眼中にないといった様子で、注文を始めた。
完全に無視されたリナは、顔を真っ赤にしてプルプルと震えている。
「く、屈辱……! こんな屈辱、初めてですわ! 覚えてらっしゃい! ジュリアン様! ジュリアン様に言いつけて、貴方たち全員、処刑していただきますからーっ!!」
リナは金切り声を上げ、涙目で店を飛び出していった。
――バタンッ!
扉が閉まり、ようやく店に平和が戻った。
「ふぅ……お二人とも、ありがとうございます。助かりました」
私が頭を下げると、ライオネル団長はニカっと笑った。
「気にするな。俺は俺の飯を守っただけだ」
「そうだ。それに、あの聖女のヒステリーには我々も辟易していたからな。いい気晴らしになった」
ルーカス様も眼鏡の位置を直しながら頷く。
「でも、王太子殿下に言いつけると言っていましたよ? 立場的に大丈夫ですか?」
私が心配すると、二人は顔を見合わせて、ニヤリと悪い顔をした。
「フン。あの王太子が、今さら何を言える?」
「ああ。むしろ、彼が一番『ここ』に来たがっているのを、我々は知っているからな」
そう。
リナは頼みの綱であるジュリアン様が、既に私のオムライスに陥落していることを知らない。
そして、そのジュリアン様自身も、まだ諦めてはいなかった。
翌日。
最強の騎士と魔術師によって撃退された聖女の訴えを聞き、ついに「元凶」である王太子が再び店に現れる。
だがそれは、リナが望むような「悪役令嬢の成敗」ではなく、泥沼の修羅場の幕開けだった。




