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新しい門出に(奴隷視点)

「おい!さっさと運べ!!」


 尻を思い切り蹴られた。ろくな飯を食べていないので、力が入らず膝をつく。

 ぎろりと睨みつけて、浅い呼吸で息を整えた。


「貴様…僕を誰だと…」

「はあ!?」


 手に持った鞭で、二、三発打たれた。


「次、そんな態度を取ってみろ。飯抜きだ。元貴族くん」

「くっ……そぉぉっ…」


(痛い)


 身体中が痛い。


「はあ、はあ…うっ!!」


 深く呼吸をすると、腹部に障る。手痛くフッた令嬢に刺された傷は、とっくに塞がっている。けれど、刺さったナイフが筋肉を傷つけた上に癒着を起こし、今でも浅い呼吸しかできない。


「なぜ僕がこんな目に…」


(馬鹿な父が爵位も領地もいらぬなどと国王陛下に縋ったばかりに…)


 父が今どうしているのか、僕は全く知らない。刺した令嬢がどうしているのかも知らない。なにしろ、令嬢の名前なぞとっくに忘れてしまったのだから。


 今の僕を支えているのは、どこまでも愛し抜いた婚約者の、遠慮がちな笑顔を思い出すことだけだ。


「マリーア……迎えに来てくれ、マリーア。次に会えたら、ちゃんと消えない痕をつけてあげるから」


 淡々と仕事をこなしていた奴隷たちから、ジロジロと白い目が向けられる。


「早く結婚しよう、マリーア。間違って変な所に来てしまったんだ。お前が全然迎えに来ないからほら、誰も僕を貴族だって信じてくれない」


 他の奴隷たちがせせら笑った。


「あいつは何を言ってんだ」「気にすんな、いつものことさ」「貴族のご令嬢様がいつか迎えに来るんだとよ」「けっ!白馬の王子様じゃあるまいし」「そんなハゲ頭で何夢見てやがんだ」「ほっとけ。気が違ってるのさ」


 鏡も髭剃りも与えられないけれど、僕は以前とちっとも変わらぬはずだから、すぐに見つかると思うのだが。


(ちんたらしやがって。迎えに来たら、叱らなければ)


 要領は悪いかもしれないが、今頃血眼になって愛しい僕を探しているはずだ。


(まあ、この見窄らしい服がいけないな)


「なんだ、ニヤニヤしてるぞ」「きもちわりぃ」「ほっとけほっとけ」


 僕は彼らを一瞥した。


 お前たちが直視できないほど煌びやかな装飾品を身につけていたんだ。そう思うと、奴隷たちの言葉などただの可哀想な働き蟻の捨て台詞にしか思えぬ。


 哀れなものを見る目で微笑む。

 奴隷たちはお互い目線を見合わせると、またせっせと仕事を始めた。


(可哀想に)


 そう思った時だった。


「大丈夫か!マリーア」


 マリーア、その名前にふと川上を見た。

 純白のドレスを着た、あの美しいマリーアが川の水に足を浸して、小鳥のようにはしゃいでいる。


「マリー…ア?」


(ああ、やっと迎えに来てくれたんだね)



 ウェディングドレスを着て、今こうして結婚の約束を果たす為に。


 次こそは、素直に君を美しいと言える。そう心に誓ったのだ。


(マリーア、綺麗だ。とっても、綺麗だよ)


 気持ちだけがどんどん先行する。怪我の後遺症で、早く歩くことができない。


「早く、僕を…ここから……」


(…は?)


 なぜか、マリーアを抱き上げる者がいる。


(リシュエル・ハイデンロー!!なぜあの男がここにいる?)


 その時、マリーアが僕を見た!


(ああ!僕だよ、君の婚約者…)


 君はなぜか首を傾げて、困った顔で笑っている。

 まるで僕を全然知らない人みたいに。

 思わず手を伸ばす僕を、ハイデンローは睨みつけた。


「待っ……」


 ハイデンローはそのまま、マリーアを攫ってしまった。


 そうして無情に馬車は往く。僕を残して。


 玻璃の窓から不思議そうに僕を見つめる君が、遂に見えなくなって水面に膝をついた。


 川の水が、久方ぶりに自分自身との対面を叶えた。


「……誰だ、お前」


 そこには、ストレスですっかり後退してしまった頭と、剃ることさえ許されない髭面の、痩せこけた男が映っていた。

 虚な瞳は、ぽっかりと穴が空いたように昏い。


 すう、とマリーアの履いていたヒールが、僕の横を流れていった。あの馬車と一緒だ、そう思うと振り向くことすら億劫だった。


「マリーア、行かないでくれ…僕を迎えに来ておくれ…僕を僕を僕を…!!!」


 絶望に膝をつく僕の背中に、再び鞭が二、三発打たれた。


「またお前か。今日の飯は無しだ」


 ばしゃん、僕は顔から川に倒れ込んだ。

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