火傷の痕がある私
ホーネスト邸で夜を明かして明朝王都へ出立すると言ったのに、リシュエルはそれを許さなかった。
私がしばらく滞在できるように、既に諸々の準備は済んでいるというので、それに甘えることとなる。
ハイデンロー邸の庭で採れたというハーブを使ったお茶を飲みながら、リシュエルは私の手を包んだ。
「提案があるんだ」
「なあに?」
「君のその火傷の痕、嫌じゃなければ綺麗に治してみないか?」
「……え?」
(やっぱり、リシュエルはこの痕を気にしている…)
どくんと重たく心臓が跳ねた。リシュエルは何か懸命に説明しているようだけれど、話が全然頭に入ってこない。
「…それでさ、……というのが…で……マリーアのその…にも……じゃないかと」
「リシュエル?」
はきはきと、時に笑みを浮かべながら熱弁していたリシュエルは、私の声に振り返るとギョッとした顔で
問うた。
「マリーア!?な、なんで泣いて…」
「ごめんなさい、私…」
がたん、と音を立てて立ち上がったものの、すぐに立っていられなくなって、その場に蹲った。
リシュエルは慌てて私の肩を抱く。
「マリーア?一体どうし…」
「……火傷の痕のある私を、愛していたのじゃなくて」
「…は?」
「過去の…ダステムと婚約する前の私を愛していたの?」
「何を言っているんだ?」
「お生憎様、どうやったって過去は消せないし、火傷の痕は一生残るかも知れない。過去に戻ってやり直すことなどできないのよ」
「……君は…俺の心を否定するのか?」
「リシュエル…!」
「火傷の痕があろうがなかろうが、君を愛する気持ちに少しの違いもない。ただ…」
長い前髪をぐしゃぐしゃに掴んで、歯を食いしばっている。こんなリシュエルを初めて見た。
「…君が少しでも前を向くことができるなら…そう思っただけなんだ」
「え?」
「すまない、無理強いするつもりはない」
「リシュエル!」
去っていく背中に手を伸ばした時、強くその手を払われた。
やってしまったという顔をして傷ついているリシュエルは今にも泣いてしまいそうだった。
「…叶うなら、君の困難に立ち会った奴らを全員殺してやりたいさ」
「っっっ!」
「すまない、少し一人にさせてくれ。屋敷の中ならどこでも好きに見て回って構わない」
遠のいていく足音を追いかけるほどの気力はなく、ぺたりと椅子に座り込んだ。
(リシュエルを傷つけてしまった…)
私が前を向くために、火傷の痕を綺麗に治したいという。
そっと頬に触れてみる。焼けるような痛みが蘇った。火傷自体は治っているのだから、そんなはずはないのに、今も時折こうして痛む。
サンルームのテーブルに置かれたカップが二つ、妙に切なさを助長させた。
堪らなくなってしまい、私はサンルームを出るしかなかった。
(好きに回って構わないと言っていたけれど…)
子どもの頃から何度も遊んだ屋敷、そう変わり映えもしない。けれど、調度品がいくつか流行りのものに変わっていた。
(リシュエルの好み、なのかしら)
しかし、どう見ても可愛らしいものばかりである。
(こっちは猫足、こっちはロカイユ…)
リシュエルはもっとシックな物が好みだった気がする。
階段を上がって右に折れると、リシュエルの書斎があるはずだ。
きっとここにいるかも知れないと思って、逡巡の末ノックをしたが、返事はなかった。
「リシュエル?いないの?」
ドアノブを回して、そっと中を覗いてみたが、そこにはやはり彼の姿はなかった。
微かに残る、リシュエルの気配だけがそこにある。一日の大半をここで過ごしていることは明白であった。
そっと机に触れてみる。自然に訳もわからぬ笑みが溢れた。
(それにしても…)
「換気した方が良さそうだわ」
窓を開けると、カーテンがふわりと踊った。机の上に置かれていた瓶を撫でて、瓶は音を立てて床に転がる。
慌ててその瓶を拾った。
「…これは……」
「…リシュエル様は、マリーア様と婚約を解消されたあの日から、酷い頭痛に悩まされているのです」
突然後ろから声をかけられて、肩が跳ねた。
「ヤ、ヤイル…?」
それはハイデンロー家の老執事、ヤイルであった。
「お久しぶりでございますな、マリーア様。この度マリーア様と婚約に進む旨、主人から聞き及んでおります」
「え…頭痛……?頭痛って…リシュエルはそんなこと、一言も…」
「……一度はご自身の手で守ると決めたマリーア様が、心配で堪らなかったのでしょう。流れる噂を聞くたびに、痛み止めを飲む量は明らかに増えていきました」
「そんな……」
「貴方様の笑顔こそ、リシュエル様がこの世界に生きている喜びなのだと思います」
「なら、私が初めから関わらなければ…リシュエルは苦しまずに済んだのかしら」
「いいえ、それは違います。マリーア様とのご縁がなければ、苦しみがない反面、リシュエル様にとって実につまらない人生だったでしょう。良いではないですか、リシュエル様はこれからマリーア様の笑顔と共に人生を歩めるのですから。リシュエル様にとって、これほどの喜びはないでしょう」
「……酷いことを…」
「…はい?」
「リシュエルに酷いことを言ってしまった。火傷の痕がある私を愛せるはずがないと」
「それは…酷うございますな」
「ヤイル…」
分厚いレンズの眼鏡をくいと上げて老執事は言った。
「適当なところもある主人ですが、貴方様を一途に思い続ける心だけは人生で唯一誇れることであると、そう思っていらっしゃる」
「……リシュエルは?」
ヤイルは十五度のお辞儀をすると「庭園に」と言った。
ヤイルは、私が書斎を飛び出した後、「やれやれ」という風に小さく首を振った。
「いやぁ、甘酸っぱいですな」
ふぉっふぉっふぉっと笑ったヤイルは、瓶の中にラムネ菓子をざらざらと補充した。
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