結婚して欲しい
「そこまでにしないか」
その声に振り返ると、随分急いだのか、息を切らしている男がホールの扉を押さえる格好で膝に手をついていた。
(あれは確か…)
そう、確かレベット・カシリオン伯爵じゃないだろうか。
私とダステムが向かい合っている間に立ち入って乱れた髪を掻き上げた。
レベットの向こう側で、ダステムは狼狽している。
「…次から次に、なんなんだ…」
「おい、ダステム。お前はもうマリーア嬢と婚約破棄したんだろう?なんだって二人で向き合っているんだ」
「レベットには関係のないことだろう」
「ああ、関係ないね、君たち二人の過去のことなんて」
「はあ?」
レベットはやおら私に向き直ると、がさがさと音を立てて数えきれないほどの薔薇の花束を差し出した。
「…え?あの…」
「マリーア嬢、今まですまなかった」
(すまなかった…?)
一体何についての謝罪なのだろう。もしこれがお詫びの花束というのなら、随分と大袈裟である。
「私はこのダステムに丸め込まれて、今まで君に随分と酷い態度を…」
「丸め、込んだ?ダステムが?」
一体何を、そう言い切る前に、レベットはキッパリと言った。
「マリーア嬢は思ったはずだ。なぜ理由もなく紳士達の態度があからさまに酷いのだろうと…。けれどそれは、皆が君欲しさにダステムから受けた忠告を信じたからだ。マリーア嬢が欲しければ、尊大な態度を取れと」
(欲しい…?)
ダステムはレベットの肩を引いて「おい!」と言った。
「なんだ、事実だろ!?マリーア嬢に尊大な態度を取れと言ったよな!?後はダステム、お前がマリーア嬢を言いくるめる約束で」
「やめろ!」
「蓋を開けたらどうだ!ここにいる殆どの紳士にそんなことを言っていたんじゃないのか!?」
ざわざわとあたりが騒がしくなる。
「マリーア嬢と婚約した時からおかしいと思っていたんだよ」「相手はダステムだから仕方がないと思っていたが…」「つまり俺たちは嵌められたって訳か」「やはりお前もか」「ということはお前も?」「そんなことにも気づかないお前らが悪いね」「なんだと!?」「なんだよ!」
火傷の記憶が蘇って、まるで顔が焼けるような痛みが走る。
『壁の花に追いやって、追いやって、僕のものにするまで、どんなに手間暇をかけたと思う。そう仕上がるまでに、二年だ』
あの日から、頭の中で何度も繰り返し響いた言葉だ。
壁の花に追いやった。つまりは、ここにいる者達が私に対して行っていた行動の全ての元凶は…
(どこまでも最低な男だわ)
ダステムがおどおどしている一方、なぜかレベットは胸を張っている。
そして、今度はなぜか膝をついて薔薇を高く掲げて見せた。
「社交界でこれだけ話題になっては、嫁ぎ先に困るだろう。私が責任を取る。結婚して欲しい」
「………は…はい…?」
周囲の騒めきは、やがて怒号となる。
「どうしてそうなる!」「ならば僕が!」「いいや私が!」「レベット!!貴様!!」
ガラス玉のように無垢な輝きを放っているレベットの瞳は、一遍の悪意も感じられない。
だから余計に
腹が立った。
「静かにして頂戴!」
気がついたら、私は息を切らしていた。こんなにも大きな声を、生まれて初めて出した気がする。目の前がチカチカした。
しん、と静まり返るホールの床には、よく見ると転々と薔薇の花や花びらが落ちていた。無惨に踏まれたそれを見て思う。
(ああ、私みたいだな)
と。
レベットは何度も生唾を飲み込んでから、私へと差し出す薔薇を引っ込めようとしない。それどころか、妙に高揚して緊張しているようにさえ見える。
何に期待しているのだろうか、この男は。
「…マリーア嬢、私は…」
「レベット・カシリオン伯爵」
「は、はい!」
「その求婚、お断りします」
「良かった………え!?」
レベットは思い切り動揺して、髪を掻き上げたり、後ろを振り向いたりして、まるで落とし物をした人のようである。
「ど、どうして!?」
「どうして?貴方は今まで私に対する態度について謝罪されたではないですか」
「ええ、そうですよ!?それがどうして…」
「なのに、なぜ今持ってそんなに偉そうなのでしょうね」
「え、」
「嫁ぎ先に困るだろうから責任を取って?随分と見下されたものですわね」
「だって、父君はカビ入りワインを販売して慰謝料の支払いに追われているそうじゃないか。トノール家を助ける意味でも…」
「…はあ」
頭が痛くなって、ため息をついた。全然お話が通じない。きっと、理解もできていない。
(結局、ダステムなど関係なく、貴方達の心根が問題ということだわ)
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