貴方、最低だわ
不思議と湯浴みは染みなかった。
(ラベンダーオイルのおかげ、なのかな)
丁寧にオイルを塗り広げながらリーンが言う。
「…ハイデンロー邸に行ってらしたのですね?」
「リーン、貴方のおかげで助かったわ」
坂を駆け上って急いで帰ると、侍女が門の前で待っていてくれた。私を招き入れると即座に門を締め、ブランケットも本も回収してくれたのだ。
「もう、私肝を冷やしましたよ。突然いなくなるんですから…」
「ごめんなさい」
「…でも、少し嬉しくもあるんです」
「え?」
「ダステム様と婚約していた頃のマリーア様はどこか萎縮していて、決して今回のような感情に動かされることなどしなかったと思うのです。リシュエル様のお陰、なのかもしれませんね」
「リーン……」
「あ、申し訳ありません。私、彼の方の名前を出したりして…」
「良いのよ、気を遣ってくれてありがとう」
(そうか…確かに今までの私なら、あんなことしなかったと思う)
「リシュエル様とはお話しできたのですか?……マリーア様?」
「あ、いえ、その……」
くちづけをしてしまった。リシュエルと。
(なんでこんなにどきどきしているんだろう)
リシュエルは幼友達で、でも、元婚約者で…。
唇の感触が蘇って、触れた場所が熱っている。
(あのまま婚約していたら、そうしたら…)
「マリーア様?どうされたのですか?」
「う、ううん。何でもないのよ?」
リーンは、何かを悟ったように目を細めて「ほほう?」と言った。
「何かございましたね?」
「なんでもないったら」
「ふふ、本当にリシュエル様と仲がよろしいのですね。久しぶりにうきうきしているマリーア様が見られて嬉しいです」
「うきうき…」
私は何にうきうきしているのだろう?
例えばリシュエルの気持ちに応える未来があったとしたら…こんな気持ちになるのだろうか。
こんこん、と扉をノックする音が響いた。
「失礼するわね」
「お母様?お休みにならないの?」
「しばらくしたら休むつもり………」
「何か?」
「マリーア、なんだか火傷の様子が良いみたいね」
「もうすっかり痛みは引きました」
「そう、良かったじゃない。私、もっと長引くかと…」
ベッドに腰掛けた母の隣に私も掛けた。
「…お母様、怒らないで聞いてくださる?」
「何かしら」
「この火傷、あるオイルを塗ったのよ。これなんだけれど」
「ラベンダーオイル?」
「これ、リシュエルが火傷に効くからって、私にくれたのよ」
母はとても複雑な顔をして、オイルと私を見比べた。
「お母様もお父様も、今回のことで私に気を遣ってすごく慎重になっているのは分かるの。けれど…こんなに私のことを考えてくれる友人は他にいないわ?」
「友人…?それは違う。リシュエルは貴方のことを本気で愛しているのよ」
「でも…」
「その気持ちを知っていながら友人を続けるつもりなら、最低だわ」
「そんな」
「私だって、デビュタントも済ませた娘のことをそこまで干渉したくないわよ。でも、あんなことがあって……まだ傷も癒えていないのに、どんどん未来に歩き出そうとする貴方が心配なのよ」
まずは火傷を、心の傷を治すことが最優先、なのだろう。
母はオイルを手にとってラベルを繁々と見ている。
「私、リシュエルと過ごして少しずつ前向きになっている気がするの」
ひとつため息をついて、オイルを私の手に戻すと母は「話があるわ」と言った。
「…来週、建国祭があるでしょう?」
「え?ええ…」
「建国祭に合わせて王都に帰ろうと思うの」
「王都に…帰る…?」
「トノール家のワインが試飲会で選ばれたのでしょう?私宛の手紙に、一応伝えておくなんて書いてあったのよ。こんなこともあるのねえ。そうなれば私たちが建国祭に行かないわけにはいかないじゃない……マリーア?」
「トノール家のワインが、選ばれたのですか?試飲会で?」
「…あなた、知らなかったの?」
「試飲会で倒れて、それから火傷を負って……お父様が助けれくれて…だから私てっきり…」
今までトノール家のワインが選ばれたことなんてなかった。だから今年もいつものように終わると思っていた。
(ああ、そうか…)
父は自分の功績などよりも、私の事を最優先に考えてくれたのだろう。だから敢えて私に伝えもしなかったのだ。嫌でも火傷を負った時のことを思い出すから…。
父は建国祭で使うワインの手配もあるだろうに、婚約破棄のために奔走してくれたのだ。
ずきり
(…痛い)
治りかけていたはずの火傷がずきずきと傷んだ。
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