流れる動揺
目の前の彼女の目は、困ったような、焦ったような緊張を孕んでいる。
包帯と包帯が交差する隙間。その僅かな隙間から、俺を鋭い視線で捉えている。
じとっ、と嫌な汗が流れた。詰まりそうになる喉を、なんとか誤魔化して「やあ」と手を上げた。明らかに声が上擦ってしまう。
「帰っていたのか、マリーア!久しぶりに会えて嬉しいよ」
マリーアの口は声に出さず「どうして」と言った。それには気が付かないふりをする。少し大股で、いつもの調子で近づいた。
「…リシュエル」
振り絞ったようなくぐもった声がする。
マリーアに落ちる木々の影が濃くなった。俺が上から見下ろしているからだ。
にこりと笑って手に持っている花束を差し出した。
「夫人、庭で剪定したダリアです」
「…頂くわ、いつもありがとう」
夫人は俺とマリーアとを目線だけで交互に見てから、立ち上がる。
「…ごめんなさいね、お茶をお出ししたいところなんだけれど、これから来客があるのよ」
「そうでしたか、ではこれで失礼します」
夫人はちらりと固まっている娘を見た。
(ああ、来客など、嘘なのだな)
と悟って、真意を汲む。
「マリーア、帰ってきていたのなら教えてくれないか?花束を君の分も用意できる」
「あっ……」
それでやっとマリーアは俺を見上げた。
包帯のせいで表情は分からない。分からないけれど、強い意志の目は幼い頃から変わらない。そしてそれはなによりも自身の動揺を雄弁に語っていた。
「……君の滞在中、時々来ても良いかな」
「それは……」
「なんだ、どうせ暇なのだろう?街の中央に美味しいスコーンの店ができたし、落ち着けるカフェだってできたんだぞ。この街は発展しているんだ、凄いだろ!」
「それは…知らなかったわ…」
さっきから、得体の知れないどろどろとした澱が溜まっていくようだ。きっとお互いそう感じている。
「聞いて驚くなよ、そのカフェはな、お持ち帰りとやらができるんだ。だから、君の好きなカフェオレなんかをクリームたっぷりにしてここへ届けてやることもできる」
「まあ!それは本当!?」
「…なんだよ、幼友達の来訪の方を喜べよ…」
「あっ…」
どろどろとした澱が、落ちるのを止めた。
今、マリーアの意識はほんの少し顔の包帯を忘れている。目がキラキラして見えた。
赤面しそうになるのを咳払いで誤魔化す。
「スコーンにクロテッドクリームを付けたやつと、クリームがいっぱい入ったカフェオレを今度来た時に持ってきてやる」
「カカオニブをかけてくれなくては嫌だわ」
「それにシナモンだろう?いつも思うが、あれの何がうまいんだ…」
「私はあれが好きなの。…いつだったか、ご馳走したら一口で止めたのだったわね」
「いろんな味がして意味がわからない」
「まあ!」
一年ぶりだなんて嘘みたいに微笑み合う。少しだけホッとした俺は、来ることのない来客のために、その日は帰ることにした。
笑顔で手を振って見せ、「また近いうちに」と言って踵を返した。
(なんだ…)
心臓がバクバクしている。
(なんなんだ、あの包帯は……)
口元に手を当てて、嗚咽を漏らしそうになるのを懸命に堪える。
(顔に怪我を?しかも、広範囲に…)
異質な布は、マリーアの美しい顔を覆っていた。あの怯えようは、ただならぬ事態を訴えているように感じる。
(夏でもないのに急に帰ってきたところを見るに、婚約者とやらが関係しているのか?)
門を出てからは全速力で駆け、屋敷に戻った。
✳︎ ✳︎ ✳︎
頭を下げて迎え入れたキースという若い執事は、俺の顔を見るなり狼狽えた。
「どうかされたんですか?いつもよりおっかないですが…」
構わず、ずんずんと大股で廊下を進み、書斎に駆け込むと、机をガンと叩いた。
キースが後から駆けてくる。
「…あの、リシュエル様?本当にどうされたので…」
はあ、とため息をついて髪をかきあげた。
「マリーアがシューリムに来る前、王都で何があったのか調べろ」
ただならぬ事態に、キースは居住まいを正して「かしこまりました」とだけ言って、頭を垂れる。
「…マリーア様がシューリムに戻られているのですか?何があったのです」
「今、夫人に花を届けに行ったらマリーアがいた」
「それは…単に結婚の準備が落ち着かれたので、遅めのバカンスに来ているでは?」
「…包帯が」
「え?」
「顔に包帯が巻かれていて…一目では彼女だとわからないほどだった…!!」
窓から差し込む西陽が、キースの動揺をありありと映し出している。言葉を失った執事は、ただ立ち竦むばかりだった。
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