突然の再会
「それでね、おじいさまったらおかしいのよ」
母はカップに入った紅茶を両手で包み込んで楽しそうに話している。
まるで顔の包帯など気にする様子はない。
「…お母様、その、王都にはもう戻られないのですか?」
「……」
母はおばあさまの焼いたレモンクッキーを一つ頬張ってから、紅茶を飲み下した。
シューリム独特の穏やかな空気の中に、ほんの少しだけ緊張の糸が張った。
「……どうかしらね」
「離縁、なんてことは…ないですわよね?」
「さあ、それもどうかしら」
「お母様!」
「夫婦のことは誰にもわからないものよ、そう、例え自分の子どもでも、ね」
堪らない気持ちになってじっと見つめると、母はふっと微笑んだ。
「いいじゃない、ここにいる間くらいは、何も考えずにいたいわ」
「じゃあ…」
「そうねえ、お父様がきちんと私と向き合って、ここに迎えに来たら…その時考えるわ」
そんなことを、するだろうか。プライドが高い父のことだ。出て行った妻を追いかけるなんてことは考えられない。
(そう、今までは…)
「お母様、信じられないかもしれませんが…。私が火傷を負った時、お父様は大変お怒りでした。私にではなく、ダステムにです」
「……」
「ポットの紅茶を頭から注がれる私を見て、ダステムを殴り飛ばしたのですよ!?自分で言っていても、とても信じられません」
「…マリーア……」
「それで、リンドーネ侯爵宛に抗議文まで認めて!シューリムに来たのだって、お父様の後押しだわ。なんだか人が変わってしまったようなのよ……お母様?」
紅茶を包む手がぶるぶると震えている。遂にはカップを落として顔を覆った。
「っっああ!」
「お、お母様!?」
「っっううぅっっ!マリーア!!ごめんなさい、マリーア!!」
「どうされたのですか!?おかあ…」
「私があの時、無理矢理にでもあなたをシューリムに連れてきていたら…お父様を説得して婚約破棄を進められていたら……!貴方がこんな目に遭わなくて済んだのに!!」
ものすごい力で私を抱きしめると、母は後悔してもしきれぬ様子でただただ泣いた。
「お母様……」
「……あなた、ひとつ大きな勘違いをしているわ」
「勘違い、ですか?」
私の肩に両手を乗せるようにして対面すると、涙でぐちゃぐちゃになった酷い顔で母は言った。
「貴方は、お父様と私の大切な娘だわ。貴方は自分が思っている以上に、私たちにとって大事な宝物なのよ」
「ですが……」
「言ったでしょう?お父様は貴方のことを大切に思うあまり、拗らせているって。貴方はお父様がダステムを殴り飛ばしたことが信じられないみたいだけど、私からすれば、よくそれだけで済んだと言いたいくらいよ」
「そう、なのですか?」
母は手のひらや袖で涙を拭くと、立ち上がり窓を開けた。泣き腫らした顔が不思議と綺麗で、美しい景色の中に佇む絵画のようだ。
「まだ、私たちが一年の半分はシューリムで過ごしていた時、お父様は貴方のことが心配で心配で、週末になるとシューリムまでわざわざ来ていたのよ」
「…覚えていますわ。あの頃は、家族が今のようにギスギスしていませんでした」
「そうね。ある時からお父様は貴方の全てに慎重なった。貴方が幼い頃は、ちょっと転んだだけでわあわあと狼狽えて大変だったのよ?」
覚えているような、いないような。頭で勝手に作ってしまったような光景が浮かんだ。
(あまり実感が湧かない)
コンコン、と軽いノックが響いて侍女のリーンが「包帯の交換に参りました」と言った。
母はまだ顔の火傷を見る覚悟がないのだろう、「失礼するわ」と言って扉に向かった。
「そうそう、庭の金木犀がとても綺麗なのよ。まだゆっくり見ていないでしょう?たまには外の空気を吸いに行きましょう」
「そうですわね。楽しみだわ」
花が好きな母のことだ。シューリムに帰ってから、きっと一日中庭にいるのだろうなと思って少し笑った。
✳︎ ✳︎ ✳︎
甘い香りが立ち込める庭を、思い切り駆けた。トノール邸では許されないことも、ここでは気にする者もいない。限界まで腕を伸ばしてみせ、くるくると回る。ワンピースの裾が大きく膨らむ。
「本当にすごく良い香り!」
「でしょう?来た時には気づかなかった?」
私は照れたように笑う。火傷のことが気がかりでそれどころではなかったのが本音である。
大きな金木犀がずらりとならぶ木陰の下にブランケットを敷くと、母と二人で腰を下ろした。
「よくここで貴方に絵本を読んだわね」
「ええ。うさぎ探偵は今でも好きですわ」
「大人が読んでいても面白かったもの」
東家やベンチもあるが、ここから見える黄金の稲穂や高い空、沈んでいく夕陽を観るのが堪らなく好きだ。
「…本当に、シューリムは美しいですわ」
「ええ、そうね。王都の洗練された美しさとは違う、自然の美しさよ。流れる時間も、空気も、ここでは全てが特別なのよ」
同じ一日なのに、なぜだかとても穏やかで長く感じる。
王都の人たちは、シューリムを田舎だと馬鹿にする人もいるけれど、それはただ王都から距離があると言うだけのこと。
(距離が…)
お父様は私のことが心配で、毎週末シューリムまで来ていた。記憶が正しければ、月曜日の朝、私が目覚めると父は王都に帰った後だった。
はっとして母を見ると、遠くに広がる金色の稲穂を眺めていた。
「お母様…」
「貴方は、確かに愛されているのよ」
私の思考を読み取ったように母が言った。
「……はい」
私の頬を両手で包み込む母が、私の目をしっかりと見た。
私は本当に、大きな勘違いをしていたのかもしれない。
「あら?」
母の目線は私を追い越す。首を伸ばして、誰かを見ている。
それで
私は思わず後ろを振り向いた。
そこには、かつての婚約者であるリシュエル・ハイデンロー伯爵が花束を抱えて立っていた。
「マリーア……?」
一陣の風が髪の毛を遊ばせる。
(こんな姿を見られてしまった)
どうして良いか分からない私は、ただリシュエルを見つめることしかできなかった。
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