血のワイン(マリーアの父親視点)
(驚いた…)
大のワイン好きが集まる特別室に招かれた。そこで、我がトノール家の熟成ワインが口々に絶賛されているのだ。
「いやあ、毎年試飲会には必ずオールドワインが一本出ているなあとは思っていたのです」「あれはトノール伯爵のワインでしたか」「今まで好んで若いワインばかりでしたが…やはり深みが違いますな」「うむ、ご婦人を中心に若いワインが好まれますが、流れが変わりましたな」
私としては特別力を入れているわけでもない、ワインの思いがけない評価に驚いた。
祖父のワイン好きが高じて所有していた蔵だ。他人に手渡したらあの世で父と祖父が怒りそうだし、かと言って所有しているだけでは意味がない。蔵の維持費や人件費のために細々と稼動させていたにすぎない。知名度も徹底的に、ない。
(だいたい、私は好んで飲まぬ。好きでもないものを自信を持って他人に勧められない)
ドマーニ公爵がにんまりして言った。
「そうでしょう、そうでしょう。何を隠そう、私はトノール家の熟成ワインの大ファンでね」
「大のお得意様でございます」
私は頭を下げると、公爵は片手をひらひらとさせた。
「トノール殿はほれ、下戸な上に大のコーヒー党だろう?ザルで紅茶派の私とはまるで正反対なのだ」
「左様でございますな…」
「だが、面白いことにワインは一等うまい!」
「祖父から譲り受けた蔵ですが、喜んでいただけて何よりでございます」
「ああ!!トノール家の熟成ワインがこのように評価されてしまったら…!!!ウチに仕入れているワインがなくなってしまうのではないか!?」
「ご心配には及びません。ドマーニ公爵家へのワインは、例えどんなことがあろうとも滞りなく通常通りお送りします」
それを聞いて、公爵は本気でホッとしている。
「…ところで、そろそろ戻らなくて良いのか?人気を集めたワインが発表される頃だと思うが…」
「そうでございますな」
「……」
「公爵殿?」
「ああ、いや。うむ……」
「???」
「娘の、マリーア殿は、元気にしておるか?」
「はい、変わりなく。先日結婚のご挨拶に伺ったそうで、失礼はございませんでしたか」
「真面目を絵に描いたような君の娘だ。失礼なことなどありはせん。妻はマリーア殿を絶賛しておったからな」
「恐縮でございます」
ぺこりと頭を下げ、扉を開けた私に、つかつかと公爵が近づいてきて耳打ちした。
「……ダステムには気をつけられよ」
「…え」
「あれは、とんでもない男だぞ」
いくら酒に強いワイン好きな集まりとは言え、皆酔っ払っている。それぞれが話に花を咲かせ始め、私たちを気に止めるものなど、誰もいなかった。
公爵は続ける。
「破談にするならした方がいい」
「しかし……」
「まあ、私は部外者だ。当人同士の事情など分からぬから、なんとでも言えてしまうがな」
私は再びぺこりと頭を下げて部屋を後にした。
(何があった。一体、何が…)
ドマーニ公爵とリンドーネ侯爵は母方同士が遠縁の親戚筋だ。
王家の血を引くドマーニ家と、領地運営と城の維持に四苦八苦しているリンドーネ家が懇意にしているにはそんな訳がある。
それなのに、公爵があそこまで言うからには、よっぽど腹に据えかねることが起きたのだ、と推察される。
(あの…手土産を持って行った、あの日に何か起きたのだ)
別に、マリーアがダステムと結婚したからと言って、公爵家やひいては王家に取り入ろうなどという目算は勿論ない。ただ娘が好きな男と結婚したいと、そう言ってくれたことだけが全てなのだから。
(第一、私はそう言うことは好まぬ)
俯き歩く私の耳に、わあ!と言う歓声と拍手が聞こえてきた。
(まずい、急がねば)
思わず歩幅を大きくした時、前から重そうなドレスの裾を片手で持ち上げて駆けてきたご令嬢とぶつかった。
「きゃあ!!」
「うっ!!!」
ご令嬢が持っていたグラスの中身が溢れる。
赤い、赤い液体だ。
(シミを作ったら大変だ!)
世界一落としにくいワインは、淡い色のドレス目掛けて跳ねる。
瞬間的に手を伸ばした。
ばしゃ。
皮肉にも、ワインの香りが、一等芳しく感じられた。
「っっ!!ああ!」
幸い、ワインは私のジャケットを汚すにとどまって、ほっと胸を撫で下ろす。
「…すまない、大丈夫ですか?」
「ああ、ごめんなさい…ジャケットが……え」
白粉を塗りたくった顔は、表情を変えることなく、固まった。
よく見ればそれは、ダステムと腕を組んで歩いていたご令嬢だった。
赤い液体が皮膚まで染みていく。
(ああ…っ!)
脳裏に火花が散るような勢いで、マリーアの額の怪我を思い出した。
娘とは似ても似つかぬ目の前のご令嬢の額を、ただじっと凝視した。
まるで時が止まってしまったかのようだ。
「今年、一番人気を集めたのは、トノール家のオールドワインです!!!」
わああああ!!
大歓声が聞こえる。まるで別世界での出来事のようだった。
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