それぞれの視点(後半、ダステム視点)
会場のどこかにいるお父様に、もしこの光景を見られてしまったらと思うと恐ろしくて上手く歩けない。
まるで沼の上を歩いているみたいに、地に足がついている感覚がない。ちらりと前を歩くダステムを見た。
(どうしてそんなにへらへら笑っているの…)
幸いなことに試飲会は既に始まっているので、お父様は会場入りする私たちに注目する暇はないと思いたい。
ダステムは腕に巻き付いた子爵令嬢と一緒に、使用人が運んできたワインを煽る。
「なんだこりゃ、酷い出来だな」
「私にはよく分からないわ。どれも同じじゃない?」
「それが全然違うのさ、君、次のを持ってきたまえ」
使用人は頭を下げる。程なくしてダステムのところへ次から次へとワインが運ばれていった。
やがて私のところにもワインが運ばれてきた。好奇の目と、嘲笑うような声の中、震える手でグラスを取る。
どうにかこの場から逃れられないだろうか、そんなことばかりが頭の中を支配する。なんとか入り口あたりの柱の影に身を寄せることに成功した。
ホッとする。
遮断された空間が、少しでも視線を集めない場所が、拠り所となる遮蔽物が。
「おかしなやつだなぁ、ダステムは。身を固めるなら軽率なことは控えたほうが身のためだ」
そんな声が聞こえてきて、ふと後ろを振り返る。顔まではよく分からないけれど、二、三人の紳士が何やらダステムを見て陰口を言っているようだった。
「あいつは元から女遊びが派手じゃないか」
「だからトノール伯爵令嬢と婚約したんだろ?」
思いがけない言葉に、血が下がって倒れそうになった。心臓がばくばくと脈打っている。
(それは…一体、どういう…)
つい聞き耳を立てると、男性の1人が蔑むように言った。
「まあ、確かにどうせ何人と浮気したって、トノール伯爵令嬢は咎めそうにないからな」
(ああ…)
バン!!と音がした。くるくると視界が回っている。
状況がよく理解できない。
私が聞いていることを知ったらしい紳士たちは、まずいという顔をして焦っているが、どうも景色が逆さまだ。
(あれ?)
上手く立てない。
(私、倒れて…?)
気がついた時には意識が途切れていた。
✳︎ ✳︎ ✳︎
腕に絡まるダナエ子爵令嬢から、むせ返るような白粉の匂いがする。
社交界の流行は、白過ぎるほどに乗せられた白粉と、限りなく細いアーチ状の眉…。
(何が良いんだか…)
身体のラインだけは立派だから、相手として不足がないだけで、くだらぬことに手間暇をかけるその顔面には反吐が出る。恐らく多くの男性はそう感じている。
だが、目立つ女は良い。そういう女を幾つになっても侍らせてこそ、男である。
(この視線、実に気分がいい)
この高揚感は何物にも代え難い。人生で唯一勝ち誇った気分になれる時だ。
とはいえ、こんな化粧臭い女を屋敷に入れたくはないのが本音だ。だから後腐れのない関係が一番いいのである。
(僕の妻は、マリーアでなければならぬ)
「あら?このワインは、随分他のものと違うのねえ」
「ああ、これはエイジングワインだ。熟成されていて、今の流行とは対極だな」
ふむ、と思う。今年はワインの不作年なのだろう、どれも同じような若いワインは低品質なものばかりだった。
その中で、このエイジングワインは異彩を放っているように感じる。
(まあ、実のところそこまで深い知識もないのだが…)
試飲会の評価は、美味しかったと思うワインボトルの前に、グラスを置くというものである。
見れば、ずらっと並んだボトルの中で、今年はエイジングワインの前にグラスがたくさん並んでいた。
(好みが分かれるエイジングワインだが…。今年において言えば、まあ、妥当だろうな)
「ねえ、どれに置くの?」
甘ったるい声が絡みついた腕から聞こえてくる。
むくむくと湧き起こる情動を、誰にぶつけようかと思案した、その時だった。
バン!!!
グラスが割れる音と、「きゃあ!」だの「わあ」だの言う叫び声がする。
さほど気にもせず、六杯目のワインを煽った。
「マリーア様!?マリーア様、大丈夫ですか!?しっかりしてください!!」
女が叫ぶ声がする。腕に巻き付くダナエが言った。
「まあ!マリーア様ですって」
「ああ?」
「もう、酔っ払って!マリーア様が倒れられたんですって!」
「マリーア…?」
ぐわんと酔いが回る。「マリーア」と「倒れた」という言葉が結びつくのに少々時間を要した。
僕は瞬間的にダナエを振り解いて、人だかりへと駆けた。
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