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本音(マリーアの父親視点)

 妻が出て行った。


 夜中、ごそごそとベッドから抜け出した妻は、クローゼットを開けると鞄を持ち出して部屋を出た。


 寝たふりをしてやり過ごしてから、むくりと起き上がる。

 私は眠りが浅い方である。少しの物音で起きてしまう質だ。


(手洗い…というわけではなさそうだな)


 ガラッとクローゼットを開けると、何も吊るしていないハンガーがいくつかぶら下がっていた。よく見ると、妻が一番気に入っているワンピースだとか、よく着ていたドレスだとか、そういったものがない。


(前から準備していたのか)


 クローゼットをピタリと閉めてから、ソファに沈む。首だけを曲げて、暗く、高い天井を見た。


(いつからだろうか。いつから出ていこうなどと考えていたんだ)


 今夜は少し冷える。風邪をひかぬと良いが。

 ふと気がつくと、テーブルの上に置き手紙らしいものが置いてある。


 疲れたので、暫く実家に戻りますと始まるその手紙には、私に対する文句がずらずらと並べてあった。


 行き先を書いているあたり、本気で離縁を考えているわけではないのだろう。書いてなくても、行き先などそんなに多くはないことは分かっているが。


(暫く距離を置くのも良いだろう)


 不思議と怒りは湧かなかった。私とて、意見の合わない妻からぽつりと言われる一言に疲弊していたからである。


(それにしたって、直接言えば良いじゃないか。こんな、家出みたいな真似をして)


 と思ってから、なるほどと思う。きっと妻が直接「出て行く」などと私に言ったら、修復もできないほどの大喧嘩になっていただろうことは容易に想像ができる。


「…結局は、私の度量の問題か」


 分かっているのだ。いちいち細かいところだとか、価値観が古いことだとか、おまけにすぐ頭に血が上って、相手が萎縮するまで追い詰め、余計なことを言ってしまう自分自身の性格を。

 それを認めるのが、ましてや家族に謝るなんて恐ろしくてできぬ。

 けれど、他ならぬ家族を愛すればこそ、いちいち細かくもなり、心配するからこそ道を違えぬよう過ぎた干渉をしてしまう。


「自分で自分が嫌になる……」


 そう思うからこそ、出て行く妻を追うことができなかった。





✳︎ ✳︎ ✳︎





 マリーアは「揃いのドレスでは行かぬ」と言った。


(どういうことだ!まるで何も知らないという顔をしているのも気になる…)


 気持ちが急いて、娘より一足早くトネリー家に着いた私は、この日行われるワインの試飲会の為に用意した今年初出しのワインとエイジングワインの二種類を使用人に手渡した。

 この試飲会の発起人であるジョン・トネリー伯爵が「お!」と手を上げて私に駆け寄った。


「どうですか、今年の出来は」

「お久しぶりですな、トネリー殿。ウチは熟成させたワインの方がおすすめですがね」

「トノール殿は素晴らしい熟成蔵をお持ちですからなぁ!いやあ、羨ましい」


 トノール家は先々代より、北のポルモル地方に天然の地下蔵を所有している。どんなワインもまろやかで深みのある味わいに変化する蔵だ。熟成ワインはその期間によって、だんだんとチョコレートのような香りに変化するが、何層にもなる地下蔵の置く場所によって、フルーティーな香りからウッディーな香りまで様々に調整することが可能であった。


「ドマーニ公爵様も、トノール家の熟成ワインは絶賛しておりますからなぁ」

「いつも喜んで頂いております。しかし、私自身があまり飲まぬので、どちらかといえばコーヒーの方に力を入れておるのですがな」

「ははは!いつもビジネスは思わぬ風が起こるものですからな」


 社交界において、トノール家といえばコーヒー、そんな印象が強いだろう。私自身が積極的にワインの話をしないし、年に一度のこの試飲会で熟成ワインを出すくらいである。

 よほどのワイン好きでない限り若いワインを好む傾向にあるので、今回初めて初出しワインを持ち込んだ次第だ。

 とはいえ、好きな人はたまらなく好きなのが、熟成ワインである。ワイン好きであるドマーニ公爵は、大のお得意様なのだ。


(…マリーアがドマーニ公爵を訪ねた際、手土産にワインを薦めなかったのは、意外性に欠けるからだ)


「おっと、いつの間にかこんな時間だ。そろそろ会を始めるとしますかな」


 周囲を見渡すと、いつの間にかたくさんの人たちで溢れていた。

 私はたくさんの試飲をすることができぬので、なるべく端の方へと壁に身を寄せた。


 その時、みんなの視線が入り口に集中した。


(なんだ?)


 首を伸ばして見ると、そこには知らぬ女と腕を組んで屋敷に入ってくるダステムと、その後ろを背を丸めて付いてくるマリーアがいた。

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