結婚相手は、別にお前でいいやって
「今日は、確かトネリー家が開催するワインの試飲会だったな?」
母が突然出ていき、眠れない夜を明かした私は、どんな風に父と顔を合わせようか思い悩んでいた。
(結局わからないまま、朝食の時間だわ…)
父はいつもと変わらぬ様子で、まだ温かいパンを頬張った。
いつもの光景だ。違うのはそこに母がいないことだけ、である。
「もちろん、ダステム殿と揃いの衣装で行くんだろう?」
「いえ、まさか。彼と向かいますが、ドレスは自分で用意したものを着ますが…」
父は少し妙な顔をしてから、またパンを頬張って、それからコーヒーを飲んだ。
(なによ…)
父はサラダを少し残してナプキンを口元に当てると、食事の席を立った。
「母さんが出ていった。察するに、夜更けにお前の所へ寄ったんだろう。試飲会へは、私一人で行く」
「え?ええ……」
長年連れ添った伴侶が出ていったと言うのに、あの短気な父がなぜこうも普通でいられるのだろうか。
(まさか本当に…修復もできないほど、冷め切っていたのだろうか…)
確かに、父は高圧的だし性格にも少々難があると思う。けれど、夫婦仲が悪いかといえば、そこまでではなかったと思う。
昨晩、母から聞かされた時にそれほど思いつめていたのかと驚いたほどだ。
(ならばやはり、私とダステムが婚約してから何かあったのだろう)
さっさと食事を済ませてしまった父の後ろ姿を見送って、すっかり冷めてしまったパンを頬張った。冷めてもエビのビスクと相性が抜群である。
(それにしても…)
建国祭などの式典ならいざ知らず、ワインの試飲会くらいで婚約者と揃いのドレスを着るのか問うなんて、些か妙だ。
多少の違和感は飲み込むに限る。母が出ていったことで、些細なことが父のトリガーになりかねない。
(こういうことの積み重ねがお母様の家出を決心させたのかもしれないわ)
朝食を済ませて、父から遅れること数十分、ダステムが迎えに来たので馬車に乗り込んだ。
「……はっ!相変わらず化粧映えしないな」
あんなことがあったのに、馬車が出発すると開口一番ダステムはそう言った。
あの日のお茶会で、明らかに装いが乱れているダステムは、キューレー夫人に泣きついている私とバッチリ目が合うと面倒くさそうに言った。
『なんだ?また始まったのか?』
少々慌てているロメリアは、ダステムのことを信じられないと言う目で見た。
『はあ…マリーア、君はいつもそうだ。僕の行動を監視しなければ気が済まない。少しでも気に触ると浮気だと決めつける』
ダステムの作り話に『何を言い出すのです』と制したのはキューレー夫人だった。
彼は面倒くさそうに両手を広げてから
『たまたま庭を散策していたらお会いしたので、戻りましょうかとなって二人で歩いてきただけですよ。帰る方向は同じなのに、距離を空けて歩くほうが不自然でしょう』
『言い訳はそれだけですか?タイが随分崩れているようですが』
『ふっふふ、キューレー夫人まで、何を仰っているのですか。この陽気です、庭を散策していたら汗をかいただけのことですよ。ご婦人方の会で、男臭いのは僕だって気にします』
私の肩を抱いたまま、夫人は無言で睨んでいる。「もういいですか」と言って立ち去るダステムと、その後を追うようにサロンへ戻るロメリア。
夫人は、二人が聞こえるか聞こえないかという声量で牽制した。
『自慢の庭園が穢れるわ』
ダステムの方は聞こえなかったのかもしれない。けれどロメリアの方は、ちらりとこちらを見た。
(そんなことがあったばかりなのに、悪びれる様子もない)
「おい、なんだよ、返事くらいしろよ。それとも何か?まだあの日のことを気にしているのか?」
「……」
「なんだ?なら、僕のありもしない浮気が原因で婚約を解消するか?言っておくが、この僕が結婚してやると言っているんだぞ?」
「…そこまで言うなら……」
「はあ?」
「そこまで仰るなら、どうぞお好きな令嬢と結婚なされば良いでしょうに!」
(い、言ってしまった)
はあ、はあ、と息が切れている。拳が震えている。汗が、吹き出した。
(こんなことを言うなんて…自分でも訳がわからない)
心配すべきは父のことではない、自分自身だったとこの時気がついた。色んなことがありすぎたのだ。私はもう、限界をとっくに超えていた。
「ぷっ……くくくくく」
「なっ…何がおかしいのですか」
「馬鹿だな、お前」
こつ、と私の額に人差し指が突き立てられた。
「この俺が、お前で妥協してやると言っているんだよ」
こつ、こつ、こつ、と指で額を何度も小突かれる。私はそれを振り払って思い切り大声を出した。
「だ、妥協?将来の伴侶ですよ!?それを…妥協!?どういうつもりで私に求婚なさったのですか!!!」
「あ?ああ。結婚相手は、別にお前でいいやって」
あまりにも衝撃的で、言葉も出なかった。
(こんな、人だったっけ…?)
私は確かにダステムの優しさが好きになった。
社交界で地味だなんだと貶されて、ダンスもまともに誘われない壁の花の私に、優しく声をかけ続けてくれたのはダステムだけだったのだ。
ぎゅうと足を踏まれた日、今日はもう帰ろうと駆け出した私の手を取ったのは、他ならぬダステムだった。
面白かった!続きが読みたい!と思ったら、
ぜひ広告下の評価を【⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎】→【★★★★★】にしていただけたらモチベーションがアップします!よろしくお願いします!




