表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

*帰国そして鎮魂行脚*

太平洋の航海から無事日本に帰って来た咸臨丸そこで大老井伊の暗殺の話を聞出で仰天。そこから嘆声の大獄で犠牲になった人の鎮魂の墓参が始まります。

放談第23話: ~咸臨丸アメリカへ行く~ (続20話つづき)完

      *帰国そして鎮魂行脚*

放談者: Sir****AI ChatGPT

MrO: 大畑 直晴 昭和20年生 80歳 宮城県在住


〈第20話より〉

⋆⋆⋆⋆⋆サンフランシスコの市内見物 ⋆⋆⋆⋆⋆

MrO**いよいよ明日は。サンフランシスコの市内見物、たのしみだね。

万次郎**迷子にならないように気を付けましょう。挨拶はお辞儀ではなく、手を振ってください。これ、”アンチョコ”です。


Sir****何かね?

万次郎**英語の挨拶の仕方を勉強しましょう。

「こんにちは」、は・・・・・・”ハロー”

「私たちは日本から来ました」、は・・・・・・”ウイ・ケイム・フロム・ジャパン”


⋆⋆⋆⋆⋆これいくら?は「ハウ・アッチ」 ⋆⋆⋆⋆⋆

「これいくら?」は・・・・・・”ハウ・マッチ”です。よろしいですか。

MrO**ハローはいいが、あとは覚えなれないねェ。

万次郎**じゃあ、こう覚えてください、”ウイ・ケイム・フロム・ジャパン―わたしたちは日本から来ました―は”『おい、けむい風呂、じゃァ』、”ハウ・マッチ”―これいくら?―は『はぁ・あっち』と。これなら覚えられるでしょう。

MrO**これいくら?は・・・・・・『はぁ・そっち』ですね。

万次郎**”ソッチ”、ではありません、”アッチ”です。

Sir****”そっち”、でも、”あっち”でも同じだと思うがね。

MrO**通じますか?

万次郎**期待しましょう。それに,それにアメリカ人は元来親切です。心配いりません。 野次られても腹を立ててはいけません。軽く聞き流してください。


⋆⋆⋆⋆⋆ピストルを頭に載せた日本人 ⋆⋆⋆⋆⋆

MrO**ちょん髷を結った髪、紋付き袴に日本刀を差した「サムライ」は、アメリカ人の興味を引き、好奇心の的でしょうな。

Sir****サンフランシスコの市民にとっても東洋の珍客がやってきた。それが異装束となれば興味が尽きない、市中の話題をさらっうと思うね。

MrO**さぞかし我々は、”チンドン屋”が通りを練り歩いているような感じで見られていかも知れません。でも、私はそんなことより初めて見る街並みに驚きと興味は尽きなかったね。


⋆⋆⋆⋆⋆万次郎と諭吉の買い物 ⋆⋆⋆⋆⋆

万次郎**この時の地元の新聞に私と福沢諭吉さんが買い物をした記事が出ています。読みますね。


万次郎**「2人の日本人が来店し、ウエヴスター辞書を指定した」と。

MrO**注文したのは勿論万次郎さん、あなたですよね。福沢諭吉さんはどうだったのでしょうか。

万次郎**もう一人の客は手に取って本を眺めていたとあります。その時の店主の驚きが載っていますよ。


⋆⋆⋆⋆⋆万次郎辞書を買う ⋆⋆⋆⋆⋆

万次郎**流暢な英語で辞書を注文、彼は「その辞書の価値をよく理解しているようだった」と。

Sir****日本人が辞書の価値を知っているとは店主にとって驚きだった?


万次郎**店主と別れ際、私は名前を聞かれました。私はジョン・万次郎と答えると店主はやはりそうでしたか!といってました。

Sir****ジョン・万次郎と言えばアメリカでは相当名前が知れていたんですね。納得です。


⋆⋆⋆⋆⋆福沢諭吉の教育者の萌芽 ⋆⋆⋆⋆⋆

万次郎**買い物をしながら、福沢さんから質問攻めにあいました。

MrO**福沢さんはどんな質問でした。

万次郎**日本の教育に必要なことは何かと聞かれました。私は、「日本では素読や講義が重視されていますが、討議し、自らの意見形成、発表力を身に付けることです」と答えました。

Sir****福沢さんは何と答えましたか

万次郎**あなたのおっしゃる通りですね、私も日本の教育に疑問を持っていたところです、と。

Sir****福沢さんに将来の教育家の萌芽が見えますね。


⋆⋆⋆⋆⋆万次郎の買い物リスト ⋆⋆⋆⋆⋆

万次郎**私の買い物リストは次のようなものです。

1・ウエブスター辞書

2・アメリカ海軍史

3・図示アメリカ史

4・アメリカ海軍天文調査書

5・代数学原論

6・物理学入門

7・機械工学原論

8・カメラ 1

9・ミシン 1

10・アコーディオン 1

Sir****まったくの学術書類だねぇ、それに「カメラ」「に「ミシン」に「アコーディオン」とか万次郎さんはメカにも強よそうだ。船員たちに見せたら魂げるだろう。


⋆⋆⋆⋆⋆カメラ・ミシン・アコーディオンの驚き⋆⋆⋆⋆⋆

MrO**それよりもカメラなどは、着物の前合わせが右と左に反対に写るので写ると死んでしまうと気味悪がって近か寄らないかったそうだ。

Sir****右前が左前に写るのは確かに不気味だね。

MrO**ミシンはすでにペリー提督が、徳川家定に贈呈しているから船員たちも知識だけはあったと思うがね。

Sir****そういえばアコーディオンの最初の輸入は1829年と記録されいるようだがこれも船員たちにとっては「驚き、桃の木、山椒の木」だったろう。


Sir****・・・・・・ところできみが万次郎さんだったらこの三種の神器どうするかね。

MrO**わたしですか。わたしは原理究明で分解して三種の神器もたちまち形無しだと思いますね、徳川慶喜のように。万次郎さんも研究心旺盛ですから実用に用いるつもりより。実験機材として購入したのではないですか?


Sir****万次郎さんにとっては西洋文明も原理さえわかれば「ただの箱」かも知れないな。

万次郎**当たらずとも遠からずかもしれません。

MrO**福沢さんも抱えきれないほど買い込んでいました。

万次郎**あなたはどんなものを買われました。

MrO**私ですか。西洋人形と、絵葉書と、縫いぐるみを買いました。

Sir****きみ、これじゃまるで修学旅行のお土産じゃないかね。

MrO**・・・・・・すみません、こんなもので。


MrO**福沢さんで思い出すのは、船中で寝っ転がって本を読んでいた姿を思い出しますね。

Sir****あの不貞腐れようは尋常じゃなかった。

MrO**万次郎さんは福沢さんと仲がいいようです。われわれは福沢さんが海の者か山の者か分からないでいるのです。

Sir****彼が何者か聞きたいね。何せ1万円の男だからね。


⋆⋆⋆⋆⋆万次郎と福沢諭吉 ⋆⋆⋆⋆⋆

万次郎**皆さん福沢さんに興味おありのようですね。

MrO**彼は何者です?

万次郎**あの時は福沢さんは人生の岐路に立っていたのです。

Sir****船中で今後どうすべきか悩んでいたのかね。

万次郎**福沢さんは長崎へ遊学してオランダ語を学び、勇んで日米修好通商条約の横浜に来ました。自分の身につけたオランダ語が外国人に通じるかどうか試してみたかったのでしょうね。

MrO**チャレンジャーでしたね。。

万次郎**ところが、そこで使われていたのはもっぱら英語で、諭吉さんが苦労して学んだオランダ語はまったく通じず、大きな衝撃を受けたようです。


Sir****そこで諭吉さん、どうしました。

万次郎**諭吉さんは英語を学ぶために、ツテを頼りに機会を得て木村摂津守に拾われ咸臨丸に乗船したのです。

Sir****決して「不貞腐れていた」のではなかった、わけだ。

万次郎**それからはみなさんご存じの通りです。


⋆⋆⋆⋆咸臨丸一路日本へ ⋆⋆⋆⋆⋆

万次郎**「咸臨丸」の修復が完了し、日本へ帰る準備が整いました。

Sir****オヤッ、勝艦長が何か騒いでますよ。帰りに勝艦長がブルック大尉の部下数名を雇うと言っているようです。


MrO**きっと、来るときの苦労が骨身にしみて、帰路が心配なのでしょう。

Sir****出発のとき、木村摂津守がブルック大尉に実技指導をお願いした際、『われわれの力を見せつける絶好の機会』と空威張りしたものの、帰路はさすがににこの空威張りは消えたようだね。

MrO**空威張りのこと忘れているのかな。

万次郎**この話は、勝艦長がアメリカ人水兵4名と調理師1名を雇用することで決着したようです。名目は咸臨丸に病人が出てこの地に留まる人の補充でした。


⋆⋆⋆⋆⋆木村摂津守の寄付 ⋆⋆⋆⋆⋆

万次郎**出航近くになって木村摂津守が私に尋ねられました。

Sir****何か?


万次郎**「お世話になったサンフランシスコの人々にお礼をしたいが、何か良い考えは考えはないか」と。

万次郎**アメリカの教会は様々な慈善事業を展開しているので、教会へ献金するのはどうでしょう、と申し上げました。


MrO**木村摂津守はどうしました。

万次郎**「じゃあ、私財のすべてを教会に献金し、心からの謝辞を伝えよう」と言っておられました。

Sir****これはまた恐れ入った話だね。

MrO**木村摂津守がこの咸臨丸渡航に捨て身の覚悟だったことが分かるじゃありませんか。


⋆⋆⋆⋆⋆木村摂津守の二つの献金 ⋆⋆⋆⋆⋆

万次郎**私もそうだと思います。

MrO**さすがだね。

万次郎**実は木村摂津守にもう一つの献金の話があるのです。


万次郎**咸臨丸の今回の航海で傷んだ個所の修理が終わったので、木村摂津守は造船所の所長にお礼を述べた後、修理費を払おうとしたが、公のことだからと言って所長は受け取らなかったのです。

MrO**木村摂津守は困りましたね。

万次郎**その通りだと思います。


Sir****お金の処理に困りそのお金も教会へ献金した、とか。

万次郎**このお金は教会ではなく、修理費に見合う二千五百両を、軍人の未亡人団体に寄付した、とあるのです。・・・・・・この話どう思われます。


MrO**木村摂津守は手持ち資金が潤沢にあった?

万次郎**そうかも知れません。この話、出来過ぎていると思いませんか。


万次郎**この二つの話、「教会へ献金」と「未亡人団体へ寄付」の話は、出所が違っているのです。

ある資料には、「教会へ献金」とあり、別の資料には「未亡人団体の寄付」とあります、どちらも片方だけ載っていて二つ同じ資料に記載されていることはありません。

Sir****・・・・・・ということは、元々一つの話が、何処かで異なって伝えられてしまった、かも知れないな。


万次郎**その可能性もあると思われるのです。

Sir****きみはどう思うかね。

MrO**「一つの話が異なって伝えられた」ことは否定できませんが、今となっては真偽を糺すのは難しいのではありませんか?

万次郎**おっしゃる通りです。その後木村摂津守とはお会いしておりませんので。


⋆⋆⋆⋆⋆木村摂津守の献金の名解釈 ⋆⋆⋆⋆⋆

Sir****わしは、無理に真偽を糺すこともないと思うがね。二つともあったとしてもいいじゃないかね。

MrO**それも一つの方法ですよね。木村摂津守は「献金」も「寄付」もした。こっれって誰に迷惑のかかることもない、いい話じゃないですか。

万次郎**その通りです。大岡裁判にも劣らぬ名判断ですね。これ以上詮索せず、このままにしましょうか。

Sir****木村摂津守を写真で見ると、丸顔で目が大きい人で、忠臣で温和篤行、少し気弱で隠し事など出来そうもないタイプだね。諭吉の乗船を許可をしたとき、諭吉の向学の熱にほだされたと聞いています。


⋆⋆⋆⋆⋆万次郎ホイットフィールド船長宛へ手紙 ⋆⋆⋆⋆⋆

Sir****万次郎さんがホイットフィールド船長宛に手紙を書いているね。簡単に読んでみよう。

「1860年5月2日 サンドウィッチ島にて

船長 ウイリアム・H・ホイットフィールド様

尊敬する友よ

私はここに手紙をしたためることに、この上ない喜びを感じております。

私は、あなた様に、もう一度お目にかかりたいと、いつも切望しております。

もし、この願いがかなえられましたなら、どんなにか幸せなことでしょう。

ところで船長、ご子息たちを捕鯨船にお出しになってはいけません。

それよりも、日本へお寄せになってはいかがでしょうか。あなた様のご同意さえあれば、私がお世話をいたします。

・・・・・・

日本に到着した際は、改めてお手紙を差し上げたいと存じます。

私はあなた様が、日本にお出になることを切に希望したしております。

・・・・・・

私の衣服をお送りいたしました。新しい品ではございませんが、記念の品としてお受け取りください。

私は、いつまでもあなた様の友人であります。

ジョン万次郎。

⋆⋆⋆⋆⋆1860年6月23日浦賀 ⋆⋆⋆⋆⋆

Sir****さあ、浦賀に着いた。アメリカへ行くときは文字通り難行苦行だったが。帰りは嵐にを会わず順調だった。

MrO**はしけでみんな、手を振ってるね。お帰りなさいと言っているのかな。

Sir降りるとき忘れものしちゃいやですよ。ゴミ一つ残しちゃいけません、残すのは足跡のみ。

Sir****そうか、そうか。飛ぶ鳥跡を濁さずだったね。

・・・・・・

MrO**さあ、降りすよ。港には人が一杯います。パンパカパ~ンとラッパを鳴らす帰国の歓迎でもあるといいね


⋆⋆⋆⋆⋆井伊大老の暗殺を知る ⋆⋆⋆⋆⋆

Sir****チョット待て、なんとなく騒がしいね。大勢いるのは港の役人だ。それに持っているのはパンパカパ~ンのラッパでなく、たすき掛けで取り押さえの棒だ。

MrO**木村摂津守にも勝麟太郎さんにも役人が付き添っている。外国帰りの逮捕じゃないですよね。あゝ木村摂津守も勝麟太郎さんも帰国の挨拶もそこそこに役人と足早にいなくなった。

MrO**向こうに奉行所の役人がいます、何があったのか聞いてきます。

・・・・・・

MrO**Sir大変です。天下の一大事。井伊大老が暗殺されたそうです。国内騒然として、せっかくの咸臨丸のアメリカ渡航は水の泡かも知れません。

Sir****なんだって!そんなことが・・・・・・。役人が多いのは取り締まりでなく、アメリカ帰りの者のテロリストからの護衛なんだ。


――― 一行はこの事件を知らず旅を続けた。この事件を知ったのは浦賀に帰ってからで、世相のあまり変わり様に茫然自失だった―――


MrO**Sir逃げましょう。

Sir****まてまて、役人が手招きしている。行ってみよう。

・・・・・・

Sir****・・・・・・どうもテロリストはいないようだ。支度を整えて江戸城へ登城せよと言っている。


⋆⋆⋆⋆⋆万次郎に幕府から褒賞 ⋆⋆⋆⋆⋆

―――後日、無事に航海を終えた日本人乗組員には、木村提督(軍艦奉行 木村摂津守)から祝儀と酒が手渡された。

幕府からは万次郎に「咸臨丸渡航」の功績をたたえられ、銀50枚、時服2着が与えられた。―――


MrO**われわれには祝儀はないのかね。

Sir****そ~云う話は来ないねぇ。きみはこれからどうするね。

MrO**Sir、わたしと二人で一連の犠牲者のお墓参りをしましょう。


⋆⋆⋆⋆⋆犠牲者たちの鎮魂行脚 ⋆⋆⋆⋆⋆

Sir****それはまた粋な計らいだね。

MrO**聞くところによると安政の大獄で犠牲になった人たちは切腹の安島帯刀はじめ獄門・獄死・斬罪が14人に及び、他に遠島・隠居・謹慎など総勢百人にもなるそうです。

Sir****ずいぶん多くの犠牲が払われたね。

⋆⋆⋆⋆⋆刺客者たちのその後 ⋆⋆⋆⋆⋆

MrO**桜田門外の変に加担して井伊大老を刺殺した18名の刺客者たちもは闘死1・自刃4・自訴8・その他逃げおおせても多くは捕縛、斬首、自決に追い込まれたと言われてます。墓所は小塚原刑場近くの回向院だそうです。

Sir****それはまた刺客者と言えども大きな犠牲だねぇ。尊王攘夷派も開国派も日本のために良かれとしたことで死者に罪は着せられな。

Sir****”コズッカッパラ”と聞いただけで鮫肌になりそうだ。供養行脚の旅は欠かせないな。


MrO**わたしもそう思います。安島帯刀と鵜飼吉左衛門は靖国神社、日下部裕之進は青山霊園、吉田松陰は豊国山回向院と墓所もざまざまです。

刺客者は多くはに隣接する回向院に運ばれ埋葬されたそうです。

Sir****墓参ははじめは誰の墓にしようかね。

MrO**やはり切腹と斬罪ので逝った安島帯刀と鵜飼吉左衛門でしょうか。


Sir****それがいいね。神社に祀られるのは寺より鄭重な気がする。大宰府満宮の菅原道真、東郷神社の東郷平八郎は人民に祭られて神になった。


MrO**先の大戦の戦死者も靖国神社に祀られて神になっている。安島帯刀と鵜飼吉左衛門も権力の犠牲になって不本意な死に方をした。彼らの鎮魂には神になってもらいのがいいのかも知れないね。

MrO**花と線香手向けましょう。

Sir****神社では寂しがるだろうな。

MrO**寺には巫女はいませんが神社には巫女さんがいますから、寂しくはないでしょう。わたしのときも神社にお願いします。


⋆⋆⋆⋆⋆年表 ⋆⋆⋆⋆⋆

1860年6月23日「咸臨丸』はサンフランシスコ港を出発。帰路はハワイ航路で平穏。

5月23日、ハワイ、サンドウィッチ諸島のオアフ島入港。

5月25日カメハメハ国王から招待に応じ表敬訪問。

5月26日ホノルル港出航。

6月23日「咸臨丸」浦賀に投錨。

7月 某日~SirとMrO安政の大獄の犠牲者の慰霊の墓参はじまる。


――筆者後記――

1860年6月23日「咸臨丸」浦賀に投錨した。復路は46日間であった。世相は既に幕末となり天地がひっくり返る寸前の騒ぎの中の帰還であった

桜田門外の変が1860年3月3日起こるのは、大老井伊直弼暗殺は咸臨丸がサンフラシスコに入港してから7日後だった。

咸臨丸の航海は幕末の日本の若者たちの隔離されたつかの間の平和であった。そしてその目を大きく世界に広げた誂えの大きな機会でもあった。


MrO**Sir今日はこのへんでお開きにしましょう。Sir、一句出来ました。披露していいですか。


咸臨丸 若者たちの 夢の跡    O


Sir****わしも一句出来そうだ。    


蒸気船 日本を乗せて 行くは何処  Sir


お疲れさまでした。~咸臨丸アメリカへ行く~ と長い間ありがとうございました。

放談第23話: ~咸臨丸アメリカへ行く~(続20話つづき)完

*帰国そして鎮魂行脚*


   ~咸臨丸アメリカへ行く~ 完



*サンフランシスコの市内見物*これいくら?は「ハウ・アッチ」*ピストルを頭に載せた日本人*万次郎と諭吉の買い物*万次郎辞書を買う*福沢諭吉の教育者の萌芽*万次郎の買い物リスト*カメラ・ミシン・アコーディオンの驚き*万次郎と福沢諭吉*咸臨丸一路日本へ*木村摂津守が多額の寄付*木村提督の二つの多額の寄付*木村摂津守の献金の名解釈*木村摂津守の献金の*ホイットフィールド船長宛へ手紙*1860年6月23日浦賀*井伊大老の暗殺を知る*万次郎に幕府から褒賞*犠牲者たちの鎮魂行脚*刺客者たちのその後*年表*――筆者後記――

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ