白い結婚を続ける旦那様に、恋の薬を渡したら
王都の貴族学院の卒業パーティー。
輝くシャンデリアの下、ドレスの裾を揺らし、猫耳をそっと整える。私は、ユリーナ・エルヴァート──猫獣人の公爵令嬢であり、聖獣ドラゴンと心を通わせる聖女。白い尻尾が揺れて、視線を集める。
友人たちと談笑中、婚約者の王太子エドガーが声を張り上げた。
「ユリーナ・エルヴァート公爵令嬢、お前との婚約を破棄する! 獣人の血は王家にふさわしくない!」
会場が静まり返り、貴族たちが息を呑む。私の亜麻色の髪からのぞく猫耳がピンと張り、鋭く外を向く。
お母様は獣人大国の貴族令嬢で、私を生み亡くなった。陛下から婚約を懇願されたのに、一部の偏見を持つ貴族から「獣人の聖女など……」囁きが響く。喉の奥で息が詰まり、ドレスの裾を握る指が小さく震えた。
エドガーは、隣にいるカミラ・ベルモンド男爵令嬢を愛しげに見つめる。彼女の碧いドレスはエドガーの瞳と同じ色で、勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「カミラとの真実の愛に目覚めた。お前では王室の未来を担えない。カミラこそ妃にふさわしい」
「エドガー様、わたくしこそあなたを心から愛していますわ!」
カミラが頬を染めて微笑む。エドガーに恋心など欠片もないが、聖女として国に捧げた努力が踏みにじられ、胸が締め付けられた。
「エドガー殿下、陛下はなんと……?」
外遊中の陛下が、聖女との婚姻で獣人の力を王家へ望んでいるのに。
「陛下は関係ない。潔く身を引け、ユリーナ」
カミラの唇が弧を描く。貴族たちの「聖女を侮辱するなんて!」「男爵令嬢を妃だと?」 という呟きが広がる。私は、我慢の限界を超え、婚約破棄を受け入れる覚悟が固まった。
その時、会場の扉が勢いよく開く。
騎士の制服に身を包んだ騎士団副団長のお義兄様──テオドール・エルヴァートが現れた。
お義兄様は、私がエドガーの婚約者となり後継者が不在となったため、幼少から優秀な彼が公爵家の養子に迎えられた。お義母様の先夫は公爵家の遠縁で、先夫の亡き後、婚家で冷遇されていたそう。
当初は私のために母親が必要という理由で再婚したが、今ではお父様とお義母様は想いあっている。
黒髪に青い瞳、鋭い視線でエドガーを射抜く。
「エドガー殿下、聖女との婚約を勝手に破棄するとは何事だ!」
地を這うような声と鋭い視線に、貴族たちがざわつく。お義兄様が私のそばに進み、護るように立つ。額に浮かぶ汗から急いできてくれたのが分かり、胸がドキドキ高鳴った。猫耳が前向きにピンと張る。
「お義兄様……どうして?」
「知らせを聞いた。ユリーナ、もう大丈夫だ」
お義兄様の言葉に安堵して、騎士服に尻尾がそっと触れた。
「ユリーナは聖女として聖獣ルミエールと心を通わせ、国を守っている。殿下の勝手な行動は、王室と公爵家の名誉を傷つけ、聖獣の怒りを招きかねない」
「テオドール・エルヴァート、部外者が口を出すな!」
エドガーが喚くが、お義兄様は動じない。
「ならば、陛下の裁定を仰ごう。ユリーナ、行くぞ」
お義兄様の手が私の肩に触れ、その温もりに勇気が湧く。エドガーを見据えると、尻尾が逆立ち、大きく膨らんだ。
「エドガー殿下、私、ユリーナ・エルヴァートは、殿下の非道な婚約破棄を受け入れます。この侮辱は、聖女として、公爵家として、決して忘れません!」
エドガーが動揺し、貴族たちのざわめきが大きくなる。お義兄様が私の手を取った。
「よく言った。行くぞ、ユリーナ」
お義兄様に促され、私は振り返らず会場を後にした。
✤ ✤ ✤
エルヴァート公爵家の馬車にお義兄様と揺られる。窓の外を王都の夜景が流れていく。私の猫耳は、緊張が抜けずピンと立ったまま。胸の鼓動も収まらない。
「ユリーナ、大丈夫か?」
労わる声に猫耳がピクンと動く。馬車の中で向かい合うお義兄様は、騎士の制服を少し緩め、厳格な顔に心配の色を浮かべている。四歳年上のお義兄様の青い瞳に見つめられ、胸の奥で熱が広がった。
「はい、お義兄様……助けてくれてありがとうございます」
「気にするな」
お義兄様が微笑み、私の頭をそっと撫でた。大きな手の温もりに猫耳が柔らかく折れ、ようやく落ち着いていく。獣人の私を家族として受け入れてくれた十年前から、お義兄様に想いを寄せていた。
「お義兄様、勝手に婚約破棄を受け入れてしまって、公爵家に迷惑をかけてしまいました……」
「迷惑? そんなことはない。王が獣人の力を請うた婚約をエドガーが踏みにじったのだから、怒るのは当然だ。愚行を犯したエドガーは父上や俺に任せておけばいい」
お義兄様の力強い言葉に、小さく頷き、真っ白な尻尾をそっと膝に抱えた。
✤ ✤ ✤
公爵家の屋敷に戻ると、お父様とお義母様が書斎で待っていた。
「テオドール、ユリーナ、よく戻った。あの愚かな若造め……ユリーナを侮辱するとは、許せん!」
「本当よ、ユリーナちゃんの可愛さがわからないなんて信じられない!」
「王室に抗議と慰謝料を求めましょう」
お義兄様の提案に二人が頷く。皆の視線が私に注がれた。
「ユリーナ、今回の件で心を痛めたろう。だが、お前の未来を決めねばならん。どうしたい?」
「どうしたい……ですか?」
お父様の問いに、猫耳がピンと立つ。尻尾がパタパタと緊張に揺れる。
婚約破棄で私の立場は微妙になってしまった。聖女として公爵家に留まれるだろうが、適齢期の男性はほぼ婚約済み──ただ一人、お義兄様のテオドール・エルヴァートを除いて。
お義兄様の優しい手が頭を撫でるたび、抑えた恋心が溢れそうになる。聖女として、義妹として許されない想いだと知りながら、心が勝手に口を開く。
「お義兄様と……結婚したらダメですか……?」
書斎が静まり返る。心臓の音が聞こえていると思うくらいに鼓動がうるさくて、頬も痛いくらい熱い。お義兄様をおそるおそる窺えば、青い瞳が見開いて固まっている。
お父様が驚いたように眉を寄せた。
「テオドールと結婚か……確かに、陛下はエドガーの失態をなかったことにし、ユリーナとの婚約継続を強いるかもしれない。だが、義兄妹の婚姻は貴族たちの反発を招き、獣人排斥派につけいる隙を与えるぞ」
「陛下は殿下に甘いから、やりかねないわね。でも、ユリーナちゃんの幸せが一番よ。テオドールは、どう思っているの?」
お義母様が心配そうに続ける。
その質問に、緊張で心臓が飛び出してしまいそう。初恋のお義兄様と結婚できたら夢みたいに嬉しい。でも、お義兄様の気持ちはどうなのだろうか──?
お義兄様が拳を握り、青い瞳を伏せる。それから、静かに顔を上げると、書斎の空気が引き締まった。
「俺は、ユリーナを愛しています。義兄として、騎士として、ユリーナが幸せならと思っていました。こんな想いを抱くなんて、許されないと……」
心を吐露するお義兄様を見ているだけで胸が苦しくなる。お義兄様が、お父様をまっすぐ見つめた。
「公爵閣下、俺はユリーナと婚約します。ユリーナと公爵家の名誉を守るため──俺は自分の気持ちに従いたい」
「お義兄様、ほ、本当ですか……!?」
猫耳がビョンと跳ね、心臓がドキドキと高鳴る。
「私も、聖女として、義妹として、ずっと恋心を隠してきました。でも、もうお義兄様を好きな気持ちを我慢したくないんです!」
「ユリーナ、俺も同じだ。必ず幸せにする」
お義兄様が私の手を取ると、温もりがじんわり広がっていく。お父様は目を細めてお義兄様を見つめている。
「テオドール、その覚悟は本物だろうな?」
お義兄様は毅然と頷く。
「もちろんです。ユリーナは聖女であり、エルヴァート家の宝です。それに、俺はユリーナを心から愛しています」
「まあ素敵! 二人なら、きっと、どんな困難も乗り越えられるわ。ユリーナちゃんも本当にいいのね?」
微笑むお義母様に問いかけられ、猫耳がピーンと立つ。
「後悔なんてしません! 私、お義兄様と結婚します!」
「二人の気持ちはわかった。陛下に先を越されぬよう、すぐに婚姻準備を進める。貴族たちの対応は任せておきなさい」
「父上、よろしくお願いします」
「ありがとう、お父様!」
決意を込めて告げると、お父様がうなずき、お義母が抱きしめてくれた。書斎を後にし、自室に戻った私は、窓辺で月明かりを見つめる。お義兄様の妻になる──初恋が実る喜びに尻尾が大きく揺れた。
✤ ✤ ✤
あれから、王家との話し合いが行われ、聖女を続けることを条件にエドガーとの婚約解消とお義兄様との婚姻を認めてもらった。獣人に偏見のある貴族からの反発もあったが、お父様が説き伏せたと聞いている。
大聖堂のステンドグラスから聖なる光が差し込み、祭壇を神聖な輝きで包む。私は純白のウェディングドレスを着て、猫耳はティアラで愛らしく飾る。お義兄様は騎士の礼装に身を包み、青い瞳が凛々しい。
「ユリーナ、永遠に愛すると誓う」
甘く囁かれ、胸がキュンと高鳴る。ヴェールがそっと上げられ、額に優しいキスをくれた。
教会の外では、聖獣ルミエールが空から祝福の光を降らせ、黄金の鱗がきらめく。私たちは永遠の愛を誓い、夫婦となった──。
いよいよ初夜、私は新居の寝室でお義兄様を待つ。お義母様と選んだ、清楚かつ扇情的な夜着に身を包み、華やかな香油の花の匂いが漂う。緊張で猫耳がピクンと動き、尻尾がぷるぷる震える。
「ユリーナ──なんて格好をしているんだ!?」
お義兄様が部屋に入り、目を丸くする。慌てたお義兄様が侍女を呼び、いつものもこもこな部屋着に着替えさせられた。
「薄着だと風邪を引いてしまうだろう?」
「えっ、は、はい……」
肩に手を置かれ、ベッドに誘導される。初夜の始まりかと胸がドキドキ高鳴ったのに、お義兄様は優しく毛布をかけてくれただけだった。
「おやすみ、ユリーナ。今日は疲れただろう、ゆっくり休め」
「えっと、お、おやすみなさい……」
私の額に軽いキスを落とし、お義兄様は隣に横になる。何も起こらないままお義兄様の穏やかな寝息が寝室に響く。猫耳がシュンと垂れ下がり、しょんぼりした尻尾をぎゅっと抱きしめて眠りに落ちた。
✤ ✤ ✤
恋愛的な進展がない毎日に、胸が切なく焦れる。
「ユリーナ、朝食はちゃんと食べないとダメだぞ」
朝食のキッシュを「あーん」と運んでくれるお義兄様。猫耳がピクンと動くたび、青い瞳が優しく細まる。夜は、寝室でお義兄様が猫耳を丁寧にブラッシングしてくれる。
「ユリーナは耳まで可愛いな。俺はユリーナと結婚できて幸せだ」
甘い囁きをくれても「おやすみ」の軽いキスだけ。お義兄様の言葉や態度に、私の恋心は募るばかり……。
「うぅ……どうしたらお義兄様との関係が進展するんだろう……?」
男女の触れ合いがないまま、また朝を迎えた。
お義兄様が淹れてくれたミルクティーをこくんと飲めば、大きな手で頭を撫でられる。
「ユリーナ、今日も聖女の務めだろう。困ったことがあったらすぐに言うんだぞ」
「はい……っ」
「頑張っておいで」
優しく告げる声に、胸がときめく。
でも、ずっとこのままなの──?
お義兄様は私を愛していると言ってくれたけれど、本当は義務感や同情だったの? そう考えたら心がざわざわして、尻尾が膝の上で不安に揺れる。どうしたらお義兄様に女として見てもらえるのだろう?
悩んでいたら、最近耳にした噂を思い出した。王都の裏通りに、魔女が営む『恋結び処』があり、恋愛成就に定評があるという。恋のお守りや薬が並び、水晶占いで最適なアイテムを提案してくれるらしい。エドガーとの婚約中は気にも留めなかったが、今の私には必要だ。
「お義兄様との関係が進展する方法を占ってもらおう!」
聖女の務めを終え、早速向かうことにした。猫耳と尻尾が目立つので、変身魔法で隠し、侍女の服に着替える。星模様の看板が揺れる『恋結び処』に急ぐ。店の前には水晶占いを求める行列ができていた。列に並ぶと、前の女性たちの噂話が聞こえる。
「エドガー殿下、王太子位を剥奪されて謹慎中なのに享楽に溺れてるらしいわ」
「闇市で聖獣を操る呪術が売られてるって。殿下の側近を見かけた方がいるらしいわよ?」
「ルミエール祭が近いのに、ぞっとするわね……」
年に一度の『聖獣ルミエール祭』は、私がルミエールと心を通わせ、平和を祈る聖女の儀式。 猫耳がピクンと震え、思わず耳をそばだててしまう。でも、すぐに私の順番が来て、後ろ髪を引かれつつ気持ちを切り替えた。
店の奥のこぢんまりした部屋に通される。色とりどりのお守りや薬瓶が並び、棚にはキラキラした装飾品が輝く。魔女が水晶球の前に座り、にこりと笑う。
「あら、聖女ユリーナ様ね! 今日は何のご入り用かしら?」
「えっ!? どうしてわかったの!?」
変装が即座に見破られ、動揺すると、魔女がくすくす笑う。
「水晶が教えてくれるのよ。ユリーナ様は、最近、ご婚姻されたばかりよね? 愛を深めるものをお探し?」
「あ、はい……! お、夫と、愛を育みたいんです……」
魔女が水晶球に手をかけ、目を閉じた。ピンクの光が揺れ、彼女が杖を振ると、棚から二本の薬瓶が浮かぶ。キラキラ輝くピンクの液体が揺れる。
「聖女様にふさわしいのは、これよ。『恋の蜜』──新婚の二人が夜に共に飲めば、情熱的な時を過ごせるわ」
「ありがとうございます! さっそく、今夜試してみます!」
「うまくいくよう、水晶に祈っておくわ」
恋の蜜を大切にしまい、胸を高鳴らせて新居へ急いだ。
✤ ✤ ✤
恋の蜜の薬瓶を握り、新居のソファに腰を下ろす。猫耳が小さく跳ね、尻尾が期待でソファの布を軽く叩いている。今夜こそ、お義兄様に女として見られたい……。
ピンクの液体が燭台の光にきらめき、息が浅いのに熱っぽい。夕食の準備を整え、テーブルに花を飾って待つ。月が高く昇り、ほのかな不安がよぎる頃、お義兄様から仕事で遅くなると連絡が入った。
「お義兄様、大丈夫かな……?」
忙しいお義兄様を煩わせたくなくて、恋の蜜をドレッサーに片付ける。タイミングが合わないもどかしさで尻尾がシュンと垂れた。
深夜、寝室の扉が開く音に猫耳が反応する。お義兄様が疲れた顔で入ってきた。
「お義兄様、お帰りなさい……っ」
お義兄様がソファに腰を下ろし、額に手を当てた。尻尾を揺らして駆け寄る。お義兄様の青い瞳に疲労が滲むが、私を見つけると僅かに微笑んだ。
「ユリーナ、待っててくれたのか。遅くなって悪かったな」
「ううん、でも、こんな遅くまで……何かあったの?」
「隣国の国境で禁止魔術の痕跡が見つかった。ルミエール祭が近いから、俺が指揮して調べる」
恋結び処で聞いた『聖獣を操る呪術』が頭をよぎり、胸が締め付けられる。お義兄様が心配になった私の頭をぽんぽんと撫で、優しく微笑む。
「心配するな。少し忙しくなるが、すぐに落ち着く。聖女も聖獣も必ず守るから」
「うん……お義兄様、ありがとう」
「もう夜も遅い──おやすみ、ユリーナ」
頬に触れるような優しいキスを落とされた。
✤ ✤ ✤
結婚から三ヶ月。
お義兄様の深夜帰宅や数日間の遠征で不在の日が増えた。ルミエール祭が近づく中、私は聖女として祈祷の練習や祭具の浄化に追われ、お義兄様との時間がすれ違うばかり。
遠征先からの書簡が届く。『ルミエールの聖域近くで禁止魔術の痕跡を確認。祭までには戻る』。猫耳が不安でふるりと震えた。
「お義兄様、大丈夫かな……」
ぶんぶん首を横に振って不安を追い出す。
「ううん! お義兄様も頑張っているんだし、私も聖女として頑張らなきゃ……っ!」
ドレッサーにしまった恋の蜜のことを忘れるくらい準備に奔走する日々を送った──。
✤ ✤ ✤
聖獣ルミエール祭、当日。
国境で見つかった禁止魔術は、聖獣を操る呪術と判明し、警備が強化されていた。延期や中止も検討されたが、王家の強い意向で開催することに。
広場には聖獣の旗が飾られ、貴族や民衆が集まっている。私は、金色の刺繍が美しい濃紺の聖女服に水色の花冠をかぶった。お義兄様に護衛されながら祭壇に向かう。
「ユリーナ、心配するな」
「はい……」
「花冠がよく似合っていて、可愛いよ」
「……ありがとうございます」
お義兄様が囁き、そっと私の猫耳に触れる。嬉しくて尻尾がゆらりと揺れた。
私が祭壇に立つと、貴族の一部が「獣人の聖女が……」と眉をひそめる声と、民衆からの「ユリーナ様、頑張れ!」という声が響く。ルミエールが空から降臨する。黄金の鱗が輝くドラゴンが頭を下げた。
「ルミエール、いつも国を守ってくれてありがとう」
「ユリーナの頼みゆえだ。これからも我に守護を任せよ」
祈りを捧げる。ルミエールと心を通わせると、私の身体が金色に淡く輝いた。民衆が歓声を上げ、祝福の花が投げられる。だけど、その時──。
ルミエールの鱗に赤い呪術の刻印が広がり、広場を震わせる咆哮が王都に響き渡った。翼から放たれた魔力の波が祭壇を揺らし、民衆が悲鳴を上げて逃げ惑う。
「ルミエール!? どうしたの!?」
私の叫びに、ルミエールが苦しげに応える。
「ユリーナ……私の体に、呪術の刻印が刻まれた……。誰かが、我を操ろうとしている……!」
お義兄様が剣を構え、私を背に庇う。鋭い青い目で広場を見渡し、騎士団に冷静に指示を飛ばす。
「ユリーナ、聖獣から離れろ! 騎士団、隊列を組め! 民衆を安全な場所へ誘導するんだ!」
どんな危機でも私を護ってくれるお義兄様の背中に、こんな時なのに胸が熱いものが込み上げる。その凛とした姿に、私も、聖女としての使命が胸の奥で燃え、奮い立つ。庇われていた背中からルミエールに駆け出し、聖女の力でルミエールと心を繋ぐ。
「ルミエール、落ち着いて!」
「……ぐ、……寄るな……ユリ、ナ……はあ……」
「大丈夫! ルミエール、絶対に助けるから──」
ルミエールと額を合わせると、身体が金色に光る。聖女の魔力を注ぐけど呪術の刻印はしぶとく抵抗し、鋭い痛みが体を刺す。
「絶対に負けない……!」
額から汗が流れ、震える手で魔力を絞り出す。ルミエールの咆哮が弱まり、赤い瞳が水色に戻った。民衆が息を呑む中、ルミエールは静かに頭を下げ、私に寄り添う。
「ユリーナ……お前のおかげだ。だが、我に刻印を刻んだ者を許してはならぬ──術者に呪術が跳ね返っているはずだ」
ルミエールの言葉に頷き、お義兄様に視線を向ける。
「聖獣ルミエールに呪術の刻印を刻んだ者がいます!」
「なに!? 禁断の呪術の刻印は、必ず近くに術者が居るはずだ! 騎士団、広場を封鎖しろ! 怪しい動きを見逃すな!」
騎士たちが素早く動き、広場の出口を固める。しばらくして、騎士の一人が汗だくで駆け寄り、報告する。
「副団長、祭壇近くで怪しい動きをしていた二人を捕らえました! エドガー殿下とカミラ・ベルモンドです!」
広場に連行されたエドガーとカミラ。エドガーは顔を青ざめ、カミラは震えながら言い訳を始める。
「ち、違う! 私たちは何も──!」
「黙れ、カミラ! この呪術の刻印がなによりの証拠だ!」
騎士がエドガーとカミラの腕を曝け出すと、ルミエールの鱗に刻まれた禁断の呪術と同じものが赤黒く光っていた。
「エドガー殿下、王太子の地位を失った恨みから、聖獣ルミエールを操ろうとした罪は明らかだ!」
エドガーの顔が青ざめ、カミラは震えながら唇を噛む。お義兄様の青い瞳が二人を射抜く。
「エドガー殿下、カミラ・ベルモンド。聖獣と聖女ユリーナの名誉を貶めようとした罪は重い」
お義兄様の冷徹な声に、エドガーが叫ぶ。
「ユリーナのせいで王太子の地位を失った! 獣人のあいつさえいなければ、俺は王太子のままだった! カミラも妃にできたのに!」
「エドガー様の言う通りよ! 男爵令嬢だからって妃になれないなんておかしいわ! ユリーナなんて公爵令嬢というだけで、獣人の分際なのに聖女に選ばれるなんて絶対おかしい!」
二人の悪態に、民衆が怒りの声を上げる。
「聖女ユリーナ様を侮辱するな!」
「ルミエール様を冒涜したのを許すな!」
私は一歩進み、二人を見据える。怒りで猫耳も尻尾も毅然と立つ。
「エドガー殿下、カミラ様。聖女として、獣人として、私は国と民を護るために生きてきました。あなたたちの身勝手な行いで、どれだけの人を傷つけたか、わかりますか?」
ルミエールが低く唸り、二人の前に立ちはだかる。エドガーは膝をつき、カミラは泣き崩れる。お義兄様がルミエールに視線を向け、厳かに問いかける。
「聖獣ルミエール、この者たちの罪を如何に裁くべきか。聖女ユリーナ、ルミエールの意志を教えてほしい」
私はルミエールと心を繋ぎ、その深い水色の瞳を見つめる。ルミエールの声が私の心に響く。
「ユリーナ、我を冒涜したことは許せぬ。だが、我はお主のおかげで無事である。人の裁きは、人間の王に委ねよう」
私は頷き、お義兄様に答える。
「ルミエールは、陛下の裁きを望んでいます。どうぞ判断を──」
祭壇の傍らで儀式を見守っていた陛下が、エドガーとカミラを見据えた。エドガーが震えながら陛下に懇願する。
「っ、ち、父上……助けてください……」
「黙れ──エドガー、カミラ。聖獣ルミエールへの冒涜、聖女ユリーナへの侮辱は、王国の礎を揺るがす罪だ。貴族評議会の同意を得て、汝らを辺境への流罪とする」
民衆が歓声を上げ、ルミエールが低く唸り、裁きを承認する。エドガーとカミラは騎士団に連行された。
✤ ✤ ✤
ルミエール祭は、民衆の歓声に祝福され、盛大に幕を閉じた。貴族評議会では、エドガーとカミラの呪術が暴かれ、辺境への流罪が宣告された。かつて私を蔑んだ貴族が頭を下げ、ルミエール祭を元にした劇は上演されるや否や大盛況を博した。獣人への偏見が和らぎ、この国は変わり始めている。
すべての事後処理が済み、ようやく夜の静けさが二人を包む。暖炉で火がパチパチと弾け、柔らかな灯りが部屋を照らす。ソファでくつろぐお義兄様の隣に腰を下ろし、穏やかな青い瞳を見つめる。
「お義兄様、あの……話したいことが……」
「どうした? ユリーナ」
「──あの、これ……」
背中に隠していた『恋の蜜』をテーブルに二本そっと置く。心臓のドキドキに合わせるように、猫耳がピクピク動き、尻尾がパタンパタンと左右に揺れて落ち着かない。
「──っ、ユリーナ……これは、どうした?」
お義兄様が瓶を見つめ、戸惑ったようなを表情を浮かべる。静かな問いかけに、猫耳がピクリと動いた。
「恋結び処で買いました……」
「ユリーナは、これがどういう薬か知っているのか?」
「これは、恋に効く薬です──私、お義兄様のこと、妹じゃなく、女として愛しています。お義兄様を諦められなくて……」
お義兄様は両手で顔を覆い、深いため息をつく。猫耳がシュンと萎れ、尻尾が小さく震える。
「恋の蜜は、愛し合う二人を深く結ぶ……いわゆる媚薬だ」
「ひゃ! 媚薬!?」
予想外の答えに、顔が一瞬で沸騰した。恥ずかしさで猫耳がペタンと倒れる。お義兄様がソファにもたれ、乱れた黒髪が色っぽく揺れる。
「ユリーナが成人するまで待つつもりだった。聖女として凛々しい君も、猫耳で甘える君も、全部愛してるから」
「お義兄様……私の好きと同じってこと?」
「いや、俺のほうがもっと好きだ」
お義兄様の顔が赤くなり、普段の厳格な騎士の姿が少年のようで、胸の奥でキュンと甘い音が鳴った。
「あと二ヶ月、ちゃんと大事にしたい。忘れられない夜にするから──もう少しだけ、待ってて」
私は思わず頬をぷくりと膨らませてしまう。
「うぅ……二ヶ月も待つなんて……」
お義兄様が濃い青の瞳を意地悪そうに細め、顎をそっと持ち上げた。
「それなら、名前呼びの練習から始めようか、ユリーナ」
「……っ、テ、テオドール……?」
青い瞳が近づき、初めてのキスが唇に触れる。柔らかく、優しく、徐々に熱を帯びるキスに、気づけば尻尾がテオドールの腕に絡む。息が上がり、猫耳がくたりと落ちる。
テオドールが色気のある笑みを浮かべて、ペロリと唇を舐めた。
「もっと練習しようか?」
「にゃあ! だ、大丈夫……!」
首を慌てて振った。猫耳のてっぺんから尻尾の先まで熱い。テオドールが私の額に額を寄せ、熱っぽい瞳で囁く。
「二ヶ月後、覚悟しててね」
「に、に、にゃあ…………っ」
小さく叫び、尻尾がバタバタ忙しなく動く。こんなテオドール、知らない──テーブルの上に並んだ『恋の蜜』を見ながら、早まったかもしれないと赤面した。
✤ ✤ ✤
それから二ヶ月が経ち、私が成人を迎えた翌朝。
朝日がカーテンの隙間から差し込み、二人の寝室を柔らかく照らす。ベッドサイドのテーブルには、空になった『恋の蜜』の瓶が二本、朝の光に甘く煌めいていた──。
おしまい
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