姉の教える行儀作法
「殿下、昨日は色々とありがとう存じました」
二人の勉強部屋となっている、アルシェンの将来の執務室で、シヴィアは優雅な淑女の礼を執る。
だが、ふう、とアルシェンは大袈裟な溜息を吐いた。
「いや、いいところは全部母上に持って行かれたぞ」
「いいえ、アルシェン様や陛下が、今まで骨を折ってくれていたからでしてよ」
堅苦しい礼の言葉から一転、シヴィアは言葉を崩して微笑みかけた。
だが、アルシェンはまだ納得がいかないような顔をして唇を尖らせて、窓の外に視線を移したのである。
「怪我の功名というやつだ。そういうのは好きじゃない。計算して引き寄せた結果なら満足も出来るが、ただの過失で起こった結果など、価値はない」
「あら、価値はありましてよ。わたくしと妹は救われました」
「だからそういう意味では…」
言いかけて、嬉しそうに優し気に微笑むシヴィアを見て、アルシェンは思わず視線を床に落とした。
確かに、理由や過程がどうでも良い事はある。
自分の誇りよりも、彼女達姉妹を不遇な環境から、救い出せたことの方が遥かに大事だ。
「済まない…」
「駄目です、謝らないでくださいまし。どんな理由であろうと、貴方が行動を起こしてくれたから、起こった結果なのですよ。謝罪ではなく、ただ、わたくしと妹からの感謝を受け取ってください」
「ああ、そうだな。……わかった」
やっと晴れやかな顔をしたアルシェンに手を伸ばし、さらりとその金の髪をシヴィアの白い手が撫でる。
「きっと、貴方は誰よりも素晴らしい王になられるわ」
「そう願う」
そして、その隣にシヴィアが居る事をアルシェンは強く願った。
他愛ない会話ですら、シヴィアの正しさと優しさはアルシェンを支えてくれるのだ。
シヴィアは昼食の時間になると、フローレンスの様子を見に部屋へと戻った。
食事もそこに運ばれると侍女にも知らされていたので、二人で食事を摂るつもりで。
部屋に辿り着くと、妹の元気な声がした。
「お姉様!」
長椅子からぴょこん、と飛び降りて、妹は背に何かを隠しながらとことこと扉の傍まで小走りに近寄る。
シヴィアはその元気そうな姿に安心の吐息を漏らした。
「ただいま、フローレンス。具合は大丈夫かしら?」
「はい。ヴィバリー夫人の授業はとても分かり易くて、優しい先生でした!」
優しい先生?
はて?
シヴィアは首を傾げた。
以前に会った時はにこりともしない、冷徹完璧な淑女だったし、巷では厳しい女性教師と評判だ。
確かに教え方は、理路整然として分かり易いし、指摘も的確なので素晴らしい教師とは言えるだろう。
けれど、優しいかと聞かれれば、それは分からない。
「そう。優しくして頂いて良かったこと。きっとフローレンスが賢くて良い子だったのですね」
笑顔で頭を撫でれば、嬉しそうにフローレンスは笑った。
そして、背中に隠していた包みを、シヴィアへと差し出す。
「これは、ルディ様がくださった、頑張ったご褒美のおやつです。お姉様も頑張っているので、どうぞ」
ハンカチに包まれたそれは、色とりどりの装飾が施されたクッキーだった。
侍女の用意してくれた皿の上に載せると、シヴィアはまずフローレンスを抱きしめる。
「ありがとうフローレンス。わたくしはとても嬉しくてよ」
「本当?」
とても嬉しいのは確かだが、お行儀が悪い。
多分、王妃様や夫人が気を使って注意はシヴィアに任せてくれたのだ。
だから、頷きながらシヴィアは言葉を続けた。
「本当よ。でも、これはいけません」
「いけないの?」
大きな青い目を見開いて、フローレンスは悲しそうな顔をした。
シヴィアはその目を見つめ返して、こくりと頷く。
「お行儀が悪く、はしたないでしょう?でも、夫人と王太子妃殿下は、貴女の優しい行いだから注意をなさらなかったの。だから、姉のわたくしが貴女に注意をするのよ。気持ちはとても嬉しいわ、フローレンス」
「でも、お姉様……もし、美味しい物があって、お姉様にもどうしても食べて頂きたい時はどうすれば良いの?」
いい子ね、とシヴィアはフローレンスの頭を撫でながら、微笑んだ。
「そういう時は、提供してくださった方にお願いするのよ。例えばわたくしだとしたら、フローレンスにも食べさせてあげたいのですけれど、と持ち掛けるわ。そうしたらお相手がご用意して下さるか、手に入れる方法を教えて下さるでしょう」
「はい、お姉様……はしたない事をして申し訳ありません」
「フローレンス。わたくしは、貴方の優しさが尊くて嬉しいの。お行儀よりも大事な事よ」
しょんぼりと謝罪するフローレンスをシヴィアは抱きしめた。
本当?というようにフローレンスがシヴィアを大きな青い瞳で見上げてくる。
「貴女が優しい子で、わたくしは大好きよ、フローレンス。お行儀は貴女の評判と身を守るためだと思いなさい」
「はい、お姉様」
アルシェンはシヴィア以外考えられないんだよなぁ。




