王太子妃ルディーシャの後悔
「そのお怪我はどうしたの?」
迷いはしたが、ルディーシャは正直に聞くことにした。
フローレンスは露台の格子に掴まって海を見ていたが、ルディーシャを僅かに見上げて言う。
「お祖母様にぶたれたの。フローレンスが悪い子だから」
予想はしていたが、何て酷い女なの、とルディーシャは奥歯を噛みしめた。
確かに悪い事はしたかもしれないけれど、だからといってこれはやり過ぎという範疇を越えている。
「お姉様は止めなかったの?お母様は?」
「お母様は倒れてらしたの。お姉様は大事なご用事で遠くに行っていたから、お姉様がお帰りになるまで、フローは冷たいお部屋にいれられてた」
海を見ていて気が散ったのか、後半は子供らしい言葉で言う。
それを見てまた、ルディーシャの心が軋んだ。
暴力を受けた上に、何処かに閉じ込められるなんて。
何と言う惨い事を。
「でも、お姉様が助けてくれて、お姉様はフローをみてキャーって言ったのよ。いつもお上品なお姉様が。沢山沢山泣いて、フローに謝るの。お姉様は悪くないのに。お祖母様がぶったのに」
「……そう、優しいお姉様なのね」
「そうよ。優しいのはお姉様だけ。お母様もお父様もお祖母様も意地悪なの」
身体を背伸びして揺らす度に、金色の波打つ髪が輝く。
細い手足のレース越しにも、肌とは思えない色が覗いていて、吐き気すら込み上げてきた。
「お姉様は優しいから、フローのせいで、お友達とお別れ出来なくなっちゃうところだったの。ずっとフローの傍にいたら、お見送りいけなくて。だから、フローは海とお船が見たいって付いてきたの」
露台から小さな手を出して指さした先に、見事に艶やかな黒髪が見え隠れする。
「お姉様はあそこにいらっしゃるの。お友達とさよならしたら、フローを連れて帰るの。今日はお祖母様に謝らなくちゃ」
「な、何故?そんな酷い事をされたのに……!?」
姉妹愛に胸を打たれていたルディーシャはあまりの理不尽さに眩暈がした。
思わず勢いよく聞き返してしまったが、フローはうん、と頷いて言う。
「フローは家門に泥を塗った事を謝罪するの。そして、お姉様は、お祖母様にフローをぶった事を謝罪させるって言ってたの。それがけじめだって」
何と言う過酷な世界で生きているの。
涙が出そうになって、ルディーシャは必死で堪えた。
色が似ているからと言って疑っていた自分も恥ずかしくなったのである。
必死に勉強しながら、頼りにならない父母の庇護もうけられず、幼い妹を守ろうとしていたなんて。
外ではあの悪魔が振り撒いた悪行の所為で、誹謗中傷と偏見の目に晒されながら、それを淡々と己の力で跳ね返して気丈に振る舞っていた。
ああ、アルシェンに怒られるのは当然だわ。
わたくしには何も見えていなかった。
大人ですら理不尽に思う事を、けじめだと認めて謝罪をするなんて。
冷静さを取り繕えないほど取り乱したのも、目の前の少女の暴力を見れば仕方がない。
それほど愛情も深いし、何しろ二人とも幼い。
ルディーシャは、元々女の子も一人は欲しかった。
でも、生まれたのは三人とも男で、それはそれで喜ばれたのだが、小さいご令嬢をつれた夫人達を見る度に羨ましい、と常々思っていたのである。
それなのに。
大事にするどころか、酷い暴力を振るう人間がいるなんて。
悪魔という形容詞ですら生温い、と怒りに臓腑が滾ってくる。
いっその事養女に迎えてしまおうかしら?
この暴力の跡を見れば、虐待として取り上げる事も出来るのではないかしら?
せめて、王宮で保護出来たら。
でも、他家の内情には犯罪でない限り王族でも踏み込むことは出来ない。
犯罪としてしまえば家門の名誉に傷が付く。
シヴィアは決してそれを望まないだろう。
保護される事よりも、妹を守りながら悪魔の下で暮らす事を選ばれたら手が出せない。
助けを求められない限りは無理なのだ。
目まぐるしく策を考えていると、海を見ながらフローレンスが手を振る。
「見て!お船が動いたわ!」
酷い怪我を抱えているのに、日差しの中で必死に手を振る姿は無邪気で痛ましい。
思わず抱きしめたい衝動と戦いながら、ルディーシャは、そうね、と一緒に手を振った。
王太子「あれ……?我が妃は??……何であんな所にいるんだ?その小さい娘は誰だ……?」
みたいになってる。ぽつん王太子。




