妹と王太子妃
王太子妃ルディーシャは、廊下をいそいそと歩いていた。
予定より身支度に時間がかかってしまい、見送りの露台への廊下を早足で抜けようとして、違和感に気づく。
王室の海への露台は二階と三階の階段の間の中二階にあるのだが、そこへ向かう二階の廊下の一室の前に騎士が二名立っている。
賓客は迎えていない筈だし、王族が露台に姿を現すのだから警備が必要な場所に客人は通さない。
「そこで、何をしているのです」
誰何の声に、騎士達は踵を打ち付けて姿勢を正し、軍靴を鳴らした。
「第一王子殿下より、警備を仰せつかりまして、任務を遂行中です」
「中に、誰がいるのです」
一拍置いて、片方の騎士が胸を張ったまま答えた。
「それは王子殿下にお尋ねください」
「……ふむ、分かったわ。そこを通しなさい」
「ですが、」
「お黙りなさい。王子の独断でこの様な事を行っていい筈がないでしょう」
遮って命じるが、騎士は顔色を変えずに言った。
「国王陛下の許可は得ていると、聞いておりますれば」
「ですから、王太子妃のわたくしが聞いていないのです。いいわ、ここに警備の者を呼びましょう。それとも騎士団が良いかしら?中の御客人はさぞ驚かれるでしょうね」
中の御客人、といわれると急に騎士達の顔色が変わった。
あの、怪我をした女の子が脅えたら、可哀そうだ、と目を伏せる。
「でしたら、お約束を。中には怪我をした子供がおりますので、どうか、声を荒げられぬようお願い申し上げます」
わたくしを狂犬の様に!とルディーシャは思ったが、事実、今は脅しにかかっていたのだからその言葉も仕方ない。
それに、通してくれるなら良いのだ。
「約束致します。丁重にお相手しましょう」
第一王子アルシェンはシヴィアの事になると急に反抗的になる。
だが、今回の帝国からの皇子と皇女の来訪で、多くの王国貴族の子女が不興を買う中、第一皇子であるアルシェンが歓待に成功したのはシヴィアの力だと聞いていた。
まさか、と思いながら、侍女に命じて帝国の召使の話を聞いても、やはりシヴィアの力が大きかったという。
歓待を成功させただけでなく、イグナティウス帝国にしかない希少な虹珊瑚の輸入まで取り付けたというのも驚きだった。
他にも珍しい布や工芸品、こちらからも絹や染料など、いくつもの交易の話がお互いの有利なように決められて、大臣たちはほくほくしながら、シヴィアとアルシェンを褒め称えていたのである。
今も、二人は帝国の皇子たちから求められて、間近に見送りにでていた。
だから、此処にいるのはシヴィアではない。
だとしたら、誰なのかというのが、ルディーシャは気になった。
元々王宮の差配は王妃よりも王太子妃の方が仕事が多い。
王妃はどうしても遊説や巡察で王都を空ける事も多いのだ。
だから、誰がいるのか何をしているのか、把握する事も大事なのである。
という建前はあるとして、誰がいるのかと気になったのは事実である。
まさか、怪我をした子供、などと言われるとは思っていなかったが。
孤児院の子供かしら?
奉仕活動の一環?
色々な思いを巡らせながら、扉を開ければ、窓を大きく開けた露台から風が吹き抜けて、小さな少女が振り返る。
ベールから見えたその顔は、青黒い痣に塗れていた。
思わずヒッと鳴りかける喉を制して、ルディーシャは表情を消してから、穏やかに微笑んだ。
「ごきげんよう、お隣に行ってもよろしくて?」
「ごきげんよう。あなたもお船を見にいらしたの?」
不思議そうに聞く子供に、ルディーシャは頷いた。
頷いたけれど、誰がこんなに幼い少女に酷い暴力を振るったのかと考えれば、胃の中に鉛を詰め込まれたようだった。
「ええ。お隣で見てもいいかしら?」
「はい」
少女は天使の様に可愛らしい声で頷いて見せて、真ん中に陣取っていた場所を少し開けて脇に寄った。
ルディーシャを見て僅かに顔色を変えた侍女は、ほんの少し露台から下がって二人を見守る。
「わたくしはルディーシャよ。貴女のお名前は?」
「フローレンスです。フローレンス・リナ・レミントン」
その名前は聞き覚えがあり過ぎた。
才媛シヴィアの妹であり、最近伯爵家で起きた暴力事件の犯人であり、あの悪女ディアドラの孫である。
僅かに息を呑んで、ルディーシャは小さな女の子を見下ろした。
そういえば。フローレンスの起こした茶会の事件ですが、貴族社会として見れば、罪状はフローレンスの方が軽いです。何故なら先に伯爵家の令嬢が、公爵夫人を名指しで罵倒しているからです。身分差もあるので。子供同士という事と、両家が問題にしなかった事で大事にはなりませんでしたが。フローレンスは悪評は付きましたが、ビアンカもまた悪評がつきました。祖母がもう少し妹に対して普通であれば、「祖母の名誉を守るためにした事」と取り成す事も出来たのですが、どうしようもない程拗れているのでそういう立ち回りをしなかったシヴィアでした。




