父と妹
「イゾルデを呼んで頂戴。それからお父様も」
小間使いに命じて、シヴィアは食事を下げた円卓の上で手紙を書き始めた。
フローレンスには、口どけの良い果実のゼリーを与えてある。
苦いお薬を飲んだご褒美として。
今のところ痛み止めが効いているのか、痛そうな素振りは見せないのが救いだった。
イゾルデが先に来たので、手短にシヴィアは命じる。
「何があったのか、大体は把握しているわね?」
「はい。フローレンスお嬢様をお守りできず、申し訳ありませんでした」
きびきびと挨拶はするが、その目は苦い後悔を滲ませている。
横にいるフローレンスが、驚いたように言った。
「あなた、お祖母様を止めようとしてくれた人ね。……でも仕方ないわ、お祖母様はやめてって言っても何度もぶつのだもの……」
「イゾルデ、貴女の責は問いません。使用人には使用人としての領分もありますもの。でも、貴女の気持ちは嬉しいわ。今後は祖母が暴力を振るう事のないようわたくしがきちんと注意します。この家で二度とこのような暴力は許しません」
ほっとしたように、でも何処か罪悪感の拭えない表情でイゾルデは頷く。
「殿下にお手紙を出すよう言われてるの。貴女からも宜しくね。……明後日のお見送りはお断りしないと…」
「畏まりました。失礼致します」
そう言いながら視線を手紙に落とすシヴィアに、イゾルデは深くお辞儀をしてから部屋を出ていく。
甘いゼリーを食べながら、フローレンスが問いかける。
「お見送りって、誰をお見送りするの?お姉様」
「お友達よ。海の向こうの皇子様と皇女様が、明後日、国にお帰りになるの」
「わたくしが怪我をしてしまったせいで、行けないの?」
しょんぼりと眉尻を下げる痛々しい妹に、シヴィアは優しく微笑んだ。
「いいえ、他にも色々とご用事があるし、貴女の傍から離れたくないの」
「だったら、わたくしも連れて行ってください。海とお船と、皇子様と皇女様が見たいです。遠くから、見るだけ。お姉様はお友達なのだから、ちゃんとご挨拶した方が良いです」
意外にもしっかりとした物言いに、シヴィアの方が目を丸くした。
確かに、次いつ会えるとも分からない人達である。
それに、フローレンスが自分は遠くで見るだけというのは、何だか珍しい。
今までのフローレンスなら、自分も近くで見たいとか挨拶したいなどと言っていた筈だ。
「そう……そうね。王子殿下に相談してみるわ」
「このお顔を見たら、吃驚されてしまうからきちんとベールを付けていきます」
「偉いわね、フローレンス」
手紙を書いていたシヴィアが顔を上げて、微笑みながら誉めれば、フローレンスは得意げな笑顔を見せる。
ペンを持っていた手を一度休めて、シヴィアはフローレンスの頭を優しく撫でた。
食べかけのゼリーを円卓の上に載せて、フローレンスはふぁ、と欠伸をしながら大きな枕に頭を沈める。
「……だって、お姉様の、妹ですもの……」
眠そうにふにゃふにゃと言う姿は、愛らしくて痛々しい。
でもきっと、青くて大きな海と豪華な船、知らない国の皇子様と皇女様が見られたら、気も晴れるわね。
ほんの少しの、些細な妹の我儘を、今はシヴィアも聞いてあげたかった。
もっと我儘を言われていたら断っただろうけれど、フローレンスなりにきちんと線引きしたのだ。
成長したのはシヴィアにとっても嬉しい事だが、だからといってこんな怪我を負わせるくらいなら我儘で良かった。
でも起きてしまった事は仕方がない。
寝息をたてはじめた妹から手を離すと、シヴィアは再びペンを紙面に走らせた。
その少し後、やっと帰宅した父親のディーンを部屋に入れてフローレンスの怪我を見せる。
先にフローレンスが寝ているから声を出さないようにと言っていたので、驚いただけで声は発しなかったが。
「暴力事件を起こしたのはフローレンスの方では?」
「ええ。あれは、お祖母様のなさった事です」
そう言えば、ディーンは少し顔を顰めてから、へらりと笑む。
「まあ、あの人は少々やり過ぎな所があるな」
……少々?
これの何処が…?
シヴィアの冷たい視線に気が付いて、ヒュッと息を呑み込んでディーンは後退りした。
「後日、わたくしからも抗議を致しますが、お父様からもお祖母様に注意を」
「いや、言っても聞くような人じゃないからな」
のらりくらりと躱そうとするディーンを、シヴィアは冷たい顔で見て頷いた。
「では結構です。わたくしも今後お父様へ敬意は払わないことに致しますから」
途端にディーンはシヴィアの言葉に脅えた。
身体は小さいし、まだ少女だが妙に迫力がある。
「な、そ、それはどういう事だ」
「さあ?それはご自分でお考えになって。ではお休みなさいませ」
話は終わりだとばかりに就寝の挨拶をすれば、振り返りながらも部屋を出ていく。
父の情けない姿に、シヴィアはため息を吐いた。
あの父の言う事などまともに聞く祖母ではないと分かっている。
でも、父から一言でも言わせることが大事なのだ。
「お父様の生命線を誰が握っているか、思い出して頂かないとね」
領地の経営も歳費の割り当ても全てがシヴィアの権限だ。
潤沢と言えるほどの金は既に与えてはいないが、父にこれ以上金を自由にさせない事も出来る。
どうせ碌な使い道をしている金ではないので問題ない。
厳しい目でシヴィアは父の出て行った扉を見つめた。




