どこにもいかないで
苦労しながら部屋に運んで、柔らかいベッドに下ろして離れようとすると、フローレンスが脅えた様に服を掴んだ。
「……おいていかないで、おねえさま……」
泣きそうになり、顔を歪めて、そのせいで痛みが走ったのか苦痛の表情になったフローレンスを見て、シヴィアは頷く。
「ええ、傍にいてよ。温かいお湯で身体を拭いて、お着替えもしましょう」
お湯を持った小間使いと、侍医が部屋にやってくる。
小さな椅子に座らせて、陶器の容れ物にお湯を張って足を浸からせた。
そして、シヴィアがお湯に浸した布を絞って、身体を清めていく。
顔の怪我が一番ひどく見えたが、小さい身体のあちこちに、青や黄色のあざが見える。
小さく白い腕には、防ごうとしたのか、そちらにも幾重にも痣が染みついていた。
この怪我の一つ一つがどれだけの痛みを伴っていただろう。
「……わたくしに、貴女の怪我が移ればいいのに……」
「……そしたら、おねえさまが痛くなってしまうわ……おねえさまは何も悪くないのに……」
悪いわ、と言いたかったが、ひび割れた唇でそれ以上言葉を紡がせるのも可哀想で、涙を零しつつシヴィアは微笑んだ。
シヴィアが清めた場所から、侍医の助手が薬を塗って包帯を巻いていく。
治療を見守っていると、侍医が告げた。
「骨が折れていないのが幸いな程のお怪我です。痣は冷やして、痛み止めと熱冷ましのお薬を処方致します」
「分かったわ。詳しい診断結果は書面にして頂戴」
柔らかい生成りの服を着せられて、包帯であちこち覆われたフローレンスを、ゆっくりと寝台に横たえる。
フローレンスはじっと、シヴィアが何処にも行かないように見張っているように不安げに目で追っていた。
「何か、食べたい物はある?果実やスープとか、柔らかい物なら食べられて?飲み物は、いるかしら?」
シヴィアに聞かれるたび、フローレンスはふるり、と首を横に振る。
柔らかくて暖かい布に包まれて、シヴィアに優しく手を握られていたら、途端にフローレンスの瞼は重くなった。
「……うん、……おねえさまは今日、ここにいてくださるの?」
眠そうな目を持ち上げて、頑張ってフローレンスが言うのを見て、シヴィアは微笑んで頷いた。
「ええ、そうよ。お部屋からは一歩も出ないで、貴女の傍にいてよ。だから、安心してお眠りなさい」
「……ん、…はい、約束してね……」
返事を聞かないまま、すうっと眠りに引き込まれて行くフローレンスを見て、シヴィアは怒りと悲しみとやるせなさで胸が一杯になった。
小さな手はぷにぷにとして柔らかくて幼い。
こんな小さな子に暴力を振るえるというその残酷さに、シヴィアの理解は及ばなかった。
しかも、血の繋がった孫だというのに。
確かにフローレンスは悪い事をした。
警吏隊からの報告では、トレント家のヒルデ嬢が詳しく証言してくれたとの事で、会話の内容も書面に残されている。
フローレンスが自分では出来ない約束をしたのは、幼い子によくある事だ。
でも、嘘をつく癖が身に付くのは良い事ではない。
その嘘を正面から否定したのがビアンカで、そこから言い合いになってしまったのだ。
目立ちたい二人の承認欲求がぶつかったせいだろう。
その最中、フローレンスはお茶をかけるという無作法をして、ビアンカは公爵夫人を名指しで侮辱した。
だから、茶器を投げてぶつけて怪我を負わせるに至ったのである。
これは大変宜しくない。
フローレンスに注意は与えるし、祖母への謝罪も必要だ。
だが、幼い子供にこれだけの暴力を与える理由にはならない。
すうすうと寝息を立てるフローレンスを見て、シヴィアは握っていた小さな手に唇を押しあてた。
暴力を振るったのは確かにディアドラだが、それを許してしまったのはシヴィアの落ち度だ。
無関心といえる立ち位置に引いていた自分の浅はかさが許し難い。
カッツェの事はシヴィアがどうにも出来ない所で行われたが、フローレンスは違う。
守れる位置に居ながら、みすみすこの小さな手を離してしまった、と頬に小さな手を当てる。
「ごめんなさい、フローレンス……」
呟いて、シヴィアはまた、はらりはらりと涙を落した。
大変な環境に居る姉妹です。
でも大丈夫です。
シヴィアは強く、フローレンスは強かなので。




