傷だらけの妹
翌日、アジフとアジールに引き留められつつも、アルシェンとシヴィアは離宮を後にした。
明後日には二人も帰国するので、その準備もある中迷惑になるといけないのと、シヴィアはコーブス家で起きた騒動で実家の事が気になっていたからだ。
アルシェンも気遣ってくれて、率先して双子兄妹の歓待を切り上げた。
本来なら王城に挨拶に行ってから帰宅するべきだが、先に公爵邸に送ってくれて、王城への挨拶は後日という事にしてもらったのである。
明後日の見送りにも行きたいが、場合によっては行けない。
「お見送りに行けなかったら、ジルに、お手紙お待ちしていると伝えてね」
「ああ、君も状況を私に報せてくれ」
「ええ、分かったわ」
言葉を交わして、シヴィアは公爵邸の玄関に降り立つ。
自宅に帰るだけだから、と先触れはしていないので、玄関に急ぎ足で出て来たカルシファーを捕まえる。
「フローレンスは何処かしら?」
「それが、……大奥様の命令で、地下に……」
「……地下、ですって?」
地下に部屋があるなんて聞いたことがなかった。
勿論、使用人達が主にいる階下までは知っているが。
「案内なさい」
胸騒ぎに背を押されて、短くシヴィアは命令した。
階下に降りると、使用人達は目を逸らしてそそくさ頭を下げて道を譲る。
その階下の更に下は古い建物で、木製ではなく石造りだからか、途端にひやりとした冷気に包まれた。
春とはいえ、まだ夏は先だ。
石造りの廊下を少し進むと粗末な木の扉が有り、扉には鉄格子が嵌っている。
シヴィアは直感した。
かつて、カッツェも入れられていた部屋だという事を。
カルシファーが無言のまま開けた部屋は、牢獄のような劣悪な環境で、中からは饐えた匂いが冷気と共に流れ出す。
石畳の床に、石壁に囲まれた窓のない暗い部屋。
汚い便器に、木と汚れた薄い布の粗末な寝台。
フローレンスは、と一歩部屋に踏み込んで見渡せば、ドアの近くにこの部屋にはそぐわない毛布の塊が目に入る。
まさか、とシヴィアは床に膝を着けて、驚かせないよう小さな声で呼びかけた。
「フローレンス……?」
ぴくり、と身体を動かして、毛布の間から見えた幼い妹の顔に、シヴィアは心臓を撃ち抜かれた。
その頬は、青や紫や黄色という、あり得ない色に染まっている。
「…おねえさま……」
大きな瞳を見開いて、小さな幼い妹がたどたどしく呼びかけてくる。
「あああ……酷い、何て酷い事を……!!」
抱きしめたいけど、痛々しそうで触れようとして触れられず、シヴィアが取り乱して泣き叫んだ。
その姉の姿に、フローレンスもくしゃりと顔を顰めて、うああ、と泣き始める。
「ごめんなさい、フローレンス、お姉様が離れたばっかりに……貴女をこんな目に遭わせて……」
毛布の上からそっと頭の丸みを撫でれば、フローレンスはぎゅっとシヴィアに抱きついてきた。
「……おねえさま、……おね、さまぁっ……フローが悪い子で……沢山ぶたれて……」
「そのお話は元気になってからしましょう。早くお部屋に戻りましょうね」
ぐい、と自分の涙を拭って、シヴィアはフローレンスを抱き上げた。
剣の鍛錬をしておいて良かったとこれほどまで思った事は無い。
フローレンスは幼いとはいえ、シヴィアもまだ7歳で持ち上げて運ぶのには労力がいる。
でも、誰にも、傷ついた妹を触らせたくなかった。
「お湯を用意して、侍医を呼んで頂戴」
「畏まりました」
これだけ沢山の使用人達がいながら、誰も助けようと思う人間はいなかったのか、と憤る気持ちもある。
だが、それはお門違いな怒りだ。
この屋敷の女主人は、未だにあの横暴なディアドラである事には変わりない。
それに、隔離しておいた方が命の危険も少ないという判断も分からなくも無かった。
けれど。
時間が経って青黒さが増したフローレンスの姿に、使用人達は息を呑んだり小さく悲鳴を上げたりしている。
誰も、きちんとこの子を見てはいなかった。
でも、それはわたくしも同じこと。
シヴィアは心の何処かで、自分と妹を切り離して考えていた。
家族としてある程度は関わるが、あとは親が育てるのを見ているだけで良いと。
その結果、彼女がどう育つのかを判断材料にすればいいと、冷徹に考えていたのだ。
でもこれは。
まるで、かつてのカッツェである。
本当に賢いのなら、こうなる事も予想できた筈だ。
酷い大人に囲まれた子供が、どんな末路を辿るのか目の前にカッツェという例がいたのだから。
なのに、みすみす妹を危険な目に遭わせてしまった。
本当は、フローレンスの人生に影響を与えてはいけないと思っていたシヴィア。
フローレンスが完全な悪魔にならずに済む(かもしれない)のは、シヴィアに愛された記憶。
誰かに愛された記憶というのは、それだけ人に大きな影響を齎すとひよこは思います。
新年、明けましておめでとうございます!!!
今年も、皆様にとって良いお年になりますように。
ひよこも小説で、皆様の心の糧だったり憩いだったり楽しみになれたらなあと思ってます。
沢山のコメントや評価、ありがたく受け取って、執筆のエネルギーに変えてます!皆様の愛に支えられるひよこ。
本日はもう一度、夜更新して、その後は尽きるまで一日一回更新に戻ります。




