自分だけの呼び名
「さ、皇女様もどうぞ」
「やめてくださる?皇女様だなんて。名前で呼んで頂戴」
まさかそんな要求をされると思っていなかったシヴィアは目を丸くして見つめた。
「お名前を名乗って頂けていないので、呼んではならぬものと思っておりました」
「アジールよ。あっちはアジフ。親しい者にはジルと呼ばれてますの。特別に許可するわ」
ツン、と顎を反らしながら言うアジールに、シヴィアは目を伏せて会釈する。
「ではジル様、どうぞ」
「……別に、ジルで構いませんのに」
ツンと唇を尖らせる姿は、拗ねた妹を思い出させてシヴィアは柔らかな微笑みを向けた。
「では、今は遠慮なくジルと呼ぶわ。わたくしの事もシヴィと」
「……ありがと、シヴィ」
竿を受け取りながら、そそくさと湖面に視線を戻す様は、ぎこちなくて。
シヴィアから見れば何だか可愛らしく映ったのだが、アルシェンの悲しそうな声が聞こえてきて、シヴィアは視線をそちらに戻した。
「私だけの呼び名だったのに……」
「え……カッツェもそう呼んでおりましたけれど」
「それは初耳だ!」
そういえば、殿下がお帰りになった後だったわね、と思い当たって、彼は今元気で過ごしているかしら、とシヴィアは思いを馳せた。
それに対してもアルシェンが恨みがましい声を上げる。
「おい、遠い目をするんじゃない。カッツェは元気だ。最近手紙が来たからな」
確かに手紙を出してあげてとお願いはしたが、すぐに出すとは思わなかった。
ぎりっと歯を食いしばる様に悔し気な顔を見せたアルシェンが言う。
「我々も負けてはいられないぞ、シヴィ」
アルシェンが悔しがるという事は、勉強も順調に進んでいるのだろう。
満足そうな美しい笑みを浮かべたシヴィアの顔を見て、アジフが名を呼んだ。
「シヴィよ。俺の名もジフと呼ぶことを許す」
「いえ、結構です」
「な、何だと?俺が許すと言っているのだぞ?」
穏やかな笑みでシヴィアは答える。
「知り合って間もない男性からその様に言われても」
「うははは」
大国の皇子なのに邪険にされる様を見て、アルシェンが声を上げて笑い、護衛達も思わず笑いそうになる表情筋を何とか引き締めているが難しそうだ。
侍女も顔を背けて肩を震わせている。
「はぁ?こいつらもお前らも全員処刑だ」
不機嫌そうに護衛やアルシェンを指さして不機嫌に投げやりにアジフが言う。
笑い乍ら、目に涙を浮かべてアルシェンが言う。
「横暴だな」
「女性に嫌われましてよ」
「殿方ってどうしてこうお馬鹿なんですの」
穏やかな笑みを浮かべたまま、シヴィアに辛辣に注意をされ、双子の妹のアジールには呆れた様に吐き捨てられた。
フン、と鼻を鳴らしてアジフはそっぽを向いて問いかける。
「先ほどお前達の口に上った、カッツェとは何者だ」
「わたくしの従兄です。今は公爵領に居て、離れて暮らしておりますの」
「それで、手紙、か」
個人的な交友関係で、アジフに知られても別段問題のない情報なのだが、何故そんな事を聞くのかしらとシヴィアは首を傾げた。
「俺はまた、お前の思い人かと思ったぞ」
「違う!」
確かに違うのだが、誰より先にアルシェンが割って入ってきた。
が、アジフは確認するようにシヴィアを見る。
「ええ、違いますね。……でも、男性の中では一番大事な相手ではあります」
「ほら見ろ、お前も振られたではないか!」
「違う!私の事も大事だよな?シヴィ」
今度は鬼の首を取ったかのようにアジフがアルシェンを指さして笑う。
アルシェンは、真剣な面持ちでシヴィを見つめた。
ここで、名誉を穢す訳にもいかないし、シヴィアにとってアルシェンも大事な人だというのには変わりない。
「ええ、大事ですわ」
「チッ」
「ほら見ろ!」
また小競り合いを始めた二人を見て、アジールは再びため息を吐いた。
「本当に殿方ってどうしてこう……」
家ではかなり、酷い事が起こっているのですが、今は平和。
平和にわちゃわちゃ。
同年代の少年少女のわちゃわちゃは可愛くて好きです。
本日は21時も更新します。




