信じる姉と、憎む妹
毎日王城から戻ってはいたが、邸内の様子が少しずつ変わっていた。
使用人達は以前より気持ち良く働けているようだし、カルシファーも前よりも負担が減ったようだ。
アルシェンから借り受けた侍女のイゾルデは、しっかりと公爵夫人であるディアドラの監視と調査を行っているらしく、部屋の隅々まで念入りに調査を入れているらしい。
元々、変な趣味の絵画や装飾を外したくて「改装」を提案したのだが、家探しにも一役買っているというのは嬉しい誤算だった。
逐一調査の報告は受けていないが、外部の人間でありディアドラに対して良い感情も無いアルシェン王子や国王陛下ならば、証拠を託していても問題はない。
そもそもディアドラには味方というものが少ないのだ。
小間使いや学生だった頃の知り合い、公爵夫人になってから得た伝手、実家の男爵家。
とはいえ、表向きには男爵家の出自だというのを隠している為、直接男爵家の者が公爵家に訪れる事は無い。
「お姉様!」
自室に戻る途中で、フローレンスに呼び止められて、シヴィアは足を止めた。
にこにこと可愛らしく微笑みながら、たどたどしい淑女の礼を執るので、微笑んでシヴィアも淑女の礼で応える。
「お稽古を真面目にしているようね。少し綺麗になってきたわ」
「ありがとうございます、お姉様!……それで、王子様はいついらっしゃるの?」
突飛な質問をしてきた妹に、シヴィアは少し首を傾げた。
「特にその予定はないけれど、誰かに聞いたの?」
「いいえ……でも、お姉様は王子様と婚約したから、お家にも遊びにいらっしゃると思って」
誰かの嘘を真に受けた、という訳ではないようだったので、シヴィアは少し微笑んで答える。
「王子様ではなく、王子殿下とお呼びしてね。……噂であって、わたくしは殿下と婚約はしていないの。ただ、ご学友として親しくお勉強させて頂いているだけよ」
「そうなの?フローも一緒にお勉強がしたいです!」
まだ5歳なのだから、仕方のない我儘と夢である。
でも、失礼な野望な事には変わりない。
「王子殿下は大変優秀でいらっしゃるの。ですから、一緒にお勉強するには、もっともっと努力が必要になるのよ。王子殿下の邪魔になる様な事は出来ないもの」
「邪魔なんてしません!」
必死で主張するけれど、邪魔にしかならないのは歴然としている。
シヴィアは辛抱強く諭し始めた。
「フローレンスは読み書きが出来るでしょう?」
「はい!できます!」
ぱあっと笑顔になって、フローレンスは自分がいかに出来るかと自信が湧き、期待に胸を膨らませる。
けれど、シヴィアは穏やかな笑みを浮かべたまま言った。
「では、読み書きが出来ない男爵令嬢が、貴女とお勉強したい!と押しかけたとしましょう。貴女はすらすらと本が読めるのに、一緒に勉強したいと言ったご令嬢は読めません。先生は読めない子に説明しなければいけないの。それは貴女の勉強になるかしら?」
「なりません………でも、フローは読めるから、殿下のお邪魔にはならないです」
「……そう。じゃあ、これが読めて?」
シヴィアは侍女に持たせていた鞄の中から一冊の本を取り出して、フローレンスに渡した。
それは、フローレンスの見た事のない文字だ。
「読めないです……」
「これは隣国の言葉で書かれた教科書よ。殿下は今隣国の言葉を勉強なさっているの」
「これが読めるようになったら、フローも参加できますか?」
フローレンスが読めるようになる頃には、アルシェンは別の国の言葉を覚えているだろう。
共に勉強するには能力が足りない。
シヴィアは迷ったものの、期待を持たせて嘘になるよりは、と真実を言う。
「その時には殿下は既に別の高度なお勉強をなさっている筈です。一緒にお勉強できるかどうかは、貴女の努力次第よ。殿下がこの言語を覚えるのに、そうね、あと一巡りはかかるかしら?フローレンスがもし、三日で習得できれば叶うかもしれないわね」
三日……。
この線がのたくったような、全然違う文字を…?
フローレンスはペラペラと本を捲ってみるが、何一つ読めはしなかった。
絶望に心が沈んでいく。
「仕方ないのよ。フローレンス。貴女はまだ5歳。殿下はもう9歳になられるのですもの。貴女が不出来な訳じゃないの。殿下が優秀であらせられる上に、年上なのだから仕方ないわ」
しゅんと俯いたフローレンスは、優しく頭を撫でられて、大粒の涙を零す。
ひっくひっくと泣きじゃくるフローレンスを、ふわりとシヴィアは抱きしめた。
「でもね、フローレンス。貴女がお勉強をきちんとすれば、いつか素敵な女性になれるのだから。わたくしは貴方を信じていてよ」
「はい、お姉様」
フローレンスは良い香りと温かさに包まれながら、思った。
全部、全部、何も勉強させなかったお母様が悪いのだわ。




