そして娘は怪物になった
シヴィアが王城に出かけている間、公爵邸には新たな使用人と家庭教師が遣わされていた。
その中でも礼儀作法の教師は、ディアドラとリアーヌの嫁姑の前で、使用人達の指導を行っている。
必ず立ち会いをして、使用人達の勉強を見届けるようにと指示したのはシヴィアだ。
ついでに小さな妹も、その授業に参加させられては嫌がって逃げている。
「駄目よ、フロー。きちんとお稽古をしなくては」
「いやあ。だってお母様はフローは何もしなくていいって言ったものー!」
確かに、そう言っていた事はある。
優秀なシヴィアが全て熟してくれるのだから、と。
でも、今既に公爵位を受け継ぐ可能性も出てきていては、そうも言っていられない。
「もう、駄目なの。きちんとお稽古をしなくてはいけなくなったのよ」
「いやあ、いやあ」
ぐずるフローレンスを厳しい目で見たディアドラが、冷たい声で言う。
「あちらへ連れてお行きなさい。授業の邪魔ですよ」
「すみません、お義母様」
犬でも振り払うように扇を持った手を振られて、仕方なくフローレンスを連れて別の部屋へと避難する。
「お母さま、遊びましょう」
無邪気に微笑む娘は可愛い。
けれど、このままでは将来恥をかくのはその可愛い娘なのだ。
「お稽古をしないフローとは遊びません」
「何でぇ?いや、いや!」
「何でお姉様みたいに出来ないの……フローは良い子でしょう?」
今まではお姉様より可愛いと言ってくれた母が、お姉様みたいにしろと言ってきて、フローレンスは訳が分からなくなる。
やりたくない事はやらなくていい、とそう言われて来たのだ。
「やなの!」
手近にあった布をフローレンスが力任せに引っ張れば、長卓の上に載せられていた花瓶ががしゃん!と音を立てて机の上に転んだ。
生けられた花も散らばり、卓の上から水がぽたぽたと落ちて来て、リアーヌは愕然とした。
眼には怒りを宿していて、敵を見るかのように見てくるその目は、まるでディアドラだったのだ。
「……勝手になさい………」
震える声でそれだけ言うと、フローレンスを振り返りもせずにリアーヌは自室に逃げ込んだ。
ずっと可愛がってきた、自分に似ている筈の娘が、まるで昔の化け物のような義母に似ているだなんて。
「嘘、嘘だわ……わたしの可愛いフローレンスは何処に行ってしまったの……」
震えながら、リアーヌは泣き崩れた。
花瓶の倒れる音が響いて、カルシファーから見に行くように言われた侍女のメアが駆けつけると、そこにはフローレンスが一人で立っていた。
「まあ、お怪我はございませんか?お嬢様」
「ふぇえぇ」
優しい言葉にフローレンスは侍女の元に走り寄って抱き着いた。
居間の食卓には無残に散らばる花瓶の欠片と、放り出された水と、濡れた布が水を滴らせている。
「まあ……花瓶が……」
「大丈夫ですか?今、片付けます」
後から来た小間使いが、丁寧に花瓶の欠片を回収して、花も布も纏めて片付けられる間メアは、フローレンスを自室へと連れて行った。
「お嬢様、たとえ怒ったり悲しかったりしても、花瓶を壊してはいけませんよ」
目線を合わせるように跪いて真っすぐに見つめながら言えば、ぷく、とフローレンスは頬を膨らませた。
「違うもの。フローは悪くないの。……お母さまがやったのよ!」
「そうでしたか。それは失礼致しました。では奥様にもご注意致しますね」
メアが言えば、フローレンスはその服を引っ張って首を横に振った。
「いいの。本当はフローが悪いから。お稽古をしたくないって言ったから、怒られたの」
「お稽古をしないと立派な淑女になれません。立派な淑女になれなかったら、素敵な殿方と結婚出来ませんよ」
フローレンスはその言葉に渋々ながら頷いた。
お姉様は綺麗。
お姉様は優秀。
お姉様は王子様と踊った。
欲しい、とフローレンスは思った。
けれど、手に入れる為にはお稽古が必要なのだろう。
だったら、お母様もそう言ってくれればいいのに。
馬鹿みたい、とフローレンスはため息を吐く。
メアの報告を通じて、カルシファーは晩餐後の夫婦の寝室へ、フローレンスの様子を伝えに行った。
「フローレンスお嬢様は明日から、稽古に参加されるそうです」
その言葉を聞いたディーンは、沈んだ顔のリアーヌに笑顔を向けた。
「ほら、言ったじゃないか。癇癪をおこしただけだよ。たまたま虫の居所が悪かったせいさ」
「……そうかもしれないわね」
あの小さくも恐ろしい姿を見ていなければ言える。
それに、夫は長年鬼のような母を見て育ってきたのだから。
「それと、奥様が怒って花瓶を割られたとも仰っていたそうです」
「は?君が癇癪を起こして花瓶を壊したのか?」
「違います!そんな事はしていません!……何て子なの、嘘をつくなんて……!」
疑ったディーンもリアーヌの剣幕に、追及を止めることにした。
「まあ、それも良くある事さ。怒られたくなかったんだろう……相手は子供なんだから、君も寛容になれ」
「………でも、わたくし、怖いの」
娘なのに、得体の知れない何かになってしまったような娘が、リアーヌはただ怖かった。
癇癪を宥める強さか、言いくるめる賢さがあれば良かったのですが、怖くて逃げてしまった母。
動物的勘で母親を見下す娘、カオス!
これを書いていた時点ではフローレンスの牙がどちらに向かうか分かりませんでしたが……続きをお楽しみに。




