全てを赦しても、君だけは
「ねえ、もう許して頂戴。ほら、きちんと綺麗な実を採ったのよ?」
「そんなもの、いらない。落ちたらどうするんだ!骨を折ったかもしれないし、顔に傷でも残ったら……!」
キッと睨みながら言うカッツェに、困ったようにシヴィアが微笑んだ。
「別にいいわ、顔くらい。でもそうね、軽はずみだったと反省しているわ」
「良くないよ、シヴィ。君の顔にも身体にも、傷がつくなんて、そんな事が良い筈ないだろ!」
キュッキュッとスカートで林檎を包んで磨きながらシヴィアは考える。
きっと、カッツェの両親はとても善良な人達だったのだわ。
肖像画でも、夫婦で穏やかな笑みを浮かべているもの。
「ねえ、カッツェ。わたくしは貴方の敵なのよ。貴方を虐げた鬼のような人の孫で、色もよく似ているでしょう?あの人は昔社交界でも鼻つまみ者だったから、わたくしを見ると大抵の人は驚くのよ」
「違う、敵じゃない。君は俺を救けてくれた。あの地獄から救ってくれたのが君だ。色が似ていたとしても、全然似ていない。だから、王子だって……」
君の事が好きなんだ、とカッツェは声に出せなかった。
認めたくなかったし、心を揺らして欲しくも無い。
大事な大事な従妹で、この世界で唯一の、一番の宝物なのだ。
「貴方は、わたくしの家族もわたくしも憎まなくてはいけないわ」
「嫌だ!君を憎むくらいなら、俺は全てを赦す」
カッツェの言葉に、ハッとシヴィアは顔を上げた。
「そんな事は駄目よ。許されないわ。貴方の時間も両親も幸福も、全て奪われたのよ。ご両親が聞いたら悲しむわ」
「赦したくなんてない。でも、君を憎むなんて、もっと嫌なんだ。お願いだから、そんな悲しい事は言わないでくれ」
ああ、とシヴィアは泣いているカッツェの頭を胸に抱きしめた。
近づきすぎてしまった。
離れれば血が流れてしまう程に、ぽっかり空いた穴を埋めようとして、逆に彼を駄目にしてしまったのだと目を閉じる。
物語のように、離れようとして傷つける振る舞いをする、なんて馬鹿な真似はしない。
カッツェはずっと傷つけられ過ぎてきているのだから。
それならば、物理的な距離を開けるしかない。
夢のような蜜月を終わらせるしかないのだと、名残惜しむようにシヴィアはぎゅっとカッツェの頭を抱きしめた。
その日の夜、エルフィアの元にシヴィアが訪れた。
「お祖父様、わたくし、王都に戻ろうと思いますの」
「……私が死ぬまでは居てくれると思ったが……」
優しく見つめるエルフィアに、シヴィアも力なく微笑んだ。
「カッツェと距離を置かなくてはなりません。近くに居過ぎたせいで……彼の復讐の妨げになってしまうのです」
「……確かに悪がのさばるのは良い事ではないが、復讐だけが人生ではない。それに、幸せになる事が一番の復讐だ、とも言うぞ。もしもカッツェが幸せになれるのなら、それに越した事は無い」
「……でも、多分、わたくしが許せないのです」
しょんぼりと肩を落として、シヴィアが目を伏せる。
果実のように赤い唇をきゅっと噛み、それから続けた。
「人を家畜のように扱って嗤う人達の血が、わたくしにも流れていると思うと悍ましい。自分の為なら平気で他人の人生を奪うその欲深さも」
「シヴィア………」
エルフィアは、額と目を覆う様に手を翳した。
まさか、カッツェだけでなく、シヴィアもまた深く傷ついていることに気づけなかったのだ。
「いいか、シヴィア、おいで」
傍に来た孫娘をエルフィアは優しく抱きしめる。
「お前は何一つ、悪くない。私から見ても、カッツェから見ても、誰が見てもそうなのだ。それよりも、私の命を長らえさせて、カッツェを救いだしたのはお前だ。お前は善良で正しい人間なのだよ」
「……はい。だから、わたくし、妹の成長を見て、決めようと思うのです。同じ種子を持つ子として、彼女が正しく生きられれば、わたくしはきっと自分の中に流れる血を赦す事が出来る。でも、もし、それが叶わなければ、修道院へ参ります。悪しき者には全て罰を与えてからになりますが」
何という重くて悲しい覚悟を決めてしまったのだ、とエルフィアは胸が痛んだ。
そっと肩を放してシヴィアを見つめる。
「いいか?カッツェがお前を愛するのは悪い事ではない。公爵夫人に迎えたいと望むだろう。それにアルシェン殿下も、お前を妻にと願っている。幸せになる未来を閉ざさないで欲しいと、祖父の私は願っているよ」
「ありがとう存じます、お祖父様。……きちんと己と向き合い、見定めて参ります」
静かな湖面のような凪いだ紫の瞳は決意を秘めていて、エルフィアは悲しみを押し殺して微笑んで頷いた。
実は最初これを短編で書こうとして収まらなかったという…。
シヴィアのエンディングはまだ決めてませんが、フローレンスはもう決まっています。フフフ。




