記憶と感情
健一が家に着き扉を開けると一緒に住んでいる北野翼が駆け寄って来た。ただいま。と言った健一の帰宅の挨拶は無視だ。
翼は女にしては背も172cmと高く耳がギリギリ隠れるくらいのショートヘアーでTシャツ短パンだ。後ろでカラスの機械がぴょんぴょん跳ねている。
茂木が言うには翼は歳を重ねるごとに可愛くなっているらしい。舐められているのに。
「ついさっきニュースでやってたんだけど!記憶の件!」
「あーPA越しに何者かからメッセージが届いた件だろ」
「そうっ!この街に住んでいる大人は何かしらの記憶を喪失しているって。街がパニックみたいじゃん。インタビュー受けてた人とか動揺してたよ。生だったし」
「まー…パニックにはなるよな」
健一は軽い返答をしながら家の中に進み、今日はパスタか。とキッチンを物色。部屋に荷物をドサッと置き、洗面所へ向かった。
街がパニックになっているにも関わらず興味がなさそうな健一に翼は強めな口調で詰め寄った。
「なんでそんなに冷静でいられるわけ!?」
健一は手を洗いながら返答した。
「なんとなく予想してたからだよ。前にも言ったことがあるだろ?この街の人たちは本土に住んでいる人間から落ちこぼれって言われているって。だから、わざわざこの街に住んでいる人たちは嫌な記憶を消しているというよりは封じ込めているのかもね。って。それに、お前もそんな噂が学校でも流れてたって言ってたじゃん。それが実際にそうかもね。って話だろ?まぁ…感情のダイレクト共有については驚いたけどな」
それよりも、飯を食おう。と言った健一に翼は呆れたように、はー。っとため息を吐いた。
翼がギャーギャー言っているのは健一が帰ってくるときに起きた事件だ。
街の人達は大半、PAを活用している。健一は通知が分かりやすいように自動音声読み上げにしている。こめかみと耳の後ろに骨伝導+電磁力で音声や動画を見聞き出来るシールを張っている。防水な上イヤホンの様に耳は痛くならないので健一はシール型を使用している。
シールは音声を耳で聞くためと。脳に直接、映像などの情報を送れるようにするためだ。
健一の周りにいるトンボは健一のPAだ。翼のはカラスの形をしている。
フロートシティには日本、韓国、ハンガリーの人が主に住んでいるので音声を読み取り翻訳するためにデバイスが必要なのだ。
そのPAが「nonameから映像付きのメッセージが届いています」と通知を読み上げた。
映像を見てみると顔は映っておらず、女性と男性が椅子に座っていて、女性らしき人が話しだした。
「このメッセージをご覧の皆様にお知らせがございます。かねてより噂されておりました、街の人々の記憶についてメッセージさせていただきました。匿名でお送りさせて頂いたことはご了承くださいませ。私共は今回、封じ込められている記憶を解く方法を見つけ出しました。そして、記憶を呼び覚ます被験者を集め、こちらの男性の方に記憶を呼び覚ましてもらう事になりました。更に、記憶を戻す際に感情を記録して共有することができる独自技術も私共は持っております。PAをお持ちで本土から越してきた方を対象に明日、夜の12時にメッセージに記載したページへアクセス下さいませ。感情も合わせて共有致しますので、是非、ご覧いただければ幸いです。また、記憶回帰についてもその時お話させて頂きます。」
このメッセージをみて興味がそそられたのは感情の共有の部分だ。感情がダイレクトに伝わることができたら、どんな世の中になるだろうか。男女間の問題、国同士、宗教の隔たり、動物の感情もわかってしまうかもしれない。そうなったらどうなる。人はどうやって活用するのだろう。思考が読まれるよりも感情が読まれる方が気恥ずかしい。思考と感情はイコールではない。頭の中で考えていなくても感情は動いていることはある。感情を共有することができたらどうなるだろうか。
記憶のことよりも健一は感情の方に興味が行ってしまっていた。
「ねー。健さんは記憶を戻すの?」
リビングで二人でパスタを食べながら先程の件を回想していると翼が聞いてきた。
「たぶんね。戻すよ」
「やめなよ。戻すの」
「いや、戻すよ」
「嫌なことを思い出してどうするの?」
「多分、俺はそれを思い出しても大丈夫だと思う」
「どうして?」
「本土にいた時と環境が違うからだよ」
翼の保護者になって10年になる。この子は当時8歳の少女だった。血は繋がっていないし生意気な餓鬼だけど、一緒の生活は健一にとって楽しい日々なのだ。
それに失っている記憶は辛い出来事だろうが戻さなくてはならないような気がしている。いや、辛いからこそ戻さなくてはいけないのだろう。今のために。
「お前も辛いこと合ったろ?」
「御存知の通り小さい頃からね」
「んじゃ、記憶がないなんてフェアじゃないよな?」
「なにそれっ!?」
翼は笑って、「パスタ美味いでしょ?」と聞いてきた。この記憶を戻す戻さないは諦めてくれたようだ。
そう、平等は無理でも公平じゃないと良くないよな。これは翼に小さい頃から言ってきたことだった。
そうだ、事前に言っておこう。
「明日からのバイトだけど。教育担当は茂木くんだからね」
「えーっ!!茂木さんなの!?」
「茂木を舐めるなよっ!」
明日から茂木くんは大変そうだ。ごめんな茂木くん。生意気な餓鬼で。と心から想った。