表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
仏に逢うては仏を殺せ 父母に逢うては父母を殺せ  作者: よねり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

77/78

77

「生き残るのは、どちらかだけ。すでに、村人も全員死んだ。おっと、君の奥さんだけは船に積んであるから、あとで迎えに行くと良い」

 全員死んだ、と聞かされてどきりとしたが、妻だけは残していてくれたとわかってホッと胸をなでおろした。

「どうしてだ」

「このまま生かしておいたら、俺を殺さないだろう。君はもうこの島では生きていけない。俺を殺して船を奪うしか、生き残る方法はない」

 猫だった頃のヘルヴィムとの思い出が、頭の中を巡る。吹き出すように涙が零れた。

「感傷に浸っている余裕はあるかな」

 再び、ポセイドンが槍をつく。揺れのせいで、今度は上手くかわせなかった。左足の太ももに、刃が沈み込む。

 僕はうめき声を上げてその場にへたりこんだ。その拍子に刃は抜けたが、同時にどうしようもない痛みが僕の体を駆け巡った。

「痛いだろう。すぐに楽にしてやる」

 ポセイドンが槍を振ると、刃についていた僕の血が慣性力で飛んでいった。

「どうして……どうして……」

 僕は無様にも、口の端から泡を吹きながら泣いた。痛む足を押さえて、その場にうずくまることしか出来なかった。歩み寄ってくる死から逃げ出す勇気さえ無かった。

 もうダメだ――僕はぎゅっと目をつぶった。

 ものすごい風圧を顔に感じ、いよいよ自分の首が吹き飛ぶところを想像した。しかし、いつまでもそれは来なかった。

 恐る恐る目を開けると、槍は目の前で止まっていた。見上げると、ポセイドンが苦しそうに顔をゆがめていた。理由はわからないが、チャンスだと思って身をよじって逃げようとしたとき、地面に箱が落ちていたことに気づいた。落ちた衝撃で開いたのだろう、箱はポセイドンのほうに向かって蓋を開けていた。明らかに、ポセイドンはこの箱を忌避している。プロテウスもそうだった。ヒッポカンポスもだ。神に類する存在に対して、効果を発揮する代物なのだ。その証拠に、僕が触ってもなにも不快感はない。

 恐る恐る、箱の中を覗き込む。箱は、深淵の縁のような底なしの違和感と、ズシリと重量感のある闇が詰め込まれていた。その闇の中に、ギョロリと目玉が一つ動き回る。目を凝らしてみると、それは徐々に輪郭を持ち、胎児のようなものに見えてきた。

「水子の霊」と預言者は言っていた。確かに、これそのものが水子の霊なのに違いない。ただ、どうして水子の霊なのか。それに、彼らがそれを嫌がるのかわからなかった。

 水子の霊は僕を見てニヤリと笑った様に見えた。

「それのことも思い出せないのか」

 顔をしかめながら、ポセイドンが声を絞り出す。

「それが君の味方をする理由だよ」

 ポセイドンの首を、見えない手が絞り上げている。彼の首に小さい手形が浮かび上がった。彼はこの箱を見て恐れていたのではない、見えない何者かに攻撃を受けているのだ。それを僕に気取られないように、ポセイドンは我慢しているのだ。

「これ」が僕に味方する理由――ほんの少しも思い浮かばなかった。太ももの痛みのせいで思考に集中できない。

 島は休まず地震にその身を震わせている。山の稜線が形を変えた。あれはモノリスではなかったか――。

 ひどく気分が悪い。太ももから血を流しすぎているし、揺れに酔っているせいもあるだろう。いずれにせよ、僕の命が尽きることに変わりはなさそうだ。

「せっかく守ってくれてありがたいけど、僕はもうダメそうだよ」

 水子の霊に語りかける。心なしか、悲しそうな顔をしているように見えた。胎児の顔が何処にあるかなんて、僕にはよくわからない。

 その時、水子とは何だったのか思い出した。そうだ、あれは妻と寺に行ったときに聞いたのだ。――そうだ、水子とは、生まれることができなかった子供のことだ。

 ハッとして箱に視線を落とした。まさか、この子は僕と妻との――いや、まさか。僕は子供を作れない体質のはずなのだ。

「どうしてだ。僕は君の敵だぞ」

「もし産まれていたとしても、良い子に育ったはずだろうね。君のような父親でも守ってくれるんだから」

 自然と涙が溢れた。

 そして悟った。これは過ちだ。この島は僕の過ちの全てなのだ。

「これが罰ならば、受けよう。殺すなら彼ではなく、僕を殺してくれ」

 壊れ物を扱うように、箱を恭しく持ち上げた。

 目が熱い。僕の目からはマグマが溢れ出し、乾燥した砂地へ降り注いだ。このまま、この身を焼き尽くしてほしい。この子にはその権利がある。

 胎児が笑った。

 ハッと息を呑んだ。そのあまりにも美しい笑顔に、マグマは止まり、大地は潤いで満たされた。心が清らかに洗い流されてゆくようだった。

 これが、父性というものなのか。

 太ももの痛みも感じなくなっていた。

「世界は君を選んだってことだね」

 ポセイドンは僕を見てニコリと笑うと、自分の胸に槍を突き刺した。ゴボゴボ、と溺れるような音が彼の喉元から聞こえたかと思うと、口から大量後が吹き出した。彼の体は槍に沿って、ゆっくりと大地に滑り込む。

「な、なんてことを……死ななくたって良いじゃあないか」

 ポセイドンは弱々しく首を振った。

「生き残るのは君だけなのさ」

「どうして」

「そういう決まりだから」

「誰がそんな……」

 ポセイドンが僕の口に人差し指を近付けた。

「僕はもう死ぬ。だから、君に僕の船を貰ってほしいんだ。場所はわかるだろう?」

 以前、ポセイドンがプロテウスと乗っていったあの場所だ。

 僕は首が折れんばかりに頷いた。

「じゃあ、早く行くと良い」

「一緒に行こう」

「それは無理だよ。君もわかっているだろう」

 ポセイドンは震える手で、自身の胸の辺りを指さしてみせた。

「せっかく会えたのに」

「また会えるさ。忘れないでいてくれよ」

 そう言うと、ポセイドンは長く息を吐いて、動かなくなった。

 どこからか、プロテウスが音もなくやってきて、ポセイドンの体から槍を引き抜いた。僕のことを睨めつけるようにすると、ポセイドンを軽々と抱きかかえ、洞窟の中へ戻っていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ