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村での役割が出来た。
これで、僕も、いや、僕たちもこの村の一部になれたのだということがうれしかった。
妻の役割は畑の世話だった。
「困ったわ、そんなことやったこともないのに」
困ってように笑う彼女に「僕はきっと出来るよ、君は昔から器用だったから」と励ました。それでも彼女は乗り気でなかった。
妻のことは昔から知っていた。何でも器用にこなす。ハンカチに自分で刺繍をしていたことも知っている。僕たちは、そのハンカチを拾ったことから始まったのだ。あのハンカチはどこへ行ったんだったか。
僕は家畜の世話をさせられることになった。ほかに家畜の世話をしている人は一人しかいなかった。基本的に、野放しにしているようだ。確かに、この島で食べる肉の質は良くない。漁や果樹園には手をかけるのに、どうして食肉には気を遣わないのか。僕は肉を食べるのが苦手だったから、問題はなかった。それに、この島の人たちは宗教的な問題なのかわからないが、肉をほとんど食べない。食べるのは宴のときくらいではないだろうか。
家畜の世話をどうやるのか、唯一の世話人に訊いたら、適当で良いと言われた。
家畜と言っても、牛や豚が何頭かいて、鶏がいる程度だ。そのくせ立派な牧羊犬がいた。僕は犬が好きだったから、牛よりも犬の世話のほうが楽しかった。
牛が雑草を食んでいる間、畜舎の掃除をしたりした。思いの外重労働で、最初の頃は体中が痛かった。
ようやく慣れてきたかなと思った頃、僕に家畜の世話を教えてくれた人が死んだ。この島に来て、人が死ぬのを見たのは二人目だった。
この島では特別、葬式のようなものはない。墓はなく、遺体は燃やされた。その時ばかりは、村人が集まってきて、火の中に何やらいろんな物を投げ込んで一緒に燃やした。
後に残ったのは、炭だけだった。僕も死んだらこんな風にあとかたもなく燃やされるのだろうか。いっそ、その方が良いかもしれない。墓なんて立てられたら、いつまでもここにとどまってしまうような気がする。
様子がおかしいと思ったのは、その翌日だった。昨日死んだ家畜の世話人の家に、同じ顔をした人が住んでいた。親戚か何かだろうが、まるで、昔からそこに住んでいたみたいな顔で暮らしていた。
「いくらなんでも、切り替えが早すぎるんじゃないか」
僕が言うと、彼はキョトンとした顔をして「何を言っているんだ。君に家畜の世話を教えたのは俺だろう」と言った。
僕は混乱した。頭がイカれてしまったのかと思って、その場から逃げ出してしまった。
無意識に、放牧していた牛のところに来ていた。
牛の背に手を置いて、息を整えた。
「早く逃げろ」
低く、渋い声だった。
誰かと思って顔を上げると、牛がこちらを見ていた。辺りには誰もいない。
空耳かもしれないと思って、深呼吸をした。気が動転しすぎていたのだ。
「早く、逃げろ」
もう一度、先程よりもゆっくり聞こえた。
認めたくはないが、声は明らかに牛の頭の方から聞こえた。あの宴の時の岩の怪物を思い出した。
「早く、逃げろ。おかしくなるぞ」
牛の口が動くのが見えた。
僕はもうおかしくなっているのかもしれなかった。
「一体、なんだ。僕をからかっているのか」
傍から見たら、完全に頭のいかれた男だ。牛に向かって怒鳴っている。
牛はそれ以上は何も言わず、ゆっくりと歩き始めた。
この牛はきぐるみなのかもしれない。正体を突き止めてやろうと思って、僕は牛を追いかけた。
牛はゆっくりと時間を掛けて歩いてゆく。何度も尻をひっぱたきたくなった。
やがて、牛は古ぼけたドラム缶の前で足を止めた。その中を覗き込もうとしているので、何があるのかと思って、僕も真似をして覗き込んではっと息を止めた。
見覚えのある服や鞄が燃やされていた。昨日死んだ家畜の世話人のものだ。見間違うはずがない。何ヶ月も、ずっと二人きりで仕事をしてきたのだ。
やはり、僕はイカれてなんていなかった。いや、牛の声が聞こえた時点でイカれているのか。
わからない。
「早く逃げろ」
もう一度そういうと、牛はそれ以上喋らなくなった。




