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手をつくと、ひんやりとした懐かしい感触がした。
雨の音が止んでいた。
目を開けると、雨は降っておらず、地面は土ではなかった。
立ち上がると、そこはあの島ではなかった。
見覚えのあるコンビニの店内だ。少し見ただけで気づいた。ここは僕と妻が暮らしていたマンションの近くにあったコンビニだ。店内には誰もいない。店の外はやはり、僕たちが暮らしていた町だ。雨が降っている。
「ルネ、デカルト」
呼んでみても、反応はなかった。
どこかで水が落ちる音が聞こえる。記憶にあるよりも薄暗い店内。蛍光灯の寿命が近いのか、小刻みに瞬いている。
突然、入り口の自動ドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
カウンターから声が聞こえた。振り返ると、妻がそこに立っていた。
「何を……」
声をかけようとしたとき、自動ドアから大量の水が入ってきた。僕は水に押されるように、店の奥へ流されていった。妻が立っているところには水は浸入していないようで、妻は素っ気ない顔でそこに立っている。棚に置かれている商品とともに、僕は流される。酒の入った瓶が僕の顔に当たってアザを作った。店内と事務所の仕切り扉に捕まって、なんとか耐えている。あの奥まで流されていったら、どうなるのだろう。まるで僕の人生のように、流されて流されて、暗い地の底まで堕ちてゆくのだろうか。
僕のほかに買い物客はいない。
「助けて」
声を振り絞ってみたが、水が囂々とうなり声を上げて、僕の弱い声をかき消す。
「いらっしゃいませ」
妻が笑顔で言う。まるで彼女には僕が見えていないようだ。それに、この水も。
小さい女の子が妻の元へ走り寄っていった。
よく見ると、僕のことをパパと呼んだ子だ。
不意に左頬が痛んだ。
あたりから水は消えていた。左頬を押さえると、ジンジンと痛んだ。
そうだ。僕はあの子に殴られた。
なぜ?
思い出せない。
「天海」
声をかけると、ようやく、二人はこちらを見た。すると、妻はまるで化け物を見るような目で僕を見た。
彼女は泣き叫び、子供は妻にしがみついた。
僕は混乱してしまって、店から逃げ出した。
外に出ると、雨だった。激しい雨が、僕という存在を拒絶するようにたたきつけてくる。
激しい雨の中、突然、何者かに押し倒されてめちゃくちゃに殴られた。
「な、なんで」
必死に僕は顔を守りながら、「人違いだ」と叫んだ。
「お前が殺した」
どこかで聞いた台詞だ。
顔を覆う腕の隙間から見上げたが、相手の顔は猫だった。かなりがっしりした体型をしていた。
一体、これはなんだ。
夢にしては痛みにリアリティがある。
本当に夢か?
あの島のことが夢ではないのか。
確かに、現実味のないことばかりが起こった。
本当に、天使が地球に攻めてきたのか?
本当に、天使なんていたか?
本当に、天使から逃げたのか?




