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預言者は「箱」とだけ指示した。その言葉に、ソクラテスが敏感に反応した。ビクリと肩を震わせ、一瞬だけ預言者を見ると、すぐに視線を逸した。預言者はソクラテスの反応を知っていたように、冷たい目で彼を見た。
「貴様が行って手伝ってやれ」
「わかってる」
ぶっきらぼうに言うと、ソクラテスは「ほら、行くぞ」と僕たちの尻を叩いて促した。一刻も早く、この場から逃げ出したいような顔をしていた。
「ただの箱だろう? そんなに慌てなくても良いのに」
呑気に言う僕を、ソクラテスは鋭く睨みつけた。しかし、いつものような軽口は叩かなかった。
ソクラテスが先頭に立ち、ログハウスの奥へと進んだ。廊下は途中から、ゴツゴツした岩肌が見えた。ログハウスが山壁にめり込むように建っていたのは、この洞窟を隠すためのようだった。洞窟の中は暗く、ソクラテスがいつの間にか持っていたろうそくの火を頼りに進んだ。
洞窟はそれほどの広さはない。小さな社が建っており、その前にしめ縄が亘っており、紙垂が垂れていた。
ソクラテスは社の前で姿勢を正すと、手をあわせた。僕とプラトンはお互いに顔を見合わせた。プラトンは先程よりも青い顔をしていた。
熱心に何か祝詞のようなものを上げているソクラテスに声をかけるのもためらわれたので、僕たちも彼と同じ様に手をあわせた。
ソクラテスの声が聞こえなくなると、僕は薄目を開けて彼の様子を見た。ソクラテスは膝をついて、地面に額をつけると、社を開き、中から何か四角いものを4つ取り出して地面に置いた。小さな社のどこに、こんなにたくさんの箱が入っていたのか不思議だった。
ソクラテスは社の扉を閉めると、また手をあわせて何かブツブツ言った。
地面に置いてある箱は、三人で分担して持っていくのだろう。一つ取上げようと思って箱に手を触れた。
その時、ろうそくの火が消えた。
自分の手さえも見えない真の暗闇。ソクラテスの声も聞こえなくなっていた。
「お、おい、ふざけるのはよしてくれ」
僕はプラトンがいた辺りに手を差し出した。手は何の手応えもなく、空を切る。
「プラトン、ソクラテス」
恐る恐る、自分の周りを手で探る。しかし、虚しく手は何もない空間を撫でるだけだった。
自分の声が、闇の中に吸収されるように消えて行った。
「……殺した」
耳元で、女の声がした。
「誰だ」
振り返るが、何も見えない。
「あなたが殺した」
再び、声。
ぼんやり足元の辺りが明るくなる。
「誰だ?」
目を凝らすと、女がひとり立っていた。赤ん坊を抱いている。彼女の足元もぼんやり明るいが、顔はよく見えない。
「あなたが殺した」
「僕が? 人違いじゃないですか? それより、ここから出たいんですけど」
声をかけるが、女はこちらを見ているのかいないのかわからない。
「あの」
一歩近づく。しかし、女との距離は縮まらない。もう一歩、もう一歩。
女との距離は少しも縮まらない。そもそも、この洞窟はそんなに広くはなかったはずだ。
「あなたが殺した」
また、女が言う。イライラした。この女は、人の話を聞いていないのか。
「ここから出たいんですけど。出口を教えてください」
女は答えない。こんな洞窟に閉じ込められているくらいだ。イカれているに違いない。相手にしないほうが良いだろう。幸い、この女が現れてから辺りが少し見えるようになった。出口の方向はなんとなくわかる。
僕は女に背を向けて歩き出した。ほんの一分も歩けばログハウスに出られるはずだ。最悪、岩肌に手を当ててぐるりと一周すれば出口に行き当たるだろう。そんな風に軽く考えていた。愚かにも、プラトンやソクラテスがなぜいなくなってしまったかなんて、僕は考えもしなかった。
歩き始めて、もう五分くらい経ったように感じるが、一向に出口は見えてこなかった。
こめかみに汗が流れた。冗談じゃない、閉じ込められたっていうのか。
「あなたが……あなたが……」
女が後ろからついてくる。
「うるさいな。いい加減にしてくれよ。何だって言うんだ。このイカレ女」
振り返った瞬間、僕はうっと声を漏らした。
女は、妻と同じ顔をしていた。




