第772話 注意
「ごきげんよう、シエラ様」
「ええ、ごきげんよう」
今日から留学生が学園に通う日。
とはいえオーロラ魔術女学園以外は男性も居るから、彼らを女学園の寮には入れられない。
留学期間は二週間程度なので、宿を取ってそこから通うらしい。
無駄な努力かは分からないけれど、大聖女である僕はいつもの金髪ウィッグをつけてシエラ・シュライヒを演じている。
冒険者ギルド的にはSランクの二つ名「乙女の秘密」は二つ名で呼ばれ、その名前は貴族以外には秘匿されているのだそうだ。
まぁ貴族には毎年の魔術大会でシエラが「乙女の秘密」であることは知られちゃってるし、仕方ないことだろう。
だからこの間の海龍の件でESSランクになった「乙女の秘密」は貴族以外には自然と奏天に対してつけられたものであると、冒険者達は勝手に解釈してくれることだろう。
僕としてもそれは好都合で、そうなるとシエラ・シュライヒはただのいち学生。
この姿でいる間は、留学生の好奇の目などの対象にはならないだろう。
聖女学園の生徒達も僕がシエラでありソラであることは知っているが、僕が『ソラの格好をしている時』と『シエラの格好をしている時』の2パターンがあることもまた、周知の事実だ。
主に講師補佐の時はソラ、学生や聖徒会長の時はシエラなどと分けていたが、今回は留学生がいる間、面倒事を避けるためにも極力ソラの姿にはなりたくない。
そしてシエラのウィッグをつけている時は学園の子達もいつものように挨拶はしてくれるが、直接的な干渉を避けてくれるようになった。
誰が噂を広めたのかは分からないけれど、僕がシエラの格好をしている時はお忍びであることを察してくれているようだ。
しかし、干渉を避けてくれるとはいっても、聖徒会長であり大聖女であることには変わりない。
だから「今日はお忍びだわ」と陰で話の種にされることは今までと何ら変わりなく、また下駄箱や目安箱のラブレターが減るわけでもない。
まあそれでもこれは聖女学園での暗黙の了解のようなものが出来上がっており、留学生がくる間、僕が常にシエラで居ることを知ると――
「シエラ様の秘匿事項は、必ず口外いたしません!」
「留学生からシエラ会長を御守りするのは、私達の役目ですわ!」
――と、淑女達の団結力を見せてくれていた。
風紀委員はあるものの、本来学園の風紀とは個々人で乱さないように自制することで保てるのなら、それが一番いいことだ。
流石に各国の淑女が留学してでも集まる聖女学園。
貴族と平民との軋轢もなくなってきた今、むしろ学園の風紀を乱しているのなんて、男の僕くらいだろう……。
「まぁ!ローレル騎士学園のエーレ・エインベルク様よ!」
「騎士としての佇まいも素敵だわ!」
「涼花様にも負けない美青年ですわね……」
留学生の顔と名前は資料を貰った。
流石に聖徒会長だし、聖女学園生と留学生がお互いに充実した学園生活を送って貰うためにも一通り目を通している。
彼は騎士学園三年生でエインベルク公爵の次男。
家督は長男が継ぐので、次男や三男はこうして騎士学園や魔術学園に通って王宮騎士や王宮魔術師、聖女親衛隊などを目指すのだそうだ。
あまりいい価値観ではないけれど、貴族家や王家の次男は長男が亡くなったり犯罪を犯してしまった時などに家督を継ぐ予備として家庭内では扱われる傾向にある。
勿論家督を継ぐ可能性もなくはないので、それによる教育の差別などはなく、彼は最低限の領主や貴族教育を受けながらも武術の才に秀でていたから騎士学園に通っている。
この辺りは僕達の世界の価値観とはちょっと変わるかもしれないけれど、継ぐ人がいなければ他家に爵位を渡すことになるので、聖女達も強くは言えないところがある。
まぁでも社長の子が二世になる会社なんて今でもざらにあるし、家族には裕福な暮らしをしてほしいという願望は往々にしてあるだろうから、そんなに変わらないかもしれない。
何故彼の名前がちらほらと聞こえているかといえば、彼がモテるからだ。
今でこそモテているアール王太子だが、西の国ではこのエーレ君が一強だった時期があったらしい。
モテるというのは一般的な価値観ではなく、彼はこの世界的に「優良物件」であることを指している。
それはなんといってもこのローレル騎士学園内で一番強いと言われていることと、緑の瞳が綺麗でエルフかと思うような整った顔も関係はあるけれど、それだけが理由ではない。
エインベルク公爵家は長男が継ぐことがほぼ決まっているらしく、だから彼は他の王家や貴族家の婿に出すか、王宮騎士などになって貴族令嬢や平民と結婚する道も許されている。
婿を迎え入れる必要のある貴族令嬢は勿論、嫁に出すにしても相手がエインベルク公爵家ならば貴族としての体裁としても申し分なく、更には王宮騎士として順当に行けば爵位を貰えるほどの実力はあるらしいので、貴族にとって、嫁ぐにも婿に迎え入れるにも優良物件すぎるのだ。
その上彼の希望次第ではあるけど、平民にもチャンスがあるので、彼を狙っている女性は相当数いるのだろう。
美貌、強さ、地位、その3つを全て持っているなんて、本当に神様って不平等だよなぁなんて思ってしまう。
僕もこんな格好いい男の子に生まれたかった……なんて言ったらエルーちゃん達に怒られそうだ。
「ごきげんよう、エーレ様!」
「へぇ、こちらの挨拶は『ごきげんよう』なのか。面白いね」
「きゃあっ!美声が響き渡るわぁ!」
「微笑む姿が素敵ですわぁっ……!」
彼は大層モテるけれど、だからといってたくさん侍らすような交遊はしていない。
そこがまた更にモテる理由になっているのだが、一番の問題はそこじゃない。
僕は彼を、今回のイベントにおいて要注意人物とみなしている。
「お久しぶりです、ごきげんよう、シエラ様。シュライヒ公爵家での御功績は予々……」
先程聖女学園の皆さんがシエラがソラであることを必死に隠してくれていると言ったが、何事にも例外はいる。
先程も言ったように、彼は公爵家。
そう、一年前に檜葉胡桃ちゃんの誤解を解くため、僕は各国の王家と公爵家の皆さんにシエラがソラであることを伝えている。
そしてそれは、西の国も例外ではない。
留学生の中でも彼だけは、僕がソラであることを知っているということになる。




