第766話 本番
「ぐすっ……お母さんが……!」
後宮に戻ると、僕はシルヴィの胸のなかで泣いていた。
あんなに大丈夫と豪語しておきながら、一人で受けとめられない自分の心の弱さに嫌気がさす。
あんなにいじめられてきたというのに、搾取されてきたというのに、涙が溢れて仕方がない。
「ぐすっ、僕のせいだ……僕が逃げたから……」
「違います。アレも二人の子を亡くして、ようやく悟ったのでしょう」
姉の狙いは僕の家族を、一人残らず殺すことだったのかもしれない。
お祖母ちゃんも、梓お姉ちゃんも僕に会えないまま死んでしまった。
僕より先にこの世界に来た理由があったということだ。
聖女は何かしらの闇を前世で抱えてここに来る。
それはあの二人に身の危険が迫っていたからに他ならない。
お祖母ちゃんの資産を狙った姉の手先が、嶺家を狙っていたということだ。
そして突如として居なくなったお祖母ちゃんの相続をした家族、梓お姉ちゃんにも矛先が向いた。
エリス様が伝えなくとも、僕はその答えに辿り着いていた。
お母さんとお父さんの仲が悪かったのも、姉が自分の「望まれない子」という立場を笠に着て、逆らえない環境を整え、更に洗脳していた。
「お父さんが姉を家族とは認めないと怒鳴った」と、お父さんが口を滑らせたのは一回だけで謝罪もしたというのに、裏で何度も繰り返し言われていたなんて母親に吹聴するようなことが、ただ一人許されていた。
姉は、昔は普通の性格だったという。
僕が生まれるまでは。
父親に捨てられた新しい家族でも、お父さんもお母さんも愛情を注いでくれていたのだろう。
でも僕が生まれて、姉の将来設計が狂った。
そして僕の全てを奪っていった。
お祖母ちゃん、梓お姉ちゃん、学校生活、お金、そして母親……。
「大丈夫です、ソラ様……!まだハジメ様がいらっしゃいます!」
「ぐすっ、お、お父さんはっ……!?」
「『大丈夫、あの男には念を押して死ぬなと伝えてるわ。今も無事よ』」
「っ……うぅっ……!ごめんなさいっ、お母さぁん……」
エルーちゃんにしがみついて泣く。
あんなに憎んでいたと思っていたのに、悲しい感情の方が強くて仕方なかった。
幼かった頃の、細身で苦労してそうで、それでいて優しい母の姿が浮かんでしまった。
彼女もまた、姉の被害者だったのだ。
その日の休日、なにもする気が起きず、僕はずっとベッドでくま九郎を抱き締めていた。
なにもしていないと、考えることが多くなり、勝手に目から涙が垂れ流れていく。
それをエルーちゃんはただなにも言わず、膝枕でずっと頭を撫でてくれていた。
それでも、エルーちゃんの「瘉快」でも、僕の悲しい気持ちは鎮まってくれなかった。
夜も更けてきて、月の光とエルーちゃんと僕だけの静まった空間だけがそこにあった。
「僕がいなかったら、みんな不幸にならず幸せだったのかな……?」
もう涙は枯れてしまったけれど、負の感情は溢れてくる。
「この世界のみんなだって、僕のせいで不幸に……」
「なりませんよ」
エルーちゃんはベッドサイドから僕を押し倒し、上に覆い被さった。
「ソラ様がおいでになられてから、この世界では沢山の人が救われ、幸せになりました。そして私は今、ソラ様のお陰で幸せになったのです」
エルーちゃんは僕にキスをしながら避妊魔道具を僕の腰に巻くと、服を脱いで下着姿になると、僕の上に馬乗りになった。
「ソラ様、私と本番、しませんか?」
「な、何を……」
「悲しい気持ちは全て私が引き受けます。ですから私が、ソラ様の自信になれませんでしょうか?」
過去の世界ばかりを見ては自信をなくす僕と、僕との未来を視て自信をくれるエルーちゃん。
「エルーちゃんは……格好良すぎるよ」
「ふふっ、奇遇ですね。私がソラ様と出会った時、私も同じことを思っておりましたよ」
月夜に照らされた美しい肢体が花から生まれた妖精のように綺麗で、僕はずっと夢の中にいるような気分だった。
もうそこに我慢なんて、なにもなかった。
「私の初めて、貰ってください」
「うん。僕の初めても、貰って」
この日、僕はエルーちゃんと本当の意味で恋人になった。




