第669話 収穫
抱きつくのは離してくれなかったものの静かに寝ていた。
起こすわけにもいかなかったけれど流石に寝ないと翌日が辛いので、無理矢理寝に入った。
二年間女性の花園に居れば、流石に耐性はついてくるのか、なんとか少しは寝られた。
「う……もう朝……」
寝たといっても、抱きつく力が強くてたまに起きちゃうんだよね……。
おかげで二時間くらいしか寝られなかった気がする。
「んっ、ううん……」
「おはよ、エルーちゃん」
「おは…………?」
固まってしまった。
僕が不安にさせないように優しく微笑むと、エルーちゃんの顔がだんだんと朱色に染まっていく。
「も」
「も?」
「申し訳ございませんーーーーっ!」
一瞬で部屋から出ていった……。
「ちょっ、ここエルーちゃんの部屋だからっ!」
昨日お風呂にも入れなかったので、清浄で綺麗にする。
「お眠りを阻害してしまい、誠に申し訳ございませんでした……」
「気にしないで」
「あの、身支度とお食事の用意をいたしますので、どうかそれまでお休みくださいませ」
「ありがとう」
でも、エルーちゃんのお陰で睡眠は浅かったけど悪夢を見ることはなかったから、悪いことばかりではなかったんだよね。
ちょっと眠って気分が回復してから食事をいただく。
「先日はあらためてありがとうございました」
「聖女としての務めですから」
「ありがとうございます。それでその……明日領主のライマン公爵様方がお越しになるそうで、ソラ様に御会いして感謝申し上げたいとのことで……」
「わかりました。明日お会いしましょう」
翌朝に返事があるなんてフットワーク軽いように感じるけれども、実際は僕達聖女相手だからなんだろうね。
僕からも周囲に感染が広まっていないことをあらためて話しておく必要はあるだろうし、断る理由もない。
「本日はいかがなさいますか?」
確かに、待っている間の一日が空いてしまった。
「ええと、この村を見て回りたいかな」
「でしたらその、昨晩のお詫びに私がご案内いたします」
「ふふ、頑張りなさい!」
テレシアさん、流石に露骨すぎるよ。
パン屋さんや酒屋さん、お食事処が沢山並んでいる。
「西の村は広い範囲で大麦と小麦をそれぞれ育てています。ですから麦茶やビール、パンなどの産地としても有名なんです」
それらは貴族よりも明らかに分母の大きい平民に広く流通しているものでもある。
景観だけでなく、民の暮らしを支える要としての役割もある西の村は、ライマン公爵が優遇するのもよくわかる気がする。
「あっ!大聖女様にエルー、いらっしゃい!」
「こんにちは、ドルシーちゃん。今日は店番?」
「はいっ!おやおやそちらは……デート?」
「デッ……!?ドルシーっ!」
「まあ、そんなところだよ」
「……まっ!」
「!?」
否定するかスルーされると思っていたのか、二人ともビックリしていた。
「ほら、焼きたての菓子パンは美味しいんですよ!二人で食べて!」
これは、バタースコッチみたいなものだろうか?
「ありがとう。えと、お金……」
「お金なんて、大聖女様から貰ったらそれこそお母さんにどやされるよ!ほら、私の奢りだから、気にせず食べて!」
「ありがとう、ドルシー」
「頑張るのよ、エルー!」
エルーちゃん、本当に愛されてるなぁ。
近くの木影の椅子に二人で腰かけて、いただいたパンを頬張る。
「んー、美味しい!」
「この味も懐かしいです。あまり娯楽も多くないここでは虫取りや読書くらいしか楽しみが無かったんですが、麦とは切っても切り離せない縁でして。播種や麦踏み、収穫の時期になるとこうして村の大人や子供達が総出で手伝うんです。手伝うと菓子パンやお茶、ビールやお給金をいただけるので、みんなそれを楽しみにしていたりします」
「村の皆でこの『黄金の丘』を作っているんだね」
「はいっ!」
丁度今は大麦の収穫の時期のようで、子供達が泥んこになりながらも刈っている様子が伺える。
僕達が手伝って彼らのお給金を減らされても可哀相なので、この光景を眺めるだけにする。
田舎に来たことはほとんどないけれど、ゆったりと時間が流れていく感覚が、心を癒してくれる感じがする。
「気持ちいい風……」
「ソラ様、麦茶です」
「ありがとう。葵さんが聖女院を離れた理由も、なんとなく分かる気がするなぁ」
聖影……とくに変態淑女の杏さんに睦言を見られていたことも原因の一つではあるだろうけれど、それだけではなかったように思う。
木陰で涼みながら、麦茶の香りを楽しみ、飲む。
賑やかな街から離れた場所でのんびりとすれば、僕の汚れた心もいつか浄化されて嫌な夢を見なくなるのかもしれない。
「ソラ様は、いつか聖女院をお離れになるおつもりですか?」
「まだわからないけど……その時は、一緒に来てくれる?」
「勿論です!」
それがなんの確認だったのか自分でも分からなかったけれど、僕はきっと何かしらの引き金を探していたんだと思う。
「あのね、エルーちゃんに渡したいものがあるんだ」
「えっ……?」
いつか渡そうと思ってクラフトしていたサファイアのブローチを入れた箱を取り出す。
水属性の威力と発動速度を底上げするブローチだ。
ネックレスは装備品としてつけているから、これならきっと邪魔しないだろう。
「綺麗……!」
「もう知っていると思うけど、私ね、エルーちゃんのことが大好きなの」
「っ……!?」
「あなたの笑顔を沢山横で見ていたいし、悲しみも苦しみも分かち合いたい。一緒に歩んでいきたいんだ」
一生に一度の言葉は、出すまでに随分と時間がかかったのに、いざ言うときにはすらりと出てきた。
「エルーシアさん。私の、お嫁さんになっていただけませんか?」




