第664話 略奪
「わ、私のせい……」
「何をそんな深刻なお顔を……あ、いえ。この際ですから深刻になっていただいた方がよろしいですね」
「えっ?」
どういうこと?
「聖女祭の二日目、ソラ様が教室で仰ったことを覚えていますか?」
「それはもちろん……断る理由を作るためにでっち上げた嘘ですから」
わっ、顔近い!
「それは、女神様に誓って?」
「……嘘じゃないという何か根拠でも?」
「ソラ様が嘘を仰るとき、申し訳なさが顔に出るんです」
「えっ、嘘……」
「嘘です」
「ちょっ……!?」
だ、騙された……。
「試すようなことをして申し訳ありません。ですがそれは嘘でも真実でも我々民には関係ないのです」
「どういう、ことですか?」
「ソラ様の想い人がいらっしゃる、その可能性があるだけで私たちは覚悟を決める必要があるのですから」
「覚悟、ですか?」
「ソラ様は、まだ想い人がいらっしゃることまでしか告げていらっしゃらないでしょう?」
「はい。それがどう……」
「そのお相手のお名前を、隠していらっしゃるでしょう?」
「はい」
でも、別に僕の想い人が誰でも、皆さんには関係ないような……。
「もしそのお相手が、既婚者だったとしたら?」
「えっ……?」
今、なんて……。
「あなた様はみじんもそんなこと思っていないでしょうが、この世界での序列一位です。もし既に既婚していても、婚約者がいても、恋人がいても、そのお相手が聖女様同士でない限り、ソラ様のお心がその御方にあるのであれば、差し出さなければなりません」
……僕の考えが甘かった。
『聖女こそが法である』という言葉の意味をきちんと考えられていなかった。
たった一つ、僕の言葉次第で全ての民の皆さんが怖がらなければならなくなるということに、至れていなかった。
「過去にも例があります。第37代聖女の渋谷陽様は略奪愛がお好きで、金遣いの荒く破産寸前に追い込んだ妻や暴力を奮って夫を不幸にする妻など、当時の法では裁けなかった者達から夫を奪って、その夫達を生涯幸せにしたと言い伝えられています」
同じ聖女である以上、略奪愛なんて発想すらないものだと思っていた。
でも過去にはそういうことがあり、たとえどんな人だって、大なり小なり人には言えない悪いことはしていてもおかしくはない。
たとえそれが「内緒で夜食食べた」程度のものであっても、民からすれば心当たりになってしまう。
そんなどれかも分からぬ罰が当たったのだと疑心暗鬼になる。
その不安の種をすべての人々に植え付けてしまったような状態だ。
「リリエラさんが、集中できていなかったのも、私がリリエラさんを奪うからだと?」
「あっ、そうでしたわね……。ソラ様は女性愛者なのでした。どちらもイケる御方だと思っていたので、私はルーク様が取られてしまうのではないかと不安でした」
「……」
いつもなら笑い話になるところなのに、てんで笑えなかった。
僕が皆の幸せを、知らずのうちに力強く握ってしまっていた。
ゆっくりと育てていこうと思っていた気持ちが、急に急がなければならなくなってしまった。




