第618話 肩書
「う、うぅ……もうサインは嫌……」
もう、一生分書いた気分だ。
「もう……許し……はっ!?」
「おはようございます、ソラ様。ひどく魘されておいででしたが、大丈夫ですか?」
「あ、うん……今回のは一時的なものだから……」
エルーちゃんと涼花さんに僕の嫌な記憶を肩代わりしてもらってから、それまで2、3日に一回前世の夢で魘されていたものが一週間に一回まで緩和されていた。
ただ今回は別の悪夢だったし、言うのも恥ずかしかったので言わなかった。
階段を降りた時、いつも元気に挨拶しているルージュちゃんの意識がそぞろだった。
「おはよう、ルージュちゃん。どうしたの?」
「い、いえ。なんでもありませんわ……!」
「……?」
逃げるように部屋に帰っていくルージュちゃんに、僕は一抹の違和感を感じていた。
「ソラ様、さようなら!」
「ソラ会長、さようなら!」
「ソラ先生、さようなら!」
「はい、皆さんさようなら」
皆さん元気に挨拶してくれる。
なんだか肩書きが増えたなぁ……。
「あの騒動が嘘のように静かになりましたね」
「そうだね、平和なのが一番だよ……」
とはいえ、僕のサインを求める動きはあくまでも聖女学園の中だけで見れば皆さんの分を書ききったから収まったものの、根本的には解決していない。
ひとたび僕が学園の外に出るとサインを求めてやってくるので、学園や聖女院の外に出るときは身を隠したり変装したりしないといけなくなってしまった。
それに僕の所在が聖女学園だと僕自信が明言してしまったことで、信仰心の強い人は僕が学園から出てくるのを今か今かと待ち構えていたり、聖女学園の門兵や事務員、先生などの志望者が爆発的に上がっているらしい。
「これも束の間の平和なんだよね……」
「台風の目みたいなものだろうね」
「女性を狂わせてきた涼花さんには言われたくはないですよ……」
「おや?流石にソラ様には敵わないと思っているが」
まあ、今僕がいるところが台風の目みたいってのは認めるけどさ……。
しかし「全生徒分書いた」バリアも、小学生の頃流行った無敵バリア並みの脆弱性だ。
どうやらサイン入り写真集をもらった平民の子が悪い大人に狙われたりしていたらしい。
流石に僕や柊さんのいる学園内で堂々と盗んだりはしないみたいだけど、登校中を狙われるなどあったそうだ。
事前に聖女学園の生徒のレベル上げをしていなければ、抵抗力のない皆さんが大変な目に逢っていたかもしれないと思うと、ぞっとする。
貴族の仕業なのか知らないけど、抑止力のためにも外部への「ばら撒き」は必要らしく、結局僕はサインを書いては聖女院に送って頒布してもらっている。
中には領主である貴族の命令で「失くしたからもう一度ください」と言わされるなどの教唆を行う人もいたらしい。
そういうのは学園内にいる影の三人に調べてもらい、聖女院を通してペナルティを与えている。
こんな閲覧価値のない写真集一つで人々が狂うというのは、なんとも現実味のない出来事だ。
「ただいま帰りましたぁ」
「おかえりなさい。ソラ様、ちょっといいかしら?」
「どうしたんですか?」
寮母のフローリアさんに連れられて二階に行くと、ルージュちゃんの部屋に案内してくれた。
「ルージュちゃん、入るわよ?」
「ソ、ソラお義姉さまっ!?」
「その傷……っ!?」
ルージュちゃんはなんと、膝を擦りむいて痣ができていた。




