第294話 哭泣
『――霖雨蒼生の慈悲深き女神よ、今ひと度吾に力を貸し与えたまえ――』
怪我をしたハイエルフの人たちを覆い尽くす魔法陣。
『――広範囲の特級治癒――』
喧嘩……というより一方的な蹂躙だった気もするけど、戦いで怪我をした人たちを癒す。
「みるみると怪我が……」
「治っていく……!」
「少しは頭が冷えた?」
「サ、サクラ様っ!?」
「シ、シルヴィアさんまで……」
「神の御前で嘘を付くことは赦されない。低能な貴様らには、私が来ないとそれが伝わらないと思ってな」
神様が見ているぞ、ということなんだろうけど、そんなに煽らなくても……。
「奥方様、さあどうぞ」
「どうぞ、とは……?」
何を期待されているのか知らないけど、僕はなにもしないよ?
「ここは盛大に『ざまあ』するところでは?」
なんか、前世のような言葉……。
「そんなこと……誰が教えたんです?」
「真桜様です。それが王道だと仰いました」
いや、悪役令嬢は王道というよりは邪道では……?
「あー!」
僕に手を伸ばして、目をキラキラと輝かせている真桜ちゃん。
「……真桜ちゃん、めっ!」
「あう」
人差し指でほっぺをぷにっとする。
どうしてこんなに赤ちゃんってふにゃふにゃなんだろう……。
……しまった、癒されている場合じゃない。
「盛大に『ざまあ』をしてしまっては、またその人たちがおおきな心の傷を受けて恨まれてしまうでしょう?それでは同じことの繰り返しです」
恨まれるのが僕ならそれでいいけど、今回はサンドラさんになってしまう。
それは僕が我慢ならない。
「真桜ちゃんも転生する前、沢山辛いことがあったかもしれない。でもその時の怒りを他の人にぶつけたら、今度はその人達が同じ目に遇うの。私、できれば真桜ちゃんにはそういう考え方はしないでほしいな」
サクラさんに抱かれたその両ほっぺをやさしく包む。
「う……わああああ!!」
「真桜様が、泣かれるなんて……」
僕はハンカチを取り出して涙を拭く。
「真桜ちゃん。真桜ちゃんは悪役令嬢に憧れているみたいだけど、悪しきを挫く悪役風令嬢の方が格好良くて素敵なレディーだと思わない?」
泣き腫らした目で僕を見る真桜ちゃん。
そもそも転生という形で聖女が来るのが初めてなんだ。
周りの人たちもサクラさんだって、どう接していいのか戸惑うだろう。
天才幼女は甘やかされて育つのは言うまでもない。
それでも、彼女は前世の記憶がある一人の女の子。
あまり子ども扱いし過ぎるのも、違うと思う。
「ごめんね。これそれだけは譲れない。私みたいになってほしくないの。この世界の人たちも私達みたいに必死に生きているってことは、覚えておいてほしいな」
僕は向こうの世界の仲直りの合図である小指を差し出すと、小さな手で握り返してくれた。
「ですがソラ様、奴らは必死に生きているとはとても……」
「それでも、やりすぎると困るのはハイエルフの皆さんではなく、その下の人達なんです」
「それなら、必死に生きさせてみるというのはどうでしょう?」
ソフィア王女がこちらに歩いてくる。
「と、いうと?」
「元々王族や公爵家も名ばかりで勉強も怠り、ろくに働いていないのですから、給仕が当たり前で彼らは外の世界を知らないのです。約束どおり私達が女王となるなら決めていたことがあります。それは彼らに一度、下々の仕事を学ばせることです」
そう宣言したソフィア王女の目は、真に迫るものだった。
「私はソラ様に師事をして、いかに私が甘えていたのかを知りました。ですから同じように学んでほしいのです。既にこの国の農家や商店、建築業、それに冒険者などそれぞれの伝手に、一人一人に頭を下げて3年の間働かせていただくようお願いをして来ました」
ソフィア王女、僕達が修行をしている間にそんなことを……。
「サンドラちゃんのことを怨んだら私とソラ様が赦しませんが、私のことは怨んでも構いません。ですから僅か3年の間だけでいいので、各々が下々のしているお仕事について、経験してきてください」
「私達を奴隷にでもするつもりか!」
「そうだそうだ!」
ソフィア王女は杖をアイテム袋にしまって首を横にふった。
「いいえ。奴隷なんかではなくきちんとお給金も出るお仕事ですよ。それともまさか高貴なる種族は、下々のお仕事すらもできない下々以下なのでしょうか?」
「な、なんだと……!」
「それくらいできて当然だろう!」
「たった3年だろう?いいじゃないか!だが、やってのけたら、頭の一つくらい下げて貰おうか!」
売り言葉に買い言葉……。
「そんなので決めていいの……?」
「ふふ、いいのよ。ハイエルフにとって、3年とはそれくらい短いものだもの。でも働けばいずれ気づくわ。汗水たらした一年のその濃さに……」




