閑話36 うつつ
【リリエラ・マクラレン視点】
今日は初めて聖女院へ入り、ルーク様の秘書見習いとして勉強させていただける日。
あの日、二人でお話させていただいたときに、ソラ様のお話で盛り上がったお陰で、今ここにいる。
ただでさえお忙しいルーク様にお時間を取っていただけるだけでも光栄なのに……。
ソラ様には、一生の感謝をしなければならない。
最初のうちに迷惑をかけるのは諦めるとしても、なるべく早く仕事を覚えて、ルーク様のお役に立てるようになりたい。
メイドの方に案内されて進むと、執務室にルーク様がいらっしゃった。
「ああ、リリエラさん。お待ちしておりました」
朱色のお髪に知的な眼鏡。
凛々しいお顔で微笑むルーク様。
この笑顔に何度やられてきたことか。
更衣室に案内され着替える。
聖女院では政治の持ち込みは禁止となるため、貴族の紋章などを付けることは許されない。
ルーク様の執務室はお一人だが、何も一人でお仕事をされているわけではない。
「リリエラと申します。本日はよろしくお願いします!」
更衣室でお会いした人達にもきちんと挨拶は忘れない。
「貴女、ルーク様に気があるのかしら?」
「っ……!?」
「あら、図星……私はクリス」
クリス様は冷静そうな女性で、できる女性のようだ。
「よろしくお願いします、クリス様」
「ええ。けど、一日で終わらないといいけど」
「えっ?」
「『ルーク様に気がある』で入ってきた人間は、皆辞めていったから……」
不穏な言葉が私を不安にさせた。
内政官のお仕事は多岐にわたる。
主にお布施などのお金回りの交渉からその使い道を決め、更には行事などのその様々な聖女様に関わるものを取り纏め、その過程で出てくる書類仕事もこなす。
本来の決定権は全て聖女様にあるが、それだと聖女様の負担が大きすぎる。
最低限の確認だけで済むように、この聖女院の方々は扮装されておられる。
いや、そもそもこの分担システムを発案したのはルーク様なのだ。
見事に聖女様のご負担を切り離したその手腕に、葵様がご存命の時に執政官に推薦され、それからはルーク様が長を務めておられる。
「東の国のご参加はいつも通りだそうです。樹家のほかに護衛が複数、陰の護衛として嶺家を付けるとのことです。リストはこちらです」
まだ夏真っ盛りだというのに、もう五国会議のお話をされているほど、未来の事を考える仕事でもある。
「嶺家の記載がありませんよ」
「サクラ様のご命令です。聖印は頂いております」
「わざわざ聖印まで……。ソラ様をどうにか誤魔化せということですか……分かりました」
「お手数お掛けします」
二代以上の聖女様が同時におられる場合には意見の衝突も起きる。
その対処も考えなければならない。
本当に大変な職だ。
しばらく書類仕事をお手伝いしていると、執務室の扉が開かれ、執事様が入られる。
「セバス殿、いかがなされましたか?」
「ソラ様から、緊急のご連絡です」
「ソラ様から?」
「はい。……そちらのご令嬢は?」
「リリエラさんです。ソラ様が信頼しておりますし、ご本人から全ての権限の許可を頂いておりますから、内容を話しても大丈夫です」
あの社交パーティーで誉めてくださったことが影響しているのか、それともシエラさんが取り計らってくれたのだろうか。
きっと親友のおかげに違いないと思った私は心の中で感謝した。
「は、はい!絶対に他言いたしません」
「では。たった今ソラ様がフィストリア王家に匿われていた捕虜数百人をお連れしました」
「「!?」」
「現在はその方々に部屋を分けて貸し、食料と衣服を分けております。ソラ様から『事後報告ですみませんがこの方々を一時的に匿う』とのご伝言を授かっております」
「……聖女院のメイドでは足りないな。私も行きます」
「っ!お供いたします!」
「……リリエラさん、捕虜は見て気持ちのいいものではありませんよ?」
「目を背けて助かる命を助けないのは私の主義に反しますから」
「やはりソラ様が信頼を置くだけはありますね。では、行きましょう」
部屋に入ると、痩せかえった人達で溢れていた。
「ルーク殿!」
「アレクシア女王!貴女までいらっしゃいましたか」
「お手を煩わせてしまい申し訳ない……。本来であれば、我が国で解決すべきところを……」
「ソラ様がお助けすることを選ばれたのですから、そこに貴賤は関係ありませんよ」
盲信のような台詞だが、いい言葉だ。
魔王から世界をお救いした大聖女様なのだ。
あの社交パーティーで魔物の存在を暴き、我々をお救いいただいたソラ様なのだ。
ソラ様が間違ったところなど、私は一度も見たことがない。
「ルーク様、この方々に湯浴みをご用意したいのですが……」
無力な私ができることは、ソラ様が救うと決められた方々に尽くして差し上げることだけだ。
「そうですね。女王もいらっしゃいますから、先に女性からお願いします。男性の方々には食事をご用意ください」
「貴女は、元貴族のお方か?」
女王陛下のお体を洗っていると、声をかけてくださる。
「マクラレン侯爵家が娘、リリエラと申します」
「どうしてご令嬢がここに?」
「私は本日ソラ様とルーク様のご厚意で見習いとして来ている、ただの聖女学園生です。本来ならばここにいるべき人間ではありません……」
「ふふ、それだけ貴女を信頼しているということじゃないか。貴女自信は聖女院で働く気はないのか?」
「聖女様の秘書になることが私の夢です」
「そうか。私にも聖女学園に通わせている姪がいるのだが……」
「えっ……」
「にゃにゃ!?女王様、それは隠していたんじゃ……」
獣人の女性が忠告する。
「……じきにすべてソラ様のお力で明らかになってしまうだろうから構わん。エレノアというんだが、流石に面識はないか?」
「えっ、エレノア様でございますか!?」
「おや、流石に知らないと思っていたが……」
「エレノア様といえば、聖女様を除いた学園生で初めて入試900点を取った天才ですよ!その後もソラ様と共に『合成クラフト』の理論を提唱したり、この間の中間考査では歴代聖女様の成績を凌ぐ965点を取られたりと、学園生で知らない人はいない程の有名人です」
「頭の切れはいい方だと思ってはいたが、それ程なのか」
「まさか、フィストリア王家の方だったなんて……」
確かにあの白髪で、お二人ともよく似ておいでだ。
「そのエレノアも、今捕まってしまっているのだがな……」
「エレノア様がっ!?」
「大丈夫だ。ソラ様が救うと言ってくださった。魔王を無傷で倒された今のソラ様に敵う相手などいない」
「そ、そうですね……」
アレクシア女王様は目を瞑る。
「今もまだ、ソラ様は戦っておられるというのに……。私は不甲斐ない王だ……」
「そんなことありません。今までいい行いをしていなければ、ソラ様は救ってくださらなかったかもしれません」
そう。
ソラ様はきっと、お救いする相手を間違えない。
「今のことはソラ様にお任せし、前を向いて未来の事を考えましょう?」
「そうか、そうだな。ありがとう、リリエラ嬢」
「いい顔をするようになったじゃない」
横で獣人の方の髪を洗っていたクリス様のその言葉で、私ははっとした。
ルーク様のことを好きだった方々は、皆ルーク様目当てで聖女様のことを見ていなかったことを見抜かれたのだろう。
あの人気の高いルーク様でさえ、恋愛に現を抜かしている暇もないのだ。
聖女様を未来から補佐するこのお仕事は、とてもやりがいに溢れているようだ。




