第990話 博士
リルの加護を持つミィちゃんから相談されたのは、リルのおもちゃの話だった。
「リル様には誕生日という概念がありませんが、毎年リル様に『いつも見守っていただきありがとうございます』って感謝する日を作っていて、その日に私達から供物を捧げているんです。今年はこの骨の形をしたおもちゃとビーフジャーキーを沢山お供えしたのですが……」
大型犬とかだと綱引きで使うような縄の両端をそのまま骨の形に結んでできたロープトイ。
だが全長三メートルはあるリルではそのサイズでも小さく、ならばと聖国孤児院の皆で力をあわせて大きな縄を手作りし、そこから大きなロープトイを作ったのだという。
「おもちゃといいジャーキーといい、完全にただの大きな犬扱いされてるけど、それは本人的にはいいの?」
「それで相手が油断するならいいとリル様は仰ってました。それに本能には逆らえない、とも……」
「……まぁ、本人がいいならいっか」
ヘッヘッヘッヘッと体温調節を行うさまを見ていると、だんだん白いフェンリルじゃなくてただの大きなサモエドに見えてきた。
聖獣の威厳どこいったよ……。
「リル?もう、せっかくみんなが作ってくれたおもちゃを、こんなにして……」
「くぅん……」
「で、でも、使ってくださらなかったらそれはそれで悲しいですから……!」
リルが前足で大事そうにホールドしているロープトイは両端の結び目がヨレヨレでほどけそうになっており、ロープの先っぽはせっかく綺麗に整っていた縄がほつれてフサフサになってしまっていた。
「というか、リルなら私なんかに相談しなくても自分でできるでしょ……。なんで私に頼ってるのさ?」
「えっ……そうなのですか?でも、リル様は『無理』って……」
「もしかしてリル……」
僕が懐疑的に半目になると、リルは僕が何かを言う前に顔を埋めるように下げていた。
「やっぱりっ!わざとこのままにしてるでしょ?」
「わぅぅん……」
そんなに甘えた声出してもダメなんだから!
「どういうことですか?」
「大方、洗ったり元に戻したりして匂いが取れちゃうと嫌なんじゃないの?」
「ああ、そういうことですか……」
完全に動機が犬だよ。
「どうして犬って新品よりも自分の匂いがついたものを好むんだろう?自分の匂いだと安心するのかな……?」
今の僕も狼獣人だけれど、別に本能まで狼になったわけじゃないし、その辺りのことまでは分からない。
「それもあると思いますが……確か所有物を示すために物に自分の匂いをつける、マーキングの癖があると犬猫図鑑に書いてありました。あ、あと犬は嗅覚で世界を認識しているらしくて、おもちゃを噛んで匂いをつけたがるのは、その匂いを嗅ぐことで『楽しい時間を過ごした』ことを思い出せるからなんだそうです」
匂いで記憶を思い出してるのか……。
使い古したおもちゃだと匂いがついているから、昔の匂いから楽しかった思い出を思い出し、ドーパミンが分泌されて「これは楽しい」「また遊びたい」と予測するのだそうだ。
「へぇぇ……すごい、犬博士だ!というか、どうして犬猫図鑑なんてものを?」
「『カエデ』にはソーニャお姉ちゃんとリル様がいますし、その生態を知ればお考えになっていることも分かるかなと思って。ソーニャお姉ちゃんは時々分からないこともありますが、リル様はたまに本能に忠実ですから」
犬って分かりやすいよね。
うちのリルとソーニャさんがすみません……。
ミィちゃんにリルを預けていたらいつの間にか犬博士が出来上がってしまっていた。
「リル?それちょっと貸しなさい!」
「わふぅぅぅぅんっ……!」
すごい抵抗されたが、先っぽをつかんで綱引きのように思いっきり引っ張る。
最後まで悲しそうな顔で取られた姿は、おもちゃを取り上げられた犬そのものだった。
「リル……正直に言うよ?」
「わぅん?」
「これ、くっさぁぁぁい……!」
「ガウッ!?」
どうやら半年以上洗わずに使っていたらしく、洗って無けりゃそりゃ臭いわ……。
「全くもぉー、絶対に洗うからねっ!!」
「バウバウ!」
「リル様……臭ふて鼻は曲はりまふ……」
「がぅぅ……」
渋っていたリルだったが、眷族であるミィちゃんが鼻を押さえて喋るほどに拒絶された挙げ句「ジャーキーをあげるからどうか洗ってくれ」とまで懇願されたのが流石に効いたらしく、今後は一週間に一回リカバーで新品同様にすることが決まったそうだ。
光魔法で悲しそうにお気に入りのおもちゃを新品にするリルは、最後まで犬だった。




