第951話 我儘
「涼花さんは驚かないんだね」
寝る前の挨拶で最後の一人と自室のドアの前で対面する。
パジャマはサテンの肌触りがいいものを用意してもらった。
サイズは魔力である程度調整できるとはいえ、こうしてすぐに一式揃えられるのは流石聖女院といったところか。
「おや……妬いてるのかい?」
「違うって。涼花さん的には解釈違いなのかなって……」
「私は君と一心同体さ。もう分かっていると思っていたが」
「だが、今の僕よりは元の僕の方が好きだろう?」
「背伸びしてる君も可愛いよ」
「んむ」
「おやすみ」と小声で囁いたあと、不意打ちに耳への攻撃を食らってたじろぐと、そのまま強引に口を塞がれてしまった。
扉を閉めて去る涼花さんの姿に呆然としていると、ぱちぱちと横で拍手をするエルーちゃんがいた。
「憧れには勝てなかったよ」
「まるでドラマみたいでした……!」
今日はエルーちゃんもといマリーナと一緒にドレスと礼服を仕立ててもらっていた。
「ドレス、楽しみだね」
「はいっ!」
エルーちゃんの手を取り、昨日リリエラさんに受けたダンスレッスンのステップでくるりと回る。
「リリエラさん、びっくりしてたね」
「少し意地悪になりましたか?……きゃっ!」
そのまま勢いよく回るとそのまま二人でベッドの上に寝転がってしまう。
僕がエルーちゃんを押し倒すような形になっていた。
「マリーナ」
「ソラ様、伽の時くらいは元のお名前でもよろしいのでは?」
「でも、やっぱり格好つかなくない?」
「二人きりのときくらい、甘えてくださいませ。あなた様は背伸びなさらなくとも、とっても格好よくてドキドキするのですから」
サテンの擦れる音と鈴虫が遠くで鳴く声だけが聞こえてくる中、夜目が効いてきて徐々に艶やかな輪郭が浮かび上がってくる。
鼓動の振動を感じさせるために、エルーちゃんは僕の右手を両手で丁寧に摘まむと、その成長した丘の登頂を促してくる。
「こんなに成長しちゃって……もう僕の手に収まらないよ」
「ですが、挟むことはできるようになりましたよ」
「わっ」
鈴虫の鳴く音をバックミュージックにして、僕たちはベッドの上で踊るようにくるりと転がる。
気がつくと立場が逆転しており、エルーちゃんが僕に覆い被さるようになっていた。
彼女よりも身長の成長度合いは大きかったようで僕は追い越したことに満足していたが、余った栄養が何処にいったかという話だ。
僕なんかの成長の想定をはるかに越えていた。
「ははっ、くすぐったいってば」
「腹筋、素敵です。えいっ!」
「あ……ちょっ!」
「ふふふ、涼花様やメルヴィナ様やシルヴィア様が胸でしていらっしゃるのをいつも見て、憧れていました。ソラ様はお胸がお好きでしたから……」
「それ、語弊があるぅぅっ」
「本当に、語弊がありますか?」
「その質問は、ずるいと思うな……」
午前何時か分からないときに僕は起きた。
まだ横で寝ている大人びたエルーちゃんの姿を見る。
わっ、睫毛が長い……。
こうしてまじまじと見ると、月の光だけでまるでサテンがサファイアのように輝いて見える。
既に鈴虫の声も聞こえず、すう、すうと規則的な呼吸の声だけが隣から聞こえてくる。
いつも献身的でそれでいて努力家で、でも謙虚で。
将来こんな素敵な淑女になるとは、一体誰が想像できただろうか。
そんなことを考えていたら、何故かぽろぽろと涙が溢れてくる。
「んんっ……そあさま?」
「うっ……くっ……」
今の僕は大人なんだから……泣くなんて、駄目なのに。
「怖い夢でも、見ましたか?」
「ごめっ、僕が連れていくなんて言わなければ……エルーちゃんはいつかこの姿になれていたのに……」
僕がエルーちゃんの未来を潰したんだ。
僕があの時連れていくなんて言わなければ、あの時僕の一番大切な人がエルーちゃんじゃなければ、彼女はあの年で死ぬこともなければ、永遠の命を手に入れる必要もなかった。
永遠に死ねないというのは、今はいいかもしれないけれど、きっと将来必ず辛くなる。
大切な存在を作ってしまえば、それだけ看取らないといけなくなるからだ。
だからこそ神獣はあまり人と馴れ合わずにいるのだろう。
「ソラ様はあの時エリス様が私を天使にして呼び戻したとお思いかもしれませんが、天使になる最後の一歩を踏み出したのは私自身でございます」
「えっ?」
「あの時エリス様は最後に戻るか否かは私に任せてくださいました。ですから、今私が天使になっているのは、私の我儘でございますよ」
「でも……」
「ソラ様はきっと、今後来る別れがお辛いのですよね?」
「そう、なのかな……?」
「二人で居れば辛いかもしれませんが、でも私たちには二人でいる以外の手段が沢山あるとは思いませんか?」
妻と子を作るということを言っているのか、それとも他の人を天使にするのか、どっちの話をしているかは分からなかった。
「時間はまだあるのですから、皆さんで沢山考えましょう」
でもエルーちゃんが子守りとばかりに抱き締めて撫でてくるのがあまりにも心地よく、泣き疲れとともに次第に眠気がまたやってくるのだった。




