第940話 肥満
ふたりで話したいからと、妻のみんなには捌けてもらった。
「紅茶でございます」
「あ、ありがとう。ここは落ち着かんな……」
僕が記憶を取り戻した昨日一日、お父さんはエリス様に連れられて聖女院の施設を見て回っていたらしい。
まあ仕事場見学のようなものだ。
でもお風呂とレストランに入ったくらいで、あとはサツキさんのところに籠って開発アドバイスをしていたらしい。
まだここに来て一日目だというのにもう仕事してるのはさすがの社畜というべきか。
いや、ほめられたことじゃないんだけどさ。
「シンシアさん、明日執事さんに頼んで呉服屋や日用雑貨屋さんをお呼びいただけますか?」
どうやら前の会社の仕事納めの飲み会の帰りに転移してきたらしく、お父さんはスーツ姿だった。
だから小太りな執事さんといわれればこの聖女院でもそこまで違和感はないけれど、さすがに普段使いするのは落ち着かないだろう。
「こちら、先にお渡ししておきますね」
「……聖貨100枚って、どれだけ散財なさるおつもりですか?」
「一か月ここで生活するのに必要な衣食住を保証できるようにする程度にしてください。それなら正当でしょう?」
「いえ、それでも多いかと」
「余った分はメイドの皆さんで分けてください」
シンシアさんはそれ以上聞かず、ありがとうございますと言って会釈した。
「お、おい……勝手に……」
「いいの、私がしたいんだから。一度くらいは親孝行させてよ。お父さんが自分でお金を稼げるようになるまでだから。それ以上はもう踏み込まないから。お願い」
お酒が入っていたとはいえ、深層心理ではお父さんはお仕事や稼ぎ頭としてのプライドがあったはずだ。
だから息子の僕なんかには極力お世話してほしくはないだろう。
「っ……違う、そうじゃない。俺はソラに俺の代わりをさせていたのがやるせなかったんだ。それであんなことを言っちまっただけで、実際にそう思っているわけじゃない」
「お父さん……」
本当はこうしてよく話せば良かったのに、一言二言で会話を終えてしまっていたから、軋轢が生じていたのだろう。
「もう仕事人間になる必要はないからさ、この世界でしたいことをしてほしいな。手始めに、運動してみるのはどう?」
「か、勘弁してくれ……」
「この世界では身体強化の魔法が使えるから、からだ動かすのも案外楽しいよ?それに、努力した分だけステータスが上がって下がらないんだから、お得でしょ?」
「つまり、動けるデブが作れるってことか?」
痩せる気はないんだ……。




