第910話 音声
「ソラ君、姉のサンプルをとるのに君の声は欠かせない」
姉のことをよく知るのはこの中で僕だけ。
だから僕が姉対策をするのには僕が姉の真似をするのが必須だ。
一応記憶は共有しているからエルーちゃんや涼花さんも姉の声は僕の記憶伝によく知ってはいるけれど、姉の独特な艶のある声は女性の声真似で食ってきた僕にしかできなかったらしい。
正直女性の声域であるアルト~ソプラノくらいまでの音域が全て出せる女性なら誰でもできるものだと思っていたが、そうでもないのかも。
単に耳が良く敏感なくらいに思っていたけれど、僕は絶対音感なのかもしれない。
音楽関連の知識があるわけではなかったから、実際にそうなのかは知らなかったけれど、一部の絶対音感の人は日常の様々な音が音階に聞こえて生活に支障が出たりするらしい。
「だが先ほども言ったように、今のソラ君に精神的負担は本来ならば許されないことだ」
「でも、そうも言ってられないですよ」
「分かっている……分かってるさ。だからサンプルをとる時は必ずエルー君がいる時にすること!」
エレノアさんは凄い僕に気を遣ってくれている。
僕の負担が少なくなるように、一日の半分を休むように言われてしまった。
でも今まで10割出していた力が5割も出せていない現状にやきもきするのは、僕がワーカーホリックだからなのかもしれない。
「『私の言うことが聞けないの、ソラ』……うっ……」
「ソラ様、ご無理をなさらないでください」
姉の声真似をして気分が悪くなり、エルーちゃんに手を握られ耳元で優しく囁かれて心が落ち着かせる。
僕の好みもあるかもしれないけど、エルーちゃんの小川のせせらぎのような優しい声が一番癒される。
逆に涼花さんの声は、一番えっちな気分になってしまう。
でも、この半永久機関にも弱点はあった。
いくら当社比で世界一優しい声でも、加減を間違えて吐息が多くなれば、僕も癒されるだけではなくなってしまう。
「大丈夫です、ゆっくりなさってください」
「んんぅっ……」
それに、エルーちゃん自身が僕の負の感情を吸いとって、変換した感情の捌け口を求めていた。
「そらさま……そんなおこえっ、なさらないでくださっ……」
「んっ」
エルーちゃんの感情を受け入れるように長い口づけを一度だけすると、そのまま繋いだ手を恋人繋ぎに組み替え直す。
そのままベッドに優しく押し倒してから、唇を離す。
離した口からは舌同士でアーチ状に糸を引き、そのままエルーちゃんの胸に落ちて行く。
「ふふ、襲われちゃいました」
「誘ってきたのはどっちなんだか……。いい?」
「ええと、私、その、早くソラ様との赤ちゃん……欲しいです」
「それは……帰ってきてから、ちゃんと考えようね」
そんないじらしいことを言うものだから、僕は――
「できたわ!」
「あっ……」
ノックの音がしなかったのか、聞こえないくらい鼓動が鳴っていたのかは定かではないが、突如僕の部屋に入ってきたサツキさんに押し倒しているところを見られ、二人で顔を真っ赤にする。
「ッッ……んの、私への当て付けかーーっ!!」
強いてポジティブに考えるのなら、服を脱ぐ前で良かったかもしれない。
でも仕事をしている人がいる昼間にすることじゃなかったことは確かだ――
――エレノアさんが用意してくれた魔道具のイヤリング「姉避け」は外側に張っておいた魔力の壁で僕の姉の波長だけを感知し、その声だけを雑音としてかき消す。
これはサツキさんが開発してくれたAIによる自動判別機能が搭載しており、ニュアンスが近ければ姉の声として扱われるが、それは特に問題がない。
そしてサツキさんが用意してくれたのは音声認識ソフトと、読み上げソフト。
音声認識ソフトとは、人が喋った内容を文字起こししてくれるもののことで、読み上げソフトは文字起こしした内容を自動で読み上げてくれるソフトウェアのことだ。
姉の声をシャットダウンしただけでは、僕が姉との会話ができなくて困ることになる。
そこで人工的な音声に変換して聞くことで、少しだけ待つものの会話の内容は頭に入ってくることになる。
とはいえ最近のソフトは優秀で、その変換速度もあまり遅延を感じさせないくらいだ。
前世から持ってきた技術ではあるものの、その進歩を身をもって感じている。
出立前はリッチが死んだ姉に化けることへの対策だったわけだけど、まさかこんな形で役に立つとは思わなかった。
まぁ死んだはずの姉がエリス様の神体を乗っ取った邪神によってこの世界に転生させられたなんて、未来予知でもしなければ予測できるはずもない。
『ああ……我輩の器が……セーラ、貴様の身体を……寄越せえぇぇ!』
『ええ、おいでなさい。迷える子羊』
姉は纏わりつく邪神の魔力をその身に受け入れていた――




