第903話 調教
言いつけるような命令口調と鋭利な刃物。
それをセットで使うことで何ができるか?
まだ子供と言える年からそれを沢山見せつけられ、そして鋭利な刃物の前には僕は敵わないと教え込まれてきた。
するとどうだろう?
人とは不思議なもので、「世界はそういうものだ」と身体に教え込まれるのだ。
それはまるで動物が粗相をしたらその動物に霧吹きを顔にかけられるように繰り返していたら、粗相をしたのを見られた瞬間に、まだ何もしていないのに目をつむるような反射。
『考える』よりも先に呼び起こされる負のメモリーは、同じ哺乳類である猿達と比べ、本来発達しているはずの脳を一切使わなくなる。
どうして忘れていたんだろうか。
人としての尊厳を奪う、それが姉の調教だ。
「っ……!」
駄目だ、行っちゃ駄目なんだ、アビスさん……!
「うぁ……」
『そ う 、 良 い 子 ね』
そしてふらりふらりと食虫植物に寄せられる虫のように歩みを止めないアビスさんと、姉を交互に見ていると、次第にさっきの違和感の正体が分かった。
姉の耳が、尖っていた。
転生したときの身体は邪神が用意したのだろうが、この世界でも美の象徴であるエルフ種を器に選ぶというのは、実に彼女らしく、理にかなっている。
見た目に若干の違和感があったお陰か、岩影に隠れて見るのを拒絶していた時よりは気分も落ち着いてきた。
でも同時に頭も冴えてきて、このタイミングを逃したら、僕の作戦が全て無意味になることに気が付いた。
このままいけばアビスさんが寝返ってエルーちゃん達を攻撃した時に偽りの僕が光魔法を使えないことを知れば、今度は姉ではなく邪神に気付かれてしまうからだ。
『『 疾くせよ。我輩が何千、何万回とシミュレートするほどに渇望してきた悲願……。この世界に転移してから実に二万年の時を経て準備して一歩ずつ歩んできたその最高峰が、目前に迫っているのだぞ……! 』』
同じ神として盗聴される可能性を考慮し、エリス様からの念話は切っているが、きっとこの会話が聞こえていたら「勝手に私の世界に入ってきたくせに、何様のつもりよ」とでも言いそうだ。
エリス様に聞いた話だけど、この邪神メフィストは神の世界で生まれたとある神と女神の兄弟の兄で、ある世界の管理権を弟と争っていたらしい。
まるで王家の王位継承権みたいなもののように思えるが、彼の両親は本当は協力して治めてほしかったらしい。
でも一人では大変だからと協力的だった弟に引き換え、メフィストはどうやって弟を退けるかしか考えていなかった。
――そう、その管理を任せようとした世界こそが他でもない、僕たちの故郷である前世だった。
どの世界でもそうだけど、上の人たちが争い合うことで割を食うのは関係ない下々の人達だ。
ついに管理権が弟の元に渡ったとき、メフィストはあろうことかその弟を手にかけようとしたのだ。
そして蹴落とそうと放った裁きの雷は関係ない人々を巻き込んでいた。
その被害者には、お父さんのお父さん、つまりお祖父ちゃんがいた。
そう、お祖父ちゃんは邪神に殺されたのだ。
そうしてこの邪神はのちに初代聖女となるお祖母ちゃんの人生をめちゃくちゃにしたまま放置して、それが両親に知られたメフィストは彼らのお得意の転移で遠くの世界に飛ばされた。
メフィストは転移が苦手で近距離しか転移できなかったため、この世界の外に出ることはかなわなかった。
それにしても前世の管理神達はエリス様に何も言わずにメフィストを押し付けられたらしいし、どこまでも身勝手な人達だ。
前世の管理を任された弟だって結局僕や凛ちゃん、その他大勢の聖女達を散々な目に合わせてきた張本人だから、ろくに管理できていない。
当の神と女神は弟を手伝って上げれば良いのに、兄は失敗だとして、また新たに神の子を作ってその子供に補佐をさせようと考えているらしい。
蛙の子は蛙だろう。
『話の長い男と、早い男は嫌われるのよ。あなたは両方役満で家族に嫌われたのをそろそろ自覚なさい』
姉はアビスさんの顔を一瞥すると、はぁとため息をついた。
『『 使えるから生かしていたが……説教を続けるようなら、お前を先に殺すぞ 』』
『ああ怖い恐い……嫉妬は怖いもの。そうでしょう、ソラ?』
えっ……?
なんでまっすぐ、こっちを見ているの……?
『ああ、分からなかったかしら?ここにいる偽物のことなんかじゃないわ』
「「「っ!?」」」
『そこの岩影にいる、本物のソラのことよ。私が真贋を間違えるとでも思ったの?』
「っ……!」
『それともソラ?まさかあなた、お姉ちゃんを出し抜けるとでも思ったの?』
なんで僕が、見えているの……!?




