第902話 魔糸
『私が育てたソラの味はどうだった?』
「下世話な女だな……」
「あら良い男。私はあなたみたいに自分以外の他人を見下している男は好きよ。私に屈した時にどんな声で哭くのか、今から楽しみだわ」
「心底気色悪い……」
鳳凰が罵倒する声だけが響き渡る。
彼が攻撃に参加できないのは七魔覚醒を使っているからではなく、それと同時にいなくなってしまった青龍の代わりに、僕を透明にする一体化を臨画でコピーしたものを僕に使っているからだ。
「……あれだけのことをしておいて、よくソラ様を育てたなどと宣えますね」
『ソラから聞いた一方的な見解だけで判断したのでしょう?あなたが実際に見聞きしたわけでもないのに善悪を唱えるなんて、それこそ悪そのものじゃない』
この人は、どの口で悪を定義しようとしているのだろう。
言葉巧みに言えば、自分に従うと疑ったことはないのだろうか。
「私はソラ様が物心ついた頃から見た全てを共有したのです。私はっ!全てを見聞きした上で」
『あなた、ソラのことを知りすぎているわね』
「っ!!ソラ様の気持ちを、なにもご存知ないでしょう!」
エルーちゃんが魔甲を構えた音が鳴った瞬間、カシャンと音を立てた。
まだ岩の向こうを覗けないから音だけで判断するしかないけれど、おそらくエルーちゃんが指にはめていた『守護の指輪』が暴発したのだろう。
あれは僕が三年前の聖女祭でナンパ男から守るための護身用であり、邪神が産み出したシルヴィのような存在をどうこうできるものではない。
だけどそれが暴発したことで
『あら惜しい。もう少しでソラを汚したお前のその汚らわしい指を綺麗に削ぎ落とせていたのに』
「これは、魔力の糸……?」
『そう、闇魔力の糸は見えず、けれどあなたを切り裂くのは容易い――』
姉は気にいらない存在を見つけると、「あなた」ではなく「お前」に変わる。
「今更情報で優位性を保とうとするなんて、身の程知らずだな。ソラちゃんとあなたとの間で起きたことなら、彼女だけじゃない。全世界の人が知っているよ」
聖女の情報は聖女院で厳粛に管理されている。
ハッタリだけれど、彼女の逆鱗に触れる何かしらのワードを導きだしたようだ。
『ああ、そう。お前も、「お手つき」なのね』
他人の声色や表情、瞬時に嘘を見抜き、僕との関係を炙り出す。
「私には分かるよ。君、ソラちゃんのことが好きで、自分より彼のことを知っている存在が気にくわないだけだろう?」
『――万死に値するわ』
あの姉が?
そんなわけない。
でも呆れたからなのか何なのか、本来僕たちを怒らせるはずだった姉の方を逆撫でする企みはうまく行ったらしい。
『『 ヘルフレイム…… 』』
「させないよ、――無刀・夢幻の舞、断魔――」
邪神の魔法を消し去り、手を出させなくする間にエルーちゃん達で叩く作戦のようだ。
「私たち、魔力の優劣すらついていないとでも思ったのですか?」
『っ!?』
「いくら鋭利な糸にしようとも、所詮は魔力の糸です!」
キリキリと音が鳴り、どしゃりとなにかが倒れる音がした。
僕が身体強化の延長で以前に教えた魔力を纏って自己強化をする技術。
それを極限まで極めれば、細い魔力の糸などでは決して折れないミスリルの身体になりうる。
その身体で何十本もの糸を全てつかみ、そのまま背負って投げたのだろう。
糸を手繰り寄せれば、必ずそれを操る本体もくっついてくるだろうという完璧な読みだ。
「「 星屑の息吹き 」」
星屑のような光の粒子が凝縮され、一点に向かって放たれた透明な光線は、エルーちゃんと凛ちゃんとの合体魔法。
光の魔力が凝縮されたようなそれは円錐型に放射され触れた部分をごっそりと消してしまう。
そして消し去った部分の周りから徐々に凍りつき、最終的には氷の塊となる。
直撃した音がしたのでおそらく無事ではいられないだろう、顔形が変わっていることに掛け、見るなら今しかないと意を決して岩から顔を出した。
顔と上半身が半分以上失われ、切り取られた部分から凍りつく姉がそこにいた。
けれど彼女は当たり前のように生きていた。
『まだわかっていないのね。お前達に、私は倒せない。何故なら私は不死身だもの』
身体の横半分はおろか口すら横半分もないのに、しゃべっているのが不気味で仕方ない。
現人女神だったエリス様の力を使って作られたシルヴィと同じ存在なら、心臓を貫かれても全身が消し飛ばされても神体によって再生される不死身の身体である。
分かってはいたけれど、予想した最悪のパターンを全て引く僕の日頃の行いが悪いのかと疑心暗鬼になってしまう。
「化け物め……」
姉はそのままさらさらと砂のように消えながらも、声はどこからか響いてくる。
『私を攻撃することの無意味さはわかったでしょう?さて、もうおしまいにしましょう』
砂は別のところでまたくっつき合い、その塊が次第に姉のような形を再形成していく。
あれは姉だが、姉そのものではないような違和感がある。
その姿に若干の違和感があったが、その正体が分からなかった。
「何を……」
『ソ ラ 、 こ っ ち に 来 な さ い』
「はい……」
あ、まずい。
僕は大丈夫だったけど、僕と同じ調教をされてきたアビスさんのことを理解していなかったのだ。




