第898話 闇霧
すべてを許容するくらい大きな胸に、小さな括れ、僕がちっぽけだと思わせるほどのお尻。
見た目が真っ黒でシルエットになったとしてもその姿が誰であるかは容易に理解できる。
それは僕が天庭で一度身に染みて味わった、エリス様そのものだった。
彼女が乗っ取られ、光属性だけを取り除かれ、邪神に組してしまった姿。
顔も手も足も何も、すべてが真っ黒に塗りつぶされているため若干の凹凸具合しかわからないものの、大好きな人のことは忘れるわけがない。
一体どれほどの間、こいつに奪われ、蝕まれていたのだろうか。
「『生成できないということは、娘は逃げたのか?折角使い道を用意してやったというに、それを無碍にするとは愚かなものよ』」
こいつは、自分の娘を道具としか思っていないのか?
アビスさんをなんだと思ってるんだ。
そんなだから人望がなくて実の娘に裏切られるんだよ。
「産み出しておいて育児もろくにできないとは、なんと無責任な……」
そしてその娘に関心がないが故に、僕と見間違える。
「あなたなんて、私は許さないっ!!」
彼女は今、僕と入れ替わってくれている。
このために『僕』ではなく『私』と言うように特訓してもらったのだ。
隙がない今は出てこれないが、カモフラージュのために僕は今アビスさんの真後ろにいる。
それも、透明化をして。
本来透明化は無の聖獣・獏の固有魔法だが、その魔法自体は無の神獣・青龍でも使えるのだ。
透明化した僕はうまく回り込んで、どうにかしてエリス様のお身体を回収しないといけない。
それが今の僕に与えられた最優先ミッションだ。
「『今何を言っても、それはこれから負け惜しみにしかならん。暗黒の侵蝕』」
魔法で生成された黒い蟲が群れをなして襲ってくる。
こいつら一匹一匹はとてつもなく強力な毒を持っていて、噛まれただけで瀕死にまで追い込むようなベノムを与えてくる。
「闇霧――」
スフィンクスが霧に紛れて消えていく。
「邪神!うん万年引きこもって耄碌したか!貴様、闇属性は儂には効かんぞ!」
闇の神獣スフィンクスは闇属性を際限なく吸収する。
それは魔法で産み出された蟲もまた、同様である。
霧になったスフィンクスはその霧が濃くなるように増えていった。
まるでそのさまは蟲を取り込んで増殖しているかのようだった。
にしても楽しそうだな、スフィンクス。
最近敗れることが多くなってきたから、優位に立って嬉しいのかな?
でも、魔王ならまだしも、邪神はそうは甘くはない。
「『闇霧――』」
魔力の根比べをしてしまえば、スフィンクスは邪神には到底敵わない。
こと闇属性に於いては、邪神こそスフィンクスの上位互換だから。
「『我輩を取り込めるとでも思ったのか?片腹痛いわッ!』」
「グヴゥゥゥ……」
同じように闇の濃霧の姿になった邪神は霧化したスフィンクスを覆い尽くしてむしろその闇の魔力を奪おうとしてきたのだ。
「フレアライトニング!!」
だけど霧になった彼らは、ある意味分子レベルまでバラバラになった状態とも言える。
そこまでバラバラでなおかつ小さな状態になっていれば、閃光のような光魔法でさえ大ダメージを与えることが出来ることだろう。
凛ちゃんがその通りに動いてくれたことに感謝しなければならない。
「スフィンクス様、ご無事ですか!」
「ぐっ、ああ。大分奪われたがな……助かった、リン」
「『面倒な…………ん?』」
その時、何か疑問の様相を呈してきた。
「『聖女ソラ、なぜ攻撃してこない?』」
「「っ……!?」」
核心を突く物言いに、アビスさんが飲み込んだ唾が自分が飲み込んだのだと勘違いして、思わず咳き込みそうになってしまった。




