閑話223 独り身
【嶺肇視点】
「おつかれさん、今日も残業か?」
「田中……」
「お前が帰らないと、下の人間が帰れないだろ?」
同期が話してくるのは珍しいことだが、それは俺の家族が死んだからしばらく謹慎していたのかもしれない。
星空が死んで、天が死んで、そして美空が死んで。
最悪の家庭崩壊からもう五年が経とうとしていた。
「そんなこと言って、お前だって今残ってるじゃないか」
「いんだよ俺は。どうせ帰っても上さんにぐちぐち言われるだけなんだし。あっちもあっちで俺がいない方が気も楽だろ。管理職だから残業代なんてないようなものだし、こっちに居ても誰も困らんだろ?」
たった今「お前が帰らないと、下の人間が帰れない」と言ったことを忘れたのか、こいつは。
毎度の事だが、都合のいいことはすぐ忘れられるのだから、いい性格をしていると思う。
「そう言っていられるうちが華だろうに。俺みたいに愛想尽かれて浮気や離婚になる前に、たまには家族サービスしたらどうだ?」
「ぐっ、お前が言うと説得力無限大だな……」
こうやって言い合えるくらいに回復できたのは、ひとえに田中含めて職場の皆が俺の出来事に共感して励ましてくれたお陰だ。
だがこうして他人の家庭の話をしていると、ふと美空と結婚してからの出来事を思い出してしまう。
彼女が最初から金目当てだったのかは知らないが、星空が物心つくより前にはそんな雰囲気はなかったから、大方唆されたのだろう。
子供が二人出来て俺も稼ぐのに必死で忙しくなって、二人でしばらくデートになんて行けていなかったことを思い出した。
お金を渡すと喜んでいたからそれでいいのだと思ったが、きっとそうではないのだろう。
いくら唆されたとはいえど、愛想をつかされた理由は俺自身にもあることが今ならわかる。
だからこそうまくいっていない家庭の話を聞くと、余計なお世話と思いつつ助言してしまう。
「そういうお前はどうなんだよ?まだ枯れるような時期じゃないだろ?」
「もう結婚は沢山だ」
「まぁお前がそう思うのは分かるから強くは言わんがな……。だが妙な気は起こすなよ?」
「……何の話だ?俺はそっちのシュミはないぞ?」
「馬鹿言え。そういう事じゃねぇよ」
田中が言いたいのは恐らく、自殺とかそういう話だろう。
俺だって何回か考えたことはある。
だが俺が深く後悔しているのは、星空が自殺したことでも、美空が二人の後を追ったことでもない。
星空をあんなにしてしまった親としての責任はあれど、最終的には俺の手で虐待の証拠は出すところに出すつもりだった。
美空も先程の後ろめたさはあれど、先に浮気をしたのも向こうだし、愛想を尽かしたにせよ離婚しなかった向こうにも落ち度はある。
それに、天を殺したのは今でも許せることではなかった。
だが、天は別だ。
浮気の証拠をつかんだのはすぐだったが、そこから天の親権を得るために更なる調査を探偵に頼んで、裁判に持っていくのを三ヶ月も伸ばした。
つまり、そんな回り道をしなければ助けられた命だった。
天の死は守れたものだったのに、守るつもりだったのに、外堀を埋めようとして全て失敗してしまった。
気付いたら家族が一人もおらず、孤独になっていた。
「哀しいのは分かるが……ソラ君が生きられなかった分だけ、今後手に入れるはずだった幸せの分だけ、お前は生きなきゃ駄目だ」
「……」
田中の言う理屈は分かるものの、俺はその言葉にうなずくことは出来なかった。




