第807話 黒豆
元旦の朝。
「ソラ様。明けましておめでとうございます」
「明けましておめでとうございます、皆さん」
エルーちゃんが四六時中付き添いしてくれたお陰で徐々に食欲を取り戻してきた僕は、和室で食事をすることになっていた。
実は聖女院にも和室がいくつかあり、こういった正月などの和の行事の際に使われることがある。
「やぁ、首筋にキスしないでぇっ……」
「首筋の傷口がすっかり治っておりますね。これも神薬のお陰でしょうか?」
「いいから、早く着替えて行こうよ……」
「ふふ、照れてるソラ様もお可愛らしいですよ」
神薬を使って延命してもらってからというもの、エルーちゃんの介抱は過剰すぎるほどになっていた。
僕が何処に行くにもぴょこぴょこと付いてきてくれて、僕が不安にならないようにと常に手を握っていてくれる。
それで自分がえっちな気分になってしまうことが分かっているのに、「ソラ様のお心の方が大事ですから」と身を粉にして僕のために尽くしてくれる。
可愛い天使がこうして一生懸命現世にとどめてくれたおかげで、今の僕があるんだと思う。
その献身的な姿を見るだけで愛おしさが募ってくるし、僕の命が許す限り沢山愛してあげたいと思う。
……まあエルーちゃんとしてはただただえっちなことがしたいだけかもしれないけれど、それでも好きな女の子に愛を求められたり尽くしてくれたりすることは素直に嬉しいことだ。
「あけおめ、ソラちゃん!」
「真桜ちゃん、サクラさん、アレンさんも、明けましておめでとうございます」
「今年もよろしくね、ソラちゃん」
「今年もお願い致します、ソラ様」
顔を横に向けると、サツキさんがブツブツと呟いていた。
「サツキさん……?どうかしたんですか?」
「どいつもこいつも、いちゃつきやがって……」
「なんか怨念が宿ってません?一体何が……」
「ソラちゃんとママ、二人の人生の推しがNTRされて脳破壊されたんよ……。私も気持ちは分かるわ」
「お気持ち、分かります……」
「真桜ちゃん、リンちゃん……あなた達が私の最後の理解者よ……」
「サツキさん、もしかして寝てません……?」
「サツキお姉ちゃん、徹夜はお肌に悪いって、あれほど……」
「イヤイヤイヤイヤっ!私は仕事と結婚するのっ!」
急に幼児退行して駄々こねないでよ……。
サツキさんのお母さん泣いてるよ、きっと。
「というかサツキさんなら、それこそ引く手数多でしょうに……」
「サ、サツキさんはとっても素敵な女性です!」
「その裏でソラちゃんとくんずほぐれつしてるくせに……」
「そ、それはその……」
「ど、どいつもこいつも……!」
火に油注いでどうすんのさ……。
「せっかくのお料理が覚めちゃうわ。いただきましょう」
「わぁ、お節料理だ!」
ごぼうや数の子、筑前煮、お雑煮。
そして最後に、黒豆だ。
「黒豆は楓さんとの思い出の品、なんでしょう?涼花ちゃんが助言をくれたから料理長にお願いしておいたのよ」
そっか、僕の記憶から掘り起こして、お祖母ちゃんとの思い出の食べ物を用意してくれたんだ。
うちは毎年お節は買って済ませるタイプだったし、基本的に僕は残り物にしか手を付けることはなかった。
もう何年も前の話だけど、お祖母ちゃんがお正月にうちに来て僕に作ってくれた黒豆の味が忘れられなかった。
「皆さん……」
「もしかしたらソラちゃんは親衛隊と聖女達だけで戦ってるって思ってるかもしれないけどね、私たちは聖女院のみんなで戦っているのよ。ソラちゃんの心の灯火が消えそうになっている時は、私たち皆で温めてあげるんだから」
いただきますと手を合わせ、箸で摘まんで口に含むと、蜂蜜のように甘ったるい味が口いっぱいに広がるも、黒豆を噛むとそれが少し中和されるように苦みがやってくる。
お祖母ちゃんと世界トップと名高い聖女院のコックを比べるのは流石にお祖母ちゃんが可哀想だけど、僕が集中していたのはその美味しさではなく、黒豆の懐かしさだった。
「ふっ、ぐずっ、美味しいよぅ……」
涙腺が緩くなってるのかな?
これをもぐもぐと食べていると、あのお祖母ちゃんがまたそばにいてくれているような、そんな温かさで満たされていた。
雪の降りそうな冬真っ只中、僕の心だけはぽやぽやと暖かくなっていた。




