樹木
ツリーハウス。縄はしご。木造住宅。樹木との同居。朝は栗鼠が訪れて、夜には梟が訪れる。自然との同居、融合。土との別れ。落下への恐怖。見下ろす優越感。
樹木上に根を張って暮らす生活を人々が強いられたのは、土壌が有毒な放射能ので汚染され、人々は、地球の地表をそっくりそのまま覆い隠した。その画期的な発明は、人類に地球そのものの支配と設計を委託した。神の言伝として。そう、ある日宇宙からの交信受けた誰かが、未来からやって来た予言者が、人間より遥かに賢いAIが、
葉っぱの裏に書いてあった、いや、地球からの委託だったのだ。人類への。まず、環境汚染や自然災害の中に科学的に証明がつかない事象が頻発するようになった。初めの内は、単に未知の理解が及んでいない事柄が起こっているのだとして、世界中の研究者・学者が血眼になって原因を究明しようとした。
其れは、ナンセンスだった。常識では考えられない物だった。
地球がとうとう壊れてしまった、此の世の終わりが来たのだと、仕舞いに人々は誰もがそう思うように為っていった。
カオスが世界に蓋をした。静寂と無秩序と習慣と慰めと諦めと親愛と祈りと憤りと怒り、社会はある程度機能を維持し、呼吸をして活動を続け、ストイックで献身的に生きていた。とっぴつすべきは、其れが世界規模の災害であり、地球という惑星規模の異変であった事で、
人類が共同に分かち合う1つの事柄であり、その枠から外れる者は居なかった。あらゆる場所で、同じように観測された顕著な変化として、祈りという行為が衣食住のように生活に組み込まれた事である。
それが、地球からのメッセージだと人類が解明した時に、人類はそのかつてない切実で直接的な言葉に魂を揺さぶられ感動で打ち震えた。地球が、惑星という巨大な意思が我々人類に、私という人間に語りかけている。その事実に戦き大地が震えて引き裂かれるようにヒトビトノ心に稲妻の如く感情が轟いた。
人々は一丸となりその地球からの希求に応えようとした。
皆の目に自然への畏敬の念がありありと映り、道端の草花や葉が落ちた木でさえ、仕舞いには水溜まりにさえ、立ち止まり心を打たれて放心しているような、大袈裟でなく本当にそういった人々を見ることが珍しい事でも、訝る人も居なくなるくらいに人々の意識、態度が一様に皆変化していた。
科学者達、研究者達が必死になって地球からのメッセージに応えようとしている間、写真家や芸術家も必死になって自分達の才能を活かそうとしていた。其処に使命に駆られた人々の気迫があり、価値のある物を生まんとする気概が溢れているのが傍目からも判る程であった。
人々は、そういった芸術家や写真家が各地で名だたる山や動物、河や海、昆虫や害虫と呼ばれる物ありとあらゆるそれらの活動を、ニュース等で伝えられる度に手を叩いて称賛した。
風景画が飛ぶように売れ、一代ブームとなり、コンビニ行けば、生活必需品と日用品、そして風景画と写真が並んだ。
各地で、緊急のサミットと展覧会が開かれ、地球博覧会と称して地球が産み出した砂や石ころ何かで東京ドームの会場は埋め尽くされた。
そうした中で、人類が地球へのメッセージの返礼として叡智を振り絞り地球を自分達で埋め尽くした。人工物で埋め尽くされた地球は、衛生と為った。人類の生まれた、誕生した衛生。大地は、プレートで覆われ、海や川はアクリルで覆われ、濾過装置とボンベと調製材を送るダクトで管理されている。
地球上に生息した生物は、適応出来る用に改良され、芸術家達と手を組んだサイエンティストにより創造された環境により、樹木や岩や砂、石ころまで人類の手によるサイケデリィックな祖先となった創造物が新たな生命や新たな果実を実らせ、大地を蹴ってその代償が晴れるまでツリーハウスで、樹上人類の樹上史が幕を開けた。