わがまま令嬢は改心して処刑される運命を回避したい
公爵令嬢セアラ・フォーサイスはわがままな娘だった。
屋敷に気に入らない使用人がいればいじめ倒して追い出し、学園で彼女に追従しない者がいれば容赦なく家の力でねじ伏せた。
周りの者は皆彼女を恐れるようになり、セアラの周りに彼女を無条件に肯定するものしかいなくなった。快適な環境に彼女は非常に満足していた。
しかし、ただ一人、セアラを否定する者がいた。
「セアラ様はもう少し周りの人間の気持ちを推し量れるようになるべきです」
セアラのクラスメイトで、侯爵家出身のグレアム・ウェインライトは、ことあるごとにセアラを非難した。セアラはそれが腹立たしく、極力彼とは関わらないようにしていた。
ほかの気に入らないクラスメイトのように排除してしまえれば楽なのだが、ウェインライト侯爵家はフォーサイス家よりは格が下とはいえ、セアラの機嫌ひとつでどうにかできるものではない。
セアラにとってグレアムは、極めて邪魔な存在だった。
しかし、ある時から彼女の価値観は一変する。
***
「はぁっ、はぁっ、……何なのよ、あの夢!!」
セアラはベッドから勢いよく飛び起きた。震えが止まらない。汗がじとりと頬を流れる。
「……最低だわ」
セアラは夢と言うにはあまりにもリアルな映像を見た。
この国の第一王女ウェンディ様に毒を飲ませ、その罪で処刑される夢だ。
ウェンディ様はセアラと同い年で、同じ王立学園に通うクラスメイトだ。横暴なセアラだが王女であるウェンディ様にはさすがに無礼なことはできず、むしろ媚びた態度を取っていた。
ウェンディ様の方でもセアラを信用しており、時折お茶会に誘ったり、反対にセアラの家を訪れたりしていた。
夢の中でも、セアラはウェンディをフォーサイス家に招待していた。しかし、ウェンディはカップの紅茶を口に含んだ途端、急に苦しみ始める。
ウェンディはすぐに医師の元まで運ばれ、直前に飲んだ紅茶の調査が行われた。結果、その紅茶には致死性の毒が含まれていることがわかった──……。
「よりによってどうしてウェンディ様を……。しかもデズモンド様にもらった紅茶でなんて!」
セアラには学園の中でウェンディ様のほかにもう一人、一目置いている者がいた。伯爵家の令息デズモンドだ。身分こそ公爵令嬢のセアラに比べて高くないが、デズモンドは甘やかな大変美しい顔をしていた。
それでいていつもセアラに親切で、セアラの言うことには何でも賛同してくれるのだ。
セアラはデズモンドを大変気に入っていた。夢の中でそのデズモンドから、ウェンディ様がこちらの紅茶をお好きだそうなので出して差し上げてくださいと言われ、疑うことなく受け取ってしまったのも無理もないことだろう。
処刑の時、セアラを囲む群衆は皆笑っていた。見知った顔もいくつもあった。屋敷から追い出した元使用人。気に入らないからと排斥したクラスメイト。言うことを聞かないので学園を辞めさせた教師。
その真ん中にはたいそう嬉しげな顔でこちらを見つめるデズモンドがいた。
あまりにも嫌な光景だったからか、思い出すと記憶にもやがかかって、頭がずきずき痛み出してくる。
セアラが処刑される瞬間、悲しい顔をする者は誰一人としていなかった。皆満足気な顔か、それでなければ嘲りの表情を浮かべてセアラを見ていた。
……いや、皆、だっただろうか。一人だけ泣いてくれていた者がいた気がするのに、よく思い出せない。ショックで後から記憶を継ぎ足しているだけで、本当はそんな人出てこなかったのかもしれない。
「……なんにしろ、本当に嫌な夢だわ」
セアラは首に手をあてて低い声で呟いた。首にはまだ刃が食い込む感覚が生々しく残っている。セアラには今見た光景が、ただの夢だとは思えなかった。
***
「おはようございます。セアラ。今日は早いですのね」
「お、おはようございます。ウェンディ様」
翌日、学園に登校したセアラは門の前でウェンディ様に出くわした。たちまち悪夢がよみがえり青ざめる。
「どうかしましたの? セアラ。なんだか顔色が悪いですわ」
「少し寝不足で疲れているだけです! 早く教室に向かいましょう、ウェンディ様」
セアラはごまかすように言って早足で教室まで歩きだした。実際昨夜は悪夢のせいでほとんど眠れず、体調もあまり良くなかった。
「ウェンディ様、セアラ様。おはようございます。朝からお顔を拝見できるなんて嬉しいなぁ」
「!!」
「あらデズモンド様、おはようございます。相変わらず口がうまいのね」
「何をおっしゃるんですか。本心ですよ」
ウェンディとデズモンドがにこやかに話し始める横で、セアラはだらだら冷や汗をかく。
デズモンド・ダイアー。今もっとも見たくない顔だ。なにせ彼は夢の中でセアラを陥れて処刑場に送った張本人なのだから。
「セアラ様。今日も本当にお美しいですね。その夜空を映し取ったような髪飾り、星の妖精のようなセアラ様によく似合っています」
「え? ああ、ありがとう」
セアラは警戒しながら、大げさなデズモンドの賛辞に曖昧なお礼を言う。デズモンドは彼女の態度に首を傾げた。普段のセアラなら、つまらなそうな顔でああそう、なんて言いながら、頬を赤らめて明らかに機嫌をよくするからだ。
「デズモンド様。今日のセアラは寝不足で少し体調が悪いようですわ」
ウェンディがそうフォローする。デズモンドはわざとらしく目を見開いて言った。
「それはそれは。体調が悪いのにも気づかず失礼いたしました。少し保健室で休んで行かれてはどうですか?付き添いますよ」
「いえ、休むほどではありませんから」
「では、明日にでも寝つきをよくする紅茶を持って来ましょう。うちに出入りする商人に、珍しい紅茶をたくさん用意してくる者がいるんです」
紅茶という言葉にセアラは息を呑む。そして青い顔で言った。
「いえ、本当にお気遣いなく。行きましょう、ウェンディ様」
「え? ええ。デズモンド様、ごきげんよう」
青い顔でウェンディを連れて去って行くセアラを、デズモンドはぽかんとした顔で見ていた。
***
「セアラ。今日はどうしたんですの? いつもデズモンド様がいらっしゃるととても嬉しそうにしているのに」
「え? き、気がついてらしたんですか?ウェンディ様」
「それは気が付きますわ。セアラはわかりやすいですもの」
ウェンディ様は口に手を当てておっとりと言う。
セアラは頭を抱えた。確かに今まではデズモンドに会うたびに浮かれていたが、決して表情には出さないように気を付けていたはずだ。こうもあっさりばれているなんて。
「しばらくはデズモンド様の顔を見たくないのです」
「まぁ」
セアラの言葉にウェンディは目をぱちくりする。よほど驚いているようだった。
セアラはたかだか夢のことでデズモンドを避けるのは後ろめたかったが、それでも今はとても彼と進んで顔を合わせる気にはなれなかった。
始業時間が近づき、教室にだんだんと人が増えてくる。そのうちの一人がドアをくぐったところで、セアラは叫び声を上げた。
「あ!! 貴方……!!!」
教室の真ん中で大声を上げ、ドアの前の人物を指さすセアラに、教室中が一斉に視線を向ける。しかし、後で目をつけられては敵わないと、皆何事もなかったかのように各々の行動に戻っていった。
しかし一人だけ、じろりとセアラを睨みつける者がいる。指さされた人物、グレアムだ。
「何でしょうか。セアラ様。人を指さすのは少々礼儀がなっていないと思いますが」
「あ、いえ。ちょっと驚いて。ほほほ」
「それに公共の場で大声を出すなど、公爵令嬢にあるまじき行いです」
グレアムは眉をひそめてため息を吐く。普段のセアラなら苛立ったに違いない態度だ。
しかし、今日のセアラには全くそう感じなかった。むしろ、皆が指摘しない自分の間違った行いをいさめてくれることに感動さえ覚える。
「ごめんなさいね、グレアム様」
セアラはグレアムの方に近づいていき、隣に立った。
「今のは失礼でしたわ。少し驚いてしまっただけなんです。それから普段のことも。私、貴方が私のためを思って注意してくれているというのに、まるで聞く耳を持ちませんでした」
「え?」
普段なら不機嫌そうにそっぽを向くだけのセアラが急に近づいてきた上、謝罪の言葉まで口にするので、グレアムは呆気に取られて彼女を見た。
「本当にごめんなさい。反省しますから、これからは仲良くしてくれると嬉しいですわ」
セアラはそう言って両手でグレアムの手を取ると、そのままぺこりと頭を下げた。
グレアムはしばらく呆然とした後、慌てて言う。
「顔を上げてください! セアラ様」
「許してくださる?」
「許すも何も。初めから怒っていませんから」
「よかった。じゃあ、これから仲良くしてくださる?」
「え? ええ……」
グレアムはセアラの言葉をいまいち理解できないままうなずく。セアラはぱっと顔を輝かせた。
「ありがとう! じゃあ、今日から私たちお友達ですわね!」
嬉しそうに言うセアラを、グレアムはぽかんとした顔で見つめた。グレアムだけではない。ウェンディもほかのクラスメイトも、突然のセアラの態度の変化に言葉を失っている。
セアラだけが両手でつかんだグレアムの手をぶんぶん振りながら、嬉しそうにしていた。
教室に入って来たグレアムを見た瞬間、セアラは思い出したのだ。夢の中で処刑されるセアラを見て、ただ一人涙を流してくれていたのが彼だったと。
彼は必死でセアラ様はやっていない、確かにわがままで性格が悪いが、毒殺まで企てるほど愚かではないと訴えてくれた。
思い出した途端、腹立たしさしか感じなかった彼の今までの言動が違って見えて来た。
無難に過ごしたいと思うのなら、セアラのことなんか放っておいて、適当におだてて距離を置いておけばいいのだ。しかし彼はそうしなかった。
侯爵家という後ろ盾があるとはいえ、公爵家の娘であるセアラを怒らせるのは都合が悪いはず。それなのに彼はセアラが問題行動を起こすと、決まっていさめにきた。
それがセアラのためを思ってか、周りの被害を抑えるためかはわからないが、セアラには彼の行動が感謝すべきものに思えてきたのだ。
「グレアム様! これからも私が何かやらかしたらどんどん叱ってちょうだい!」
「は、はぁ……」
セアラに明るい表情で言われ、グレアムは曖昧にうなずくしかなかった。
グレアムが微妙な表情をしていようと、クラスメイトが困惑した顔で見ていようと、セアラにとっては小さなことだ。
(私、これからは正しく生きるわ! あの悲惨な夢と同じ結末を迎えないように!!)
セアラは心の中で固くそう決意した。
***
それからのセアラは、四六時中グレアムについて回るようになった。
「おはようございます、グレアム様!」
「グレアム様、よかったら昼食ご一緒しませんこと?」
「グレアム様、課題でわからないところがありますの。放課後に教えて下さらない?」
グレアムは始めのうち困惑し、一体何を企んでいるんだと疑いの目でセアラを見ていたが、どうやら本当に仲良くなりたいらしいことを知ると、しだいに心を開くようになった。
セアラが誘えば昼食にもつきあってくれるし、勉強も見てくれた。私の直すべき点ってどこかしら、という相談には、率直過ぎるくらいに意見を述べてくれた。
「セアラ様、意見が違う者や腹立たしい行いをする者もいるでしょうが、そこですぐ排除する方向に動いてはいけません。話し合って分かり合うよう努力し、それでも分かり合えない場合は適度に距離を置くのです。相手の領分も認めてあげなければなりません」
「うんうん」
「まして貴女は公爵令嬢なのですから。この学園で貴女の上に立てる者などウェンディ様くらいです。貴女が横暴な態度を取っていても、他の者は従うしかないのです」
「うんうん。その通りですわ」
昼休み、学園の庭で並んでサンドイッチを食べている最中、セアラの質問からグレアムのお説教が始まった。セアラは不機嫌になることもなく真剣に話を聞いている。
「……やけに物分かりがいいですね」
グレアムはうんうんうなずくだけのセアラに向かって不審そうに言う。
「あら、最近の私はちゃんと物事を理解できるようになったんですのよ。まだ認めてくれていませんでしたの?」
「だって長年の態度とあまりにも違いますから……。頭でも打ったんですか?」
グレアムは真面目な顔で尋ねる。セアラは失礼ね、と憤慨した。
「それにしてもなぜ僕と貴女が毎日一緒に昼食を食べているんですか。取り巻きのご令嬢たちはどうしました?」
「私とグレアム様はお友達ですもの。別にいいじゃないですか。あの子たちはあの子たちで楽しくやってますわ」
セアラはグレアムから目を逸らしながら言う。あの夢を見るまでよく一緒にいた令嬢たちとは、最近少し距離を置いている。あまり彼女たちといたくないのだ。
夢の中で彼女たちは、処刑台に送られるセアラを見てくすくす笑い合っていた。夢と言うにはあまりにも現実感のあるその声が、表情が、彼女たちを見ると蘇って来てしまう。
話題を変えたくてセアラは口を開く。
「それより相談に乗って欲しいのです。以前悪いことをしてしまった人たちにはどうお詫びしたらいいと思います?例えば、ピアノのレッスンに行くのが嫌だってごねたら叱られたから、腹が立って追い出しちゃったメイドとか」
「うわぁ……。本当にわがままお嬢様ですね」
「は、反省してますのよ! だからどうすればいいのか聞いてるんです!」
セアラはムキになって言う。グレアムは呆れ顔になりながらもアドバイスしてくれた。
セアラは今まで迷惑をかけた人たちに、謝罪の手紙を書くことにした。
直接謝りに行こうかと思ったが、グレアムにそう言うと、元使用人のところに追い出した張本人の公爵令嬢が直接会いに行くなんて威圧でしかないからやめておくよう止められた。
なので彼に相談しながら彼女なりに誠心誠意手紙を書き、可能であれば戻って来て欲しいと頼んだのだ。それが無理なら好条件の仕事先を紹介するとも書き添えた。
ほかのことでも、セアラはできる限り過去の行いを挽回しようとした。
以前圧力をかけたクラスメイトの家に対しては、待遇を改善してもらえるよう父親に頭を下げた。学園を辞めさせた教師は、戻ってこられるよう取り計らった。
一度行ってしまったことを完全に取り消すことは不可能だったが、セアラはできる限りのことをしようと奮闘した。
「私って本当に嫌な女だったのね……」
図書館で謝罪の手紙を書きながら、セアラは深い溜め息を吐く。心を入れ替えてから過去の自分の行動を振り返ると、ひど過ぎて呆れてしまう。
「過ちを認めて挽回しようとするなんて、なかなかできることじゃありませんよ」
グレアムは珍しくそう慰めた。セアラは困ったような笑みを浮かべて言う。
「あら、優しいですのね。励ましをありがとう」
「本当にそう思っていますよ。最近の貴女は立派だ」
グレアムが真剣な声で言うので、セアラはなんだか照れ臭かった。
***
セアラの急な変化にもっとも困惑していたのが、夢の中でセアラを陥れた人物、デズモンドだった。
最近のセアラは甘い言葉をかけても眉一つ動かさないどころか、顔を合わせればすぐに逃げようとする。以前は毛嫌いしていたはずのグレアムとしょっちゅう一緒にいるのも気にかかる。
「一体何があったというんだ……?」
苛立たしさが募り、デズモンドは自室で一人ぎりぎり爪を噛む。
「これでは計画が実行できないじゃないか……」
デズモンドは拳を握りしめた後、机の上を見遣った。そこには毒の入った小瓶にナイフ、縄など、物騒なものが並んでいた。デズモンドはその中からナイフを手に取る。
「作戦を変更するしかないようだな」
デズモンドは光のない目でナイフを見ながら呟いた。
***
「グレアム様! 今日の放課後は空いてらっしゃる? 今までたくさん相談に乗ってもらったお礼に連れて行きたいところがありますの!」
セアラは廊下でグレアムを見つけるなり、笑顔でそう言った。グレアムは不思議そうな顔で尋ねる。
「連れて行きたいところとは?」
「街に新しくできたカフェですわ! ベリーのケーキが数十種類もあるんですって!!」
セアラは目を輝かせて言う。グレアムは苦笑しながら言った。
「それ、貴女が行きたいだけでは?」
「うっ」
図星をつかれてセアラは押し黙る。それから言い訳するように言った。
「確かに私も行きたいとは思いましたけれど。お礼をしたいのは本当ですのよ!」
「はいはい」
「もう、なんですかその仕方なさそうな顔は! 仕方ないじゃないですか。あのカフェを見た途端、グレアム様と行ったら楽しそうだと思ってしまったんですもの」
セアラはふくれっ面で言う。グレアムはその言葉に目を見開くと、口元に笑顔を浮かべて言った。
「いいですよ、お供します」
「いいんですの? というかなんだか嬉しそうですわね」
「嬉しいですよ。セアラ様が僕と行きたいと思ってくれたなんて」
グレアムはそう言って笑った。いつも難しい顔をしてばかりのグレアムに突然柔らかく微笑まれて、セアラは思わず息を呑む。
「そ、それじゃあ今日の放課後に。グレアム様は今日生徒会の活動があるのでしたわね。私、門のところで待っていますわ」
「わかりました。楽しみにしています」
セアラとグレアムは待ち合わせの時間を決めると、それぞれの目的地まで急いだ。
***
セアラは機嫌よく廊下を歩く。
(グレアム様とカフェ、楽しみだわ)
セアラの足取りは軽かった。グレアムと出かけるのが楽しみだなんて、つい一か月ほど前の自分には考えられなかったことだ。
「セアラ様!」
「!! デ、デズモンド様……!」
突然目の前に現れた人物にセアラの心は一気に冷えた。一か月ほど前には会いたくてたまらなかった人物、今は可能な限り視界に入れたくない人物ナンバーワンのデズモンドがいる。
「お久しぶりです。セアラ様。こんなところで会えるなんて嬉しいな。最近はあまり顔を合わせる機会がなかったですよね」
「え、ええ。そうですわね。クラスが違うとなかなかね」
セアラはそう言って笑いながら、気づかれないように後退りする。
顔を合わせる機会がなかったのは、セアラがなるべくデズモンドのいそうなところを避けていたからだ。今日もデズモンドの教室付近を通らないため、あえて遠回りをして歩いていたというのに、なぜ出くわしてしまったのだろう。
「セアラ様、せっかく会えたことですし、この後街に新しくできたカフェにでも行きませんか? セアラ様の好きそうなベリーのケーキがたくさん並んでいるそうですよ」
「ごめんなさい。今日は先約がありますの。またの機会に」
セアラはそう言いながら後ろを向いて立ち去ろうとする。しかし、後ろからがしりと肩を掴まれた。
「では、少しだけでいいので西棟につきあってもらえませんか?」
「デズモンド様。私、今日は急いで……」
「少しだけです。ウェンディ様のことでお話があるのです」
デズモンドの気迫に押され、セアラは否定の言葉が出なくなる。それにウェンディ様という言葉が気にかかった。一体何の話だろう。あの夢に関わる話をされるのだろうか。聞いておくべきか、徹底的に避けるべきか。
セアラの頭に瞬時にさまざまな考えが巡る。
「……わかりましたわ。少しだけなら」
セアラは仕方なくそう言った。
仮に今デズモンドが夢で見たのと同じように、ウェンディ様に渡すよう毒入りの紅茶を渡してきたとしても、受け取って捨ててしまえばいいのだ。断って予想外の動きをされるよりも、わかる範囲で動いてくれた方がこの先動きやすいと考えた。
「ありがとうございます。セアラ様」
デズモンドは明るい顔で言う。セアラは過去の自分はこの屈託のない表情にいつも騙されていたのだなとため息を吐いた。
***
デズモンドはセアラを西棟の一室まで連れて行った。
「セアラ様、お茶をどうぞ。この紅茶好きでしたよね?」
「ええ。ありがとう」
デズモンドからにこやかにカップを勧められ、セアラは警戒しながら受け取る。もちろん口をつける気はない。
「ウェンディ様とは変わらず家に招き合ったりしているんですか?」
「ええ、まあ。仲良くしていただいておりますわ」
セアラは作り笑顔で答える。デズモンドはそれはよかったです、と笑った。
それからリボンのついた小瓶を差し出して言う。
「話というのは大したことじゃないのですよ。これは以前にも話した、うちによく出入りする商人がくれた珍しい紅茶です。前にウェンディ様と話した時、彼女も好きだと仰っていました。よろしければセアラ様の自宅に招かれた時に出して差し上げてください」
「まあ。ありがとうございます。デズモンド様。けれど、私に渡すよりも直接ウェンディ様に渡された方がいいのではなくて?」
セアラは顔が引きつりそうになるのをこらえて笑顔で言う。夢で見たのと同じシチュエーションだ。夢の中の自分は何の疑いもなく受け取っていたが、よく考えればなぜ直接渡せるものをセアラが仲介しなければならないのか。
「私から渡すよりも、仲の良いセアラ様のご自宅で一緒に召し上がる方がいいと思ったのです。どうぞお受け取りください」
「……そう? では受け取っておきますわ」
セアラは仕方なく紅茶を手に取る。家に帰ったらすぐに処分しよう、と心に決めた。
「紅茶、全く召し上がっていませんね」
デズモンドはセアラの前のカップをじっと鋭い目で見つめながら言う。セアラは一瞬言葉に詰まり、それからごまかすように言った。
「……実は先ほどもウェンディ様とお茶をいただきましたの。だからあまり喉が渇いていなくて」
「そうだったのですか。それは失礼しました」
デズモンドはすぐににこやかな表情に戻って言う。
「……最近、グレアム様とよく一緒にいますね」
少しの沈黙の後、デズモンドが静かな声で言った。
「ええ。そうですわね」
「セアラ様、失礼ですが以前はグレアム様のことをあまりよく思っていなかったのでは? どうして急に?」
「そうだったのですけれど、話してみると案外いい人だったんですの。以前の私は浅はかでしたのね。グレアム様は間違ったことを言っていないのに反発ばかりして」
「グレアム様のことがお好きなのですか?」
デズモンドは突然真剣な声で言う。セアラは唐突な言葉に眉をひそめた。
「突然ですわね。確かにお友達としては好きですけれど。それだけですわ」
「ずっと気になっていたのです。今までは私とウェンディ様以外には人を人とも思わないような態度ばかり取っていたセアラ様が、最近誰に対しても礼儀正しいと。その上、以前なら顔を見ただけで嫌そうな顔を隠しもしなかったグレアム様と頻繁に話し込んでいるなんて」
デズモンドは深刻そうな顔で言う。セアラは失礼ね、と憤慨しかけたが、言われてみれば確かにその通りだったので仕方なく黙った。
デズモンドは続ける。
「近頃のセアラ様はおかしい。私のことを意図的に避けてらっしゃいますよね? 私が何かしましたか? それとも心情に変化が現れるようなことが?」
「嫌ですわ。避けてなんか。さっきも言った通り、クラスが違うのでなかなか顔を合わせる機会がないだけですわ」
セアラは素知らぬ顔で言い訳をする。
デズモンドはおそらく、セアラをウェンディを害するための都合の良い道具くらいに思っているのだろう。
少しおだてれば簡単に信用して思い通りに動いてくれるのだ。以前のセアラほど扱いやすい駒はなかったはずだ。だから急にセアラの態度が変わり、焦っているに違いない。
都合よく扱われているだけだったのにデズモンドの言葉一つに一喜一憂していたなんて、とセアラは過去の自分に同情した。
「デズモンド様。私この後大事な約束がありますの。ですから長くなるのなら今度にしてくださらない?」
「その約束の相手とはグレアム様ですか?」
「え、まぁ……いえ、どうして貴方にそこまで話さないといけませんの? 私は……」
「貴女は私を好きだったはずだ!!」
デズモンドは突然立ち上がると、声を荒げて言った。セアラの肩がびくりと揺れる。彼はセアラの方まで近づいてくと両手で強く肩をつかんだ。
「い、いきなりなんですの? デズモンド様」
「私にはわかっております。セアラ様。貴女は物珍しさから一時の気の迷いでグレアムに惹かれているだけなのです。貴女に意見するような者はこの学園に彼以外いませんから」
「なんなんですの、離して下さい!」
「大丈夫です。セアラ様。私は貴女が少しばかり気の迷いを起こしたからといって幻滅したりなどしません。最後には私を選んでくれると信じていますから」
デズモンドはにっこり笑って言う。セアラにはその笑顔がとても恐ろしく見え、思わずひっと悲鳴を上げた。
「セアラ様。これは私たちが結ばれるために必要なことなのです。ウェンディ様に先程渡した紅茶を飲ませてくださいますね?」
「え、ええ。もちろん! わかりましたわ。わかりましたから、この手を離して下さい!」
セアラは真っ青になりながら、首をぶんぶん縦に振る。今日のデズモンドは怖い。一刻も早く、刺激しないようにこの場を去らねばならない。しかし、デズモンドはセアラの顔をじっと見ると、低い声で呟いた。
「……その顔は、飲ませる気がありませんね」
「な、何を言うんですの。ちゃんと飲ませますわ。だから離してくださ──……」
言いかけたセアラは、デズモンドから懐から取り出したものを見て息を呑んだ。そこには鈍く光を放つナイフがあった。
「きゃあっ!!!」
「動かないでください」
デズモンドはセアラの肩に腕を回すと、喉元にナイフを突きつける。
「嫌!! 何するんですの!? 何の恨みがあってこんな」
「恨みなどありません。私とセアラ様の未来のためです」
「何が未来ですの!! 私にウェンディ様に毒を盛らせて処刑するつもりのくせに!!」
セアラが叫ぶと、デズモンドは感心したように彼女を見た。
「やたら警戒していると思ったら。やはり勘づいてたんですね。どうしてわかってしまったのかなぁ」
「あ、貴方のすることなどお見通しですわ」
「セアラ様はもっと単純で騙されやすい方だと思っていました。意外と賢かったんですね」
デズモンドに真顔で失礼なことを言われ、セアラは顔をしかめる。
「そうですよ。私は貴女に罪を犯して処刑されて欲しかった。王女に毒を盛って処刑された女になど誰も同情しない。まして貴女はわがままな令嬢として元から評判も悪かったですしね。永遠に私だけのセアラ様でいてくれると思いました」
「……は?」
セアラは目を白黒させてデズモンドを見る。デズモンドは理解が追いつかずにぽかんとしているセアラを、愛おしそうに見つめて言った。
「大丈夫です。私もすぐに後を追いますから寂しくなどありません。これで私たちはずっと一緒にいられます」
「い、嫌ですわ! 何を言ってるんですの、デズモンド様」
「貴方も私のことが好きでしょう? 心配ありません。なるべく苦しまないように、一刺しで殺してあげますからね。本当は処刑されて欲しかったのですが、貴女に企みがばれてしまったのなら仕方ありません」
「嫌だ!! 離して!!!」
セアラは目に涙を溜めて叫ぶ。
デズモンドは一体何を言っているのだろう。王家やウェンディ様に何らかの恨みがあり、セアラを利用しようとしているのだろうと思ったが違ったのか。いや、理由など今はどうでもいい。この状況を何とかしなければ。
しかし、いくら暴れてもデズモンドの手はびくともしない。
やがてゆっくりとナイフが近づいてくる。セアラは恐怖にぎゅっと目を閉じる。
「セアラ様!!!」
その時、突然扉が開いた。
セアラが驚いて顔を上げると、そこには息を切らして立つグレアムがいた。
「グレアム様!!」
「セアラ様、大丈夫ですか!? デズモンド、お前どういうつもりだ!!」
グレアムはデズモンドを睨みつけながら近づいてくる。デズモンドはセアラを押さえつけたまま、グレアムにナイフを向けた。
「邪魔をするな、グレアム。セアラ様をそそのかした上、まだ妨害しようというのか」
「何を言っているんだ? 早くセアラ様を離せ!」
「セアラ様はここで私と心中するんだ」
デズモンドはそう言うと、セアラを自分のほうへ引き寄せる。
「心中? 何を馬鹿なことを。セアラ様は怯えているじゃないか。早く解放するんだ」
「うるさい!! 少しセアラ様とお近づきになれたからっていい気になるなよ。セアラ様は一時の気の迷いが生じていただけだ。
本来のセアラ様は、わがままで浅はかで、人を人とも思わない傲慢な女性なのだ! そんな彼女が最近は目下の者にも礼儀正しく接しているそうではないか。どうせお前がくだらない道徳を説いたせいだろう。単純なセアラ様は、お前にうまく言いくるめられて本来の自分を見失ってしまったのだ!」
デズモンドは熱に浮かされたように、半ば悪口のような言葉を語り始める。傲慢だの浅はかだの単純などという言葉を並べられ、セアラは大いに不満だった。
抗議しようと口を開きかけると、グレアムが先に言葉を発した。
「セアラ様は確かにわがままで浅はかな人だ」
かばってくれるのかと思いきや肯定の言葉が出てきて、セアラは抗議の目でグレアムを見た。しかし、彼は続ける。
「けれどそれが本来のセアラ様なわけではない。彼女は本来きっと純粋な人なんだ。しかし、彼女を咎める者が誰もいなかったため、間違った方向にいってしまった。
今の周りを考えられるようになったセアラ様こそ本来の姿なんだと、僕は思う。彼女が浅はかなだけの人なら、そもそも反省して悔い改めようなどと考えるはずない」
グレアムは真剣な顔で言う。セアラは胸が熱くなるのを感じた。まさかグレアムがそんな風に思ってくれているなんて、想像もしていなかったのだ。
「うるさい。お前に何がわかる。セアラ様は元々根性が腐っていて、それこそが彼女の美点なのだ。セアラ様の魅力がわかるのは私だけでいい」
デズモンドはそう言うと、グレアムに向けていたナイフをセアラに再びゆっくり近づける。
「さぁ。セアラ様。一緒に遠い世界にいきましょう。大丈夫です。私は傲慢な貴女を愛してあげますからね」
デズモンドはさっきまでとは打って変わった甘い声で言う。
グレアムが焦った声で止めろ、と叫ぶのが聞こえた。しかし、ナイフはどんどんセアラに迫って来る。
そして──……。
「いいかげんにしてください!!!」
セアラはそう叫ぶと、左手でナイフを持ったデズモンドの手を掴み、もう片方の手で思いきりデズモンドの頬を殴った。
全く構えていないところに拳を入れられ、デズモンドはよろめいて床に倒れる。
「セ、セアラ様、なぜ……」
「なぜじゃないですわ!! どうして私が貴方と心中しなければならないんですの!! ふざけないでくださる!!?」
仁王立ちで怒鳴り声を上げるセアラを、デズモンドは下から呆然と眺める。
「セアラ様だって私が好きだったはずだ!! やはりグレアムにそそのかされたせいなのですか!? 私なら貴女の欠点も含めて全て愛してあげられます!! こんな男の言うことなど聞く必要はありません!!」
「さっきから何なんですの! そそのかされたとか騙されているとか! 私は自分で考えてグレアム様に意見を聞いているだけですわ! 貴方、私の欠点を愛してくれるなどと言いますけれど、私の変化は全く受け入れてくれていないじゃないですか!!」
セアラは怒りに頬を紅潮させながら叫ぶ。
「今後一切私に近づかないでくださいまし! 心中に巻き込もうとする男なんてごめんですわ!!」
セアラは倒れているデズモンドに向かってそう叫ぶと、側で呆然としているグレアムの腕を引っ張って外に出た。
「もう、散々な目に遭いましたわ! グレアム様、助けに来てくれてありがとうございます。あやうく殺されるところでしたわ!」
「は、はい……。僕が行かないでも解決できたような気もしますが……」
怒りに震えながら言うセアラに、グレアムは困惑顔で言葉を返す。
「そんなことありませんわ! グレアム様が来るまで恐怖で足が凍り付いて動けなかったんですもの」
「そうですか? 少しでも役に立てたならよかったですが」
グレアムはまだ戸惑っている様子でそう答えた。
「それに、さっき本来の私は純粋な人だと言ってくれてとても嬉しかったですわ」
セアラは先ほどグレアムが言った言葉を思い出しながら、小さく微笑む。グレアムはセアラから目を逸らしながらもごもごと言った。
「……デズモンドがあまりにも勝手なことばかり言うので」
「本当ですわ! 傲慢だの浅はかだの単純だの、ひどいことばかり!! 言いがかりもいいところですわ!!」
「完全に言いがかりというわけではないと思いますが……」
グレアムは憤慨しているセアラに向かって小声で言う。
「な、なんですの! さっきと言ってることが違うじゃありませんか!」
「さっきはデズモンドが貴女を根っからの悪人のように言うから否定したのです。それは違うと思いますが、擁護できないことをたくさんしてこられたのは確かですよね」
「うっ……」
その通りだったのでセアラは言葉に詰まる。急に勢いを削がれてしょんぼりと項垂れるセアラを見てグレアムは笑った。
セアラはずっと気になっていたことを尋ねる。
「……ずっと思っていたんですけれど、グレアム様はなぜ私につっかかってきたんですの?」
「なぜって。貴女の行動が目に余ったからです」
「そうでしょうけれど!! でも、自分で言うのもなんですけれど、私の家は権力があるほうですわ。余計な被害を受けないためには適当にあしらっておけばよかったんではなくて?」
セアラはムキになって尋ねる。
グレアムは少し考え込んでから言った。
「……もったいないと思ったからです」
「もったいない……?」
「はい。貴女の時折見せる笑顔を見ていると、根っからの悪人に見えなかったのです。いつものように権力で周りを従わせるのではなく、あの無邪気な笑顔を向ければきっと皆セアラ様を好きになるのに、ともったいなく思っていました」
グレアムは真面目な顔でそう言った後、はっとして、少し赤くなった顔を伏せた。
「……なんだか偉そうでしたね。すみません」
「いえ、構いませんわ」
セアラはすまして言う。しかし、気が付くと頬が緩んでいるのを感じた。
そうか、グレアム様は私のことをそんな風に見ていてくれたのか。あの悪夢を見るまではいけ好かない奴だと思っていたし、グレアム様の方でも嫌っているんだろうと思っていたけれど、割と好意的に見ていてくれたらしい。
「グレアム様! 早くカフェに行きましょう! デズモンド様のせいで時間を取られたので、閉店時間が迫っていますわ!」
「えっ。あんなことがあったのに今日行くんですか?」
「もちろんです! 私楽しみにしていたんですもの!!」
セアラはそう言うとグレアムの手を取って駆け出す。グレアムは令嬢にあるまじき自由過ぎるふるまいに呆れ顔をしたが、今日くらいはいいか、とそのまま手を引かれて行った。
***
翌日、登校するなりウェンディがセアラの元に駆け寄って来た。
「セアラ! 大丈夫でしたか!? 昨日、デズモンド様と西棟で揉めたって!!」
「ウェンディ様!」
「大声で言い争う声が聞こえたとか、ナイフを向けているのを見たなんて話を聞いて、私もう驚いて」
「大丈夫ですわ! 何ともありませんでしたから。ちょっと大げさに伝わっているだけで……ええと……、実際は言い争いになって脅されただけですから! それに、グレアム様が助けに来てくれたんです」
「まぁ、本当に? でもひどいことをなさいますのね、デズモンド様って。いい人だと思っていたのに」
ウェンディは頬に手をやって大きくため息を吐く。そしてセアラの頬を撫でると、無事でよかった、と心底ほっとしたように言った。
セアラはウェンディが話しているうち、クラスメイトがちらちらとこちらを伺っているのに気づいた。やがてその中の一人がおそるおそるセアラに近づいてくる。
「セアラ様、その、大丈夫でしたか……?」
「へ?」
「いえ、閉じ込められたとか、刺されそうになったかいう噂を聞いたので……! 出過ぎた真似を、失礼しました!」
セアラがきょとんとして聞き返すと、その子は慌てて謝って立ち去ろうとした。セアラは待って、と引き止める。
「心配してくれたんですの?」
「え、ええ。私なんぞがセアラ様に心配など、おこがましいですが」
「嬉しいですわ。ありがとう」
セアラはにっこり微笑んで言う。話しかけてきた子はぽかんとした顔でセアラを見た。周りのクラスメイトも唖然とした顔でセアラを見ている。
セアラは気づいていなかったが、最近、クラスメイトの間でセアラの評判はひそかに上がっていたのだ。今までと違って偉ぶらず、身分に関係なく礼儀正しく接するようになったセアラ。
皆、最初は訝しんでいたが、どうやらセアラが改心してグレアムと一緒に今までつらく当たって来た人々に謝罪して回っているらしいと聞くと、だんだんと見方を変えだした。
それでも今までの行いからセアラに気軽に話しかけるような者はいなかったが、セアラが殺されかけたと聞いて気にかけてくれたらしい。
最初の一人が話しかけると、ちらほらとほかの生徒もセアラに近づいてきて無事を気遣った。
セアラは私は今まであんなに横暴だったのに!と、すっかり感動してしまった。
「セアラ様、よかったですね」
いつのまにか隣にいたグレアムがセアラの顔を覗き込んで言う。
「ええ! 私、嫌われて当然だって思ってたから……」
セアラはそう言うと目に涙を滲ませる。
その時、教室の扉が勢いよく開いた。
「セアラ様!!」
「デ、デズモンド様……!?」
突然現れたデズモンドにセアラは後退りする。昨日あんなことをしておいて、一体なんの用なのか。デズモンドを目に留めたグレアムはセアラをかばうように前に立ち、ウェンディはセアラの横に立ってデズモンドを睨みつけた。
クラスメイトは戸惑った顔でデズモンドとセアラたちを交互に見ている。
「何の用だ、デズモンド」
「またセアラに危害を加えるつもりなの!?」
グレアムとウェンディに睨まれても、デズモンドに引く様子はない。つかつかとセアラの方に歩み寄る。そしてグレアムを押しのけてセアラの前に立った。
「な、なんですの……! 今後一切私に近づかないでと言ったでしょう!?」
「セアラ様、私が間違っておりました」
デズモンドは血の気の引いた顔で逃げようとするセアラに、思い切り頭を下げる。眉をひそめるセアラに構わず、彼は続ける。
「セアラ様を私だけのものにしようなど、私が間違っておりました。貴女はとうてい誰か一人のものになることなどない尊いお方。私はただ貴女を崇拝していればよかったのです。貴女に殴られて自分の愚かさに気づきました」
「な、何を言ってるんですの……?」
うっとりした顔で語るデズモンドを見て、セアラは顔を引きつらせる。
「セアラ様、もう馬鹿なことはいたしません。ですから、どうかわたしをお側に置いてくださいませんか? もう私だけを愛して欲しいなどと欲深いことは申しません。私を貴女の僕にしてください!!」
「いや!! いらないわ! 来ないで!!」
セアラは近づいてくるデズモンドから必死で逃げようとする。つい一か月ほど前まではセアラもデズモンドが好きだったはずだが、一体彼はこんな人だっただろうか。昨日とは別の意味で怖い。過去の自分はやはり相当目が曇っていたに違いない。
セアラは呆然としつつも、デズモンドを止めようと間に入ったグレアムの手を掴む。そして、そのまま腕にしがみついた。
「デズモンド様! 私のことは諦めてくださいまし! 私、もう心に決めた人がいるんですの!」
「な……っ、まさか」
「そうですわ! このグレアム様ですわ!!」
セアラが叫ぶと、デズモンドはショックを受けたような顔でセアラとグレアムの顔を交互に見た。一方のグレアムも驚愕の表情を浮かべてセアラを見ている。
「……嘘だ、セアラ様がそんな堅物を相手にするなど……!」
「私のグレアム様を悪く言わないでくださいまし。行きましょう! グレアム様!」
「え?? あ、ああ……」
セアラはグレアムの腕を引っ張りながら駆け足で教室を出て行く。後ろからクラスメイトのざわめく声と、デズモンドのお待ちくださいセアラ様!という悲痛な叫び声が聞こえてくる。
セアラは気にせず走り抜けた。
「貴女のグレアムになった覚えはないんですが……」
セアラに腕を引っ張られながら、グレアムは困惑顔で言う。
「じゃあ今からなってくださいまし。私の方ではグレアム様を運命の人と決めてしまったのですわ」
「本当に勝手な人ですね」
グレアムは呆れ顔で言う。今までの行いを反省しても、したいようにする性格は変わっていないらしい。
「わかりましたわ。じゃあ、私がこれからグレアム様に、この人だと思ってもらえるよう頑張りますわ! だから少し待っていてくださいませ」
「そういうことじゃないんだけどな」
グレアムは苦笑しながら言う。それから続けて言った。
「じゃあ、楽しみにしています」
「ええ。任せてください!!」
セアラは屈託のない笑顔で言った。グレアムは呆れた顔をしながらも、どこか楽しそうにセアラを見る。
セアラはグレアムのその見守るような視線が、なんだか無性に嬉しかった。
終わり